現実
どれだけ時が経っただろうか…。
陸が目を開けた時は病院のベッドの上だった。
自分の置かれている状況が理解できないまま声が聞こえる方に頭を向ける。
見覚えのある顔は花の母親だった。
「辻本さん?!」
震える花の母の声がだんだんと陸に現実を思い起こさせていく。
「花…!花は…!?」
いつも隣にいてくれるはずの花がいない…。
陸は社内旅行でのあの恐ろしい夜が夢でなかった事に絶望する。
「あの子…辻本さんのこと庇って車に引かれたらしくて…。三日経った今もまだ意識が戻ってないの…。
峠は越えたってお医者様も言ってくださってるんだけど…。このまま意識が戻らない可能性はゼロではないんですって…。」
震える母の声に陸はなぜ自分ではなくて花がこんな目に遭わなければならないのか…運命を呪った。
「彼女に逢いたい…。今どこに?」
陸は傷の痛みなんかよりも花に逢えない心の痛みの方が遥かに大きかった。
「気持ちはわかるけど、あなたも絶対安静だから…。かろうじて急所は外れていたらしいんだけど、相当出血していたそうよ。花を庇って刺されてしまったんでしょう?全くあなたたちは…。」
悲しすぎる笑顔を見せながら花の母は切ない現実に、神様なんていないのかもしれないと思う。
「花の方には今お父さんがついてるから安心して。私たちはもうあなたの親と同じ様なものなんだから、我慢しないでなんでもいいなさいね。今朝まであなたのそばにお父さんがついていてくれたのよ。」
優しく微笑む花の母は、花の面影を思わせた。
「ありがとうございます…。娘さんに助けてもらった上に、こんなにも優しくしていただいて…。」
陸は涙を堪える力も残されていなかった。
「花に逢いたいです…。一目でいいから…。彼女の顔が見たい…。」
弱々しく話す陸の思いは痛いほど伝わっていた。
「あとで先生に話しては見るけど…。あなたがまず元気にならないと!花が目覚めた時に支えてあげて欲しいから…。」
花の母の目にも涙が光っていた…。
事件から数日経ち無事退院の日を迎える陸。
あれから警察が来たり、引っ越しの日にちを調整したりとやらなければならないことに追われていた。
陸が花に会う許可がおりた日の事を手を止めるとすぐに思い出してしまう。
傷だらけになった彼女の身体は弱々しくベットの上に横たわり、たくさんの管に繋がれたまま全く動くことなく目を閉じていた。
彼女をあんな風にしてしまったのは自分のせいだ、そう陸は毎日自分をせめて正常な判断が出来る状態ではなかった。
今だ、彼女は目を覚まさない…。
傷害事件として警察沙汰になった事で、愛は逮捕され、副社長も解雇となった。
陸の活躍は職場でも有名で、社長も彼が副社長側についている人間だと知っていた上で失うには惜しい人材だと一目置いていたので、長期療養目的の休暇を与えてくれていた。
自分の部屋の荷物をとりあえず新居に運ぼうと手をつけようとするが、全く捗らない。
新居の鍵を持って、ぼーっとまだ何もない部屋に向かう。
花と二人でこの玄関を開けて、窓の外を眺めたあの日…。
まさかこんな悲しい日が訪れることなど想像もできなかった。
ここで花の育てた花を眺めて…、振り返ればあのキッチンで軽快に音を立てながら料理を作る後ろ姿があったはずなのに…。
陸は堰を切ったように涙が溢れでてくる。
誰もいない空間で初めて声を上げて泣いた…。