狂気
「古谷さん!」
他の社員がパラパラと帰宅を始める頃、ブースから顔を出した花に手を振る楓。
「横山さん、今日はよろしくお願いします。」
ペコリと頭を下げる花。
愛の刺さる様な視線を感じながら気づかないふりをして二人は外に出る。
途中吉田浩介と合流し、花はほぼ初めて絡む浩介や楓に緊張から黙りっこくってしまう。
「古谷さん、そんなに緊張しないで!取って食べたりしないから。」
笑いながら楓は花の背中を押す。
「ありがとうございます。」
楓は花の敬語が気になり、
「ねぇ、敬語じゃなくてもいいよ!名前も楓でオッケー!!」
花はドキドキしながら、
「楓…さん?」
そう伺う様に呼んでみると、
「『さん』はなんだかよそよそしいなぁー。楓ちゃんはどうかな?」
優しく微笑む楓。
隣で『ブッ』と吹き出すのは浩介。
「おいおい、『楓ちゃん』って柄じゃないだろ!笑わせんなよ!」
クククと笑いが止まらない浩介。
「何よ!せっかく浩ちゃんが悩んでるから誘ってあげたのに!」
ツンと背を向ける楓。
「こうちゃん?」
花はその呼び方に二人はただの同僚じゃない事に気がつく。
「そー!私たち幼馴染の腐れ縁で、終いには付き合っちゃた。」
意外すぎるエピソードに花は職場で密やかに恋愛をしている仲間の様な親近感を覚える。
「意外とバレないよね、私たち。」
浩介に同意を求めながら花と陸の関係を何も知らない浩介にどう話そうかワクワクしている楓。
「なんか俺の相談のために古谷さんまで巻き込んじゃって悪かったね。」
楓のテンションとは裏腹に、毎日地味に愛の我儘に虐げられている浩介はすまなそうに頭を下げる。
「そんな!逆に私たちの方が謝らなきゃいけない位です。」
花の『私たち』の言葉に少し引っかかる浩介。
「ねぇ、浩ちゃん、まだ気がつかないの??ほんっと鈍感なんだから!」
からかう様に浩介を横から肘で突く楓。
「いや…、まさかでしょ?」
なんとなく察した浩介はそれが本当だったら物凄い事だと驚きを隠せない。
「その、ま・さ・か!!!」
楓が面白そうに話す姿を見て、
「あの『ザ・仕事一筋』みたいな人が彼女…?信じられないなー。」
意外すぎて花と陸の二人がどんな恋人同士の会話をしているのか浩介は自分の悩みを忘れてしまう位興味津々だった。
「あぁ、聞きたい早く!二人の話!!」
楓と浩介は陸に言われたお店の門をくぐる。
花は二人の後ろ姿を追いながら、仲の良い二人の雰囲気に心が和んだ。
「おいおい、高そうな店だな…。」
個室が完備されている大人の雰囲気の店に、急に静かになる二人。
奥に楓を通した浩介は楓の隣に並ぶ様に座る。
花は楓を目の前にしてテーブルを挟む。
「辻本さん、どんくらいで来るかな?」
浩介は19時半を指した腕時計に目をやる。
「なんか最近忙しそうだし八時は回るんじゃない?」
最近の陸の忙しさは商品部全体が周知している事だった。
それでも自分たちが定時で帰れるのは、陸の力量だと感謝していた。
「先に呑んでていいって言ってたし、軽く一杯お先に頂くか!」
そう浩介はドリンクのメニューを二人に見せた。
一方陸は仕事もあと少しで片付こうとしていた。
ふぅとため息を吐いてカバンに家での宿題も詰め込んでいく。
時計に目をやり『急がなければ…』と焦りブースを出て誰もいないフロアを抜けようとしたとき、
「辻本さん!!」
見るのも嫌になっていた愛が陸の前に現れたのである。
「古谷さんだけじゃなくって、今日は私の事の呑みに連れて行ってくれませんか?
おんなじ部下なんだから、差別はいけませんよね?」
少しずつ近寄ってくる愛。
「今日は先約があるんだ?悪いな。」
足早に立ち去ろうとする陸。
「ちょっとまって!じゃ、今ここで約束してください。次いつ連れて行ってくれるのか!」
食いかかる愛。
「そんな約束できないよ。」
背を向ける陸に後ろから抱きつく愛。
「どうして?あの子の何がいいの…?」
珍しく泣きべそをかいてすがりつく愛に、少し強く言いすぎたかと反省する陸。
「申し訳無いけど、君に話す事は何も無いよ。プライベートな事なんでね。」
丁寧に断る陸に愛は突然発狂する。
「古谷さんなんか死ねばいいのよ!!パパの力を借りればあんな子なんて簡単に消せるんだから!!」
目に付いたものを陸に向かって投げ出す愛。
投げつけられたハサミが陸の頰をかすめる。
「…痛っ!」
つうと血が流れるのを手で拭う。
「覚えておきなさい!私が手に入れられないものなんてこの世に何一つないんだから!!」
そう怒鳴り散らして立ち去る愛。
愛の投げつけた床に散らばる書類や文房具を静かに拾っていく。
「困ったもんだな…。」
花に危害が及ばない様にするにはどうしたら…頭を抱える陸だった…。