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第三部・第十三話(第56話) 嵐の船上

 その日、漁師たちは「少しでも魚を得ねば」と荒れ始めた海へ船を出していた。

 私はセレナと共に視察に同行していたが、空模様は見る間に変わっていった。


 黒雲が渦を巻き、雷鳴が轟く。

 「これは……ただの嵐じゃない」

 私は直感した。


 海の精霊の気配が、暴力的に乱れている。

 ――誰かが、意図的に煽っている。





 波が高くうねり、船は軋んだ。

 「聖女様! 網が破れます!」

 「帆が持たない!」


 漁師たちが必死に声を上げる中、セレナはマストに縋りながら叫んだ。

 「お姉さま! 舵が取れません!」

 「落ち着いて! 風の精霊よ、少しでも帆を守って!」


 私が祈ると、一瞬だけ風が鎮まり、船は傾きを戻した。

 だが、次の瞬間――海面に黒い影が走った。





 「敵襲だ!」

 漁師の叫びと同時に、海から矢が放たれた。

 鋭い骨の矢が帆を裂き、木材に突き刺さる。


 水面を割って現れたのは、槍を手にした魚人族の戦士たち。

 鱗に濡れた体は月光を反射し、赤い瞳が闇に光る。


 「海を荒らす陸の民よ! ここで沈め!」


 槍が振り上げられ、漁師たちが絶叫した。





 その時――轟音と共に別の船が駆けつけた。

 甲板に立つのは人狼族の戦士、ライガ。


 「退け、魚人ども!」

 彼の剣が閃き、海上に飛び上がった魚人の槍を弾き飛ばす。


 「ライガ!」

 「聖女! 無事か!」


 荒れ狂う海の上、彼の姿はまるで狼の王のように力強かった。





 だが敵は次々と海から現れる。

 漁師たちが怯える中、セレナが小さな体で前に出た。

 「やめて! この人たちは……海を奪うために生きてるわけじゃない!」


 魚人の槍が彼女に向かって振り下ろされる。

 「セレナ!」

 私は叫んだ。


 直後、風の精霊が突風を起こし、その槍を逸らした。

 セレナは震えながらも一歩も退かなかった。




 波、風、雷。

 自然そのものが牙を剥き、船はきしみながら悲鳴をあげていた。


 魚人族の槍が帆を裂き、漁師たちが叫ぶ。

 「もう持たない!」

 「聖女様、避難を!」


 私は必死に声を張り上げた。

 「精霊よ、どうかこの争いを止めて!」


 だが返ってきたのは――深い沈黙。

 水の精霊はなおも何も語らない。





 次の瞬間、大波が船を襲った。

 甲板が大きく傾き、私は足を滑らせた。

 「――っ!」


 セレナの悲鳴が耳に届く。

 「お姉さま!!」


 伸ばされた手は空を掴み、私はそのまま荒れ狂う海へと飲み込まれた。


 冷たい水が全身を打ち、意識が遠のいていく。

 最後に見えたのは、赤く光る魚人族の瞳だった。





 荒れ狂う嵐の中、魚人族の影が私を抱え上げる。

 「海神の裁きに委ねるのだ」

 低く響く声が、水越しに耳に届いた。


 視界が暗く染まり、私はそのまま意識を失った。

次回予告


第三部・第十四話(第57話)

「魚人族の里へ」

海底都市へ招かれるレティシア一行。

そこに広がっていたのは、美しい水の都と――彼らの切実な怒りだった。

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