第三部・第一話(第44話) 傾国の聖女と獣人族の国へ
私はいま二十歳。
子どもっぽさは消え、周囲からは「傾国の聖女」と呼ばれるようになっていた。
……いや、俺的には「和食の味を懐かしむおっさん」なんだけど。
辺境伯領は順調に繁栄し、民は笑い、家族は健やかに暮らしている。
逆ハーレム要因の仲間たちとは相変わらずの親友ノリ。
本人たちがどういう気持ちでいるのか、私はまるで気づいていなかった。
ある日、父の元に使者が訪れた。
「獣人族の共和国が、聖女様に政略結婚を申し入れてきた」
……結婚? そんなつもりは毛頭ない。
でも――
「米と、生魚と、温泉……?」
その三文字に私は思わず身を乗り出した。
妹に呆れられながらも、私は共和国へ赴くことを決めた。
南の海を越え、船でたどり着いた獣人族の共和国。
そこには木造の町並みが広がり、犬耳の兵士、猫耳の商人、鳥人の舞姫が行き交っていた。
まるで異世界の江戸。
香ばしい魚の焼ける匂いに、私はもう限界だった。
「さ、魚……! お米のたける匂い……! 早く……!」
「お姉さま、涎が……」妹がそっと袖で拭った。
到着早々、共和国の首都で盛大な宴が催された。
米で作った団子、魚の煮物、湯気立つ蒸し物……。
「う、うまぁぁぁぁぁ!」
――あ、いけない、聖女としての品格が……。
そんな中、厳めしい黒銀の髪を持つ青年が前に進み出た。
「我は人狼族の戦士、ライガ。共和国の誇りを背負う者だ」
金の瞳がこちらを射抜き、私は一瞬息を呑んだ。
……いや、格好いいのは認めるけど、今は刺身優先。
宴の最中、突然扉が開かれ、鱗を纏った魚人族の使者が現れた。
「この宴は何だ。海を荒らし、我らの住処を脅かしておきながら!」
場の空気が一気に冷えた。
獣人族の長老が睨み返す。
「海は我らの糧だ! 貴様らこそ独占をやめよ!」
周囲はざわめき、武器に手を伸ばす者すらいた。
私は妹を庇いながら静かに状況を見つめた。
「今日は祝いの場です。議論はまた別の機会に」
私は穏やかに告げて、宴の火が消えぬようだけ祈った。
魚人族の使者は舌打ちし、去り際に低く言い放った。
「……必ず、報いを受けることになるだろう」
私はご飯を口に運びながら、胸の奥でつぶやいた。
――やっぱり、ただのお楽しみ旅行にはならないか。
でも、この国の米と刺身、そして温泉は……絶対に守りたい。
妹が小声で聞いた。
「お姉さま、今なにを決意してるんですか?」
「え? もちろん――“温泉入り放題”の未来を!」
妹は盛大にため息をついた。
次回予告
第三部・第二話(第45話)
「江戸の町並みと獣人文化」
獣人族の生活を体験するレティシア。米や魚に狂喜乱舞する一方で、港や市場には小さな異変が忍び寄っていた……。




