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扉が閉まっても「私を誰だと思っているの!」とか「お父様に言い付けてやるから!」などの悪態をつきながら連行されていくエリザの声が響きわたり、トルネオを心底同情しつつ、やっとエリザから解放された安堵感からシャノンは軽くため息をついた。
「シャノン、せっかく僕のためにマフィンを焼いてきてくれたのに、こんなことになってごめん」
気づけばシャノンのすぐ側まで来ていたアレックが申し訳なさそうに頭を下げた。
「アレック様のせいではないので謝らないで下さい。私こそ……鍵の件でアレック様を責めてしまって、すみませんでした」
エリザがアレックから鍵を貰ったという話を鵜呑みにして、アレックに突っかかってしまった事を謝罪する。
「それこそ君が謝る事じゃない。鍵の管理不行き届きと僕の信用が無いのが原因なのだから」
「まあ、確かに、そうですけど……」
アレックの信用がないというのは否めない。
アレックは嘘をつくような人間ではないと思っていたけれど、結局信じきれなかったのだから。
「否定しない所がシャノンらしい」
アレックが苦笑する。
「君がまだ僕を信用していないのは分かっているし、仕方のない事だと思う。だけど僕は君に嘘はつかないよ」
真剣な眼差しは心からの真実を言っているように思えた。
けれど既に“シャノンの事が昔からずっと好きだった”という盛大な嘘をついている事を思い出し、どの口が言ってるんだか、という心境でシャノンは眉間にシワを寄せる。
「顔に出すぎ」
笑いながらアレックがシャノンの眉間をトンとついた。
また顔に出てしまっていたのかと、シャノンは両手で眉間を隠す。
「僕の信用がないのはさておき、学校長とエリザには困っていたんだ。何度婚約話を断っても諦めないし、話は通じないし、かといって学校長という立場の人間をそう邪険にもできないし。シャノンには迷惑かけて申し訳なかったけれどこれで彼らを排除することができる」
爽やかな笑みとは裏腹に排除という言葉を躊躇いもなく使うアレックに黒さを感じる。
「……エリザ様はこれからどうなるのでしょうか?」
シャノンがおずおずとアレックにたずねる。
「合鍵の件に関してはエリザというより主に父親である学校長が管理責任などの罪に問われる事になるだろう。国家機密に関わる事案は重罪だから、学校長の座は剥奪、爵位も降格または返上でエリザも今のように恵まれた生活は出来なくなるだろうね」
「そうなんですか……」
エリザの肩を持つわけではないけれど、“たかが合鍵を無断使用しただけ”なのに、その部屋が国家機密を扱う部屋だったというだけで、とんでもない重罪になってしまうのは少し哀れな気がしてならない。
「エリザには君への暴言暴挙に関しての罪を問うつもりだ。君を侮辱し、せっかく僕のために作ってきてくれたマフィンを駄目にした罪は重い」
アレックが当然のように言い放った言葉にシャノンは慌てて反論する。
「それは不要です。やめてください」
「なぜ?」
「あんなのはただの女同士の喧嘩です。罪に問うなんて大げさです」
「大げさなものか。君を侮辱した」
「侮辱というほどではありません。エリザ様が言っている事はあながち間違ってはいませんでしたし、私にとっては暴言ではないです」
この言葉に嘘はない。だって自分はエリザ様の言葉に全く傷ついてはいないのだから。
まあ、ここ最近言われ慣れているせいもあるかもしれないけれど、とシャノンは思った。
「シャノン、君の優しさは今は不要だ。エリザは僕の婚約者である君に不遜な態度をとった。これは許される事ではない」
毅然とした態度で言い切るアレックのその険しい瞳からは本来の彼の冷徹さがうかがえる。
さすが公爵令息というべきか、この件において自分の意思は変えるつもりがないのだろう。
けれど、シャノンにも言い分はある。
「許す許さないはアレック様には関係ありません。ただの女同士の喧嘩に首を突っ込まないでいただけますか?」
合鍵の件はともかく、自分とエリザの諍いをアレックが糾弾するのは違う気がするとシャノンは思った。
「僕の婚約者が軽んじられ、僕のマフィンが被害にあった。十分関係あるだろう」
アレックが不満気にシャノンを見、二人は睨み合う。
「あのマフィンは確かにアレック様の為に作りました。ですが、まだお渡ししていなかったのでアレック様の物ではありません。別に私があのまま持って帰ってもいいんです」
まあまあ屁理屈だけれど、それはそうだし、なんならマフィンはあげませんけど?という顔でシャノンはアレックをジロリと見返す。
痛いところを突かれたとでもいうように、アレックはシャノンと目を合わせたまま納得いかない様子で眉をひそめたが、諦めたように溜息をついた。
「……分かった」
アレックは苦渋の決断をしたかのようにしぶしぶ引き下がった。
「その方がいいです。私はエリザ様の頬を、こう、思いきりぐいーっと掴んで謝罪を要求したので……どちらかというと私の方が暴力で訴えられるかもしれませんし」
シャノンはぐいーっとのところで腕を宙に上げ、エリザの頬を掴んだ時の再現をしてみせた。
エリザはマフィンを叩きつけた器物破損だけれど、むしろ自分は物理的な暴力行為に値するかもしれないのでアレックが大ごとにして訴えでもしたら分が悪そうだなとシャノンは思った。
「掴んだの?」
「はい」
「タコみたいに?」
「ええ、まぁ……」
シャノンのの答えを聞いたアレックは、右手で口を隠し、そうかと何やら神妙な面持ちで目を伏せた。
その様子から、やっぱりやらかしてしまったのかとシャノンが考えていると、アレックの肩が小刻みに震え「クックッ」と小さい声を発したと思ったら、堪えきれないと言わんばかりに「はははっ」と大きく笑いだした。
「いいね!さすがシャノン!」
愉快に笑うアレックにちょっと引きながらも、シャノンは少しホッとする。
「エリザも驚いただろうに」
「まあ、ちょっと黙らせたかったので強硬手段に出てしまったといいますか……」
「なるほど強硬手段……ふっ、ふふっ、ははっ」
またもや堪えきれず笑いだしたアレックにだんだんイラッとしてきた。
「ちょっと、笑いすぎです」
「ああ、ごめんごめん」
まだ笑いが止まらないアレックから絶対悪いと思っていない態度の謝罪を受ける。
「あれは咄嗟に手が出てしまっただけで…元を正せばアレックが……」
言いかけてシャノンは咄嗟に口を噤んだ。
苛立ちからついうっかり敬称を外してしまった。
昔のように気安く名前を呼ぶ関係にはならないと決めたのに、一緒にいるとだんだん調子が狂ってしまう。
「ああ、やっぱり、昨日の影響か」
どうやらアレックは気付いていない様子でホッとする。
咄嗟にエリザを黙らそうと思った時に、昨日アレックにされたタコさん掴みが頭をよぎって反射的に手が出てしまったので確実にアレックの影響である。
どうしてくれるのかと理不尽なクレームをつけたいくらいだけれど、シャノンはさすがに我慢した。
「いえ、まあ、とりあえずそういう事ですので。私なりに反撃しましたし、この件はこれで終わりにしてください」
「反撃か⋯たしかに。君は理不尽に攻撃されて大人しく黙っているような人でも、誰かに守ってもらうのを良しとする人でもなかったな」
分かったよ、と諦めたようにアレックが溜息をついた。
とりあえずエリザとの揉め事が大ごとにならずに済んだとシャノンはホっとした。




