第92話
「――……見たのか?」
私の声は予想以上に静かで、それでいて震えていた。
「私の……終末を、見たのか?」
一体、いつ、どの瞬間で? 心臓が信じられない早さで脈打っていた。
「……ああ、見てたよ、ずっと。憐と目が合うたびに」
耳の奥で、脈が煩いくらいに響いていた。気づいていて、それでも彼は私を助けようとしたのか。どうかしている。
「あと少しだけ、薬を飲むのを躊躇っていてくれれば良かったのにな。憐は、潔くて困る」
苦笑いするような軽い調子で合崎は言う。私を責める気など一切ない穏やかな声が、今の私には却って辛かった。
自ら命を絶とうとしながら、彼を傷つけてまで自分を守らせて、そうして私は勝手に死んでいくのだ。何て身勝手で、思いやりにかけた人間なんだろう。
「ごめんなさい……」
涙と共に零れ落ちた言葉は、それだけだった。私が、彼を傷つけた。下手な嘘をついて、その優しさに甘えていた。ぼろぼろと何だが落ちていく。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ……」
泣きじゃくれば、余計に意識が揺らいでいく。痛む胸を押さえながら、私はひたすらに謝り続けた。
「ごめんなさいっ、ごめんなさい、空兄様っ……私……」
「……何を、謝っているんだ?」
相変わらず苦笑交じりの余裕ぶった声に、余計に涙が溢れる。完全に、次期軍師の「一条」として振舞うことを忘れていた。
「こんなにも……空兄様を傷つけて、私はのうのうと死んでいくなんて……。空兄様は、私を守ってくれたのに……私は、空兄様の心を守れなかった……」
彼が、私を案じてわざわざ敵陣に乗り込んできた時点で、気づくべきだった。それほどまでに私を心配してくれた彼が、私の終末を確認しないわけがない。しかも、シアンに傷つけられて弱っている私を見たのならば尚更だ。
どうも私には、相手の心情を思いやる力が無くて困る。こんな単純なこと、まっとうに生きてきた人ならばすぐに気づけたのだろう。あまりにも独りよがりな自分が情けなくて、嗚咽を漏らしながら泣き続けた。
そんなとき、不意に頬に手が添えられる。暗闇の中なので、少しおぼつかない手つきだったが、「空兄様」がよくしてくれていたのと同じ仕草だ。
「……そんなこと、憐が泣くようなことじゃない」
笑うような穏やかな声。大好きな「空兄様」の声だった。それだけで、不思議なくらいに心の奥まで温もりが広がっていく。
「――……約束、覚えているか?」
「……約束?」
「憐が、誰の目も届かないような場所へ逃げるそのときには……一緒に行く、と」
どくん、と心臓が跳ねる。確かに、私が学院に入りたての頃、そんな話をした。だが、これから死ぬ私と共に、どこへ行くというのか。
そんな私の疑念を払うように、彼は囁くように告げる。
「――……憐を、一人では死なせない」
それは、いつになく鋭さを帯びた真剣な声だった。決して冗談などではないことが分かる。
「約束を果たしてくれるのなら、全部許してやるよ。……一人で勝手に死のうとしたことも、それを隠していたことも。だから、一緒に死なせてくれるよな、憐?」
静寂が、暗闇を支配する。私は完全に言葉を失っていた。
合崎が、わからない。私のことをどう思っているのかも、まるでわからない。私に会わなければ、彼は幸せに生きられたのだと、彼自身そう言い切ったこともあるくらいなのに、どうしてそうも私に執着できるのだろう。その執着が、愛なのか、激しい憎悪なのか、それすらも判断できずに気が遠くなる。
でもそれ以上に、私を動揺させているのは今の自分自身の感情だった。命を投げ出すような彼の言葉を聞いて、私は激昂すべきなのに、それなのに――。
――それなのに、嬉しい、と感じてしまったのだ。
どうかしている。本当に歪んでいると思う。彼には生きていてほしくて、ここまで頑張ってきたのではないのか。私がいなくなった後も、彼を大切にしてくれる人に囲まれて幸せに生きていってほしいから、彼を帝国へ導こうと考えたのではないのか。
そう考えたことは、恐らく嘘ではない。本当にそう願う自分がいたことは確かだ。だがその裏では、全く別の醜い願いを抱いている自分が存在するのも間違いない。
私がいなくなった後、いつまでも私の死を引きずって、苦しんでくれればいいのに。私と過ごした日々の重みに、押しつぶされてしまえばいいのに。
そうすれば、一秒も忘れられない私が、どれだけ苦しんでいたかも分かってくれるでしょう。
口が裂けても言えないような、醜い感情だった。本当に、自分で自分がおぞましい。
ふと、私の頬に触れた彼の手に、そっと自分の手を重ねる。とても安心する、大好きな手だ。彼の手に擦り寄るように、そっと頭を傾けた。
けれども、本当の気持ちはもっと単純なものなのではないかとも思う。叶いそうにない想いを誤魔化すために、いつしか歪みが生じてしまっただけで、元を辿れば願いは至ってシンプルだ。
きっと、私は彼と一緒にいたかっただけだ。本当に、それだけなのだと思う。次期軍師だとか、能力だとかを抜きにして、私は「空兄様」の隣にいたかっただけなのだ。
そんな想いに今更気づくなんて、私も大概どうかしている。こんな暗闇の中、最早どうすることもできないというのに。
「……ごめんね、空兄様。私は、それでも……空兄様と一緒に生きていきたかったよ。空兄様はそんなこと、望んでないかもしれないけどね」
それが叶わないのならば、せめて空兄様には生きていてほしい。許されなくても構わないから。
でも、その言葉は言えなかった。今の私が口にするには、おこがましいにも程がある。
「――……っそんなこと、俺だって――」
「憐姉様っ! 空兄様っ!」
彼の言葉を遮るように、唐突に可憐な少女の声が響く。あまりに突然の出来事に私は茫然として、暗闇を見据えることしか出来なかった。




