番外編 北条美沙緒の悩み
私はかつて殺人鬼に飼われていた。
男に名前はない。あえて言うならマスコミがつけた【アンノウン】だろうか。
太古の昔から名前のない化け物は、名前を与えられることによって、ただの動物と成り果て討ち果たされた。
【名がない】というのはそれだけ強い。我々の力では勝てない存在なのだ。
かつて男は最強の化け物だった。
誰にも知られず、誰も捕まえられず、何百人という人間を殺した怪物。
だが男は相良光太郎と戦い、敗北した。
そして【被告人甲】とか【アンノウン】とかと名前をつけられ、ただの殺人犯に成り下がった。
私は男に殺人の業を仕込まれた。それは精神的虐待に等しい。
だが男は決して私に性的な虐待を加えなかった。
テレビの心理学者が言うには、殺人鬼とはそういう生き物らしい。
力と引き替えになにかを失った存在なのだ。
だとしたら……私は……。
今、私は生みの母と一緒に暮らしながら、芸能事務所に所属している。
育った環境のせいで小学校卒業程度の学力もないし、それに私は有名すぎて普通の職に就くのは難しいだろう。
警察からは名字と名前を変えることも提案されたが、私は母と暮らしたかった。
母を愛しているからではない。自分が人を愛せるか知りたかったのだ。
正直言って、母のことはまったく記憶にない。
情も、恨みも、怒りも、恐怖すらもない。
生きるために必死だったときにはわからなかった。
私の心は空っぽなのだ。
私が情を寄せることができるのは、妹である美香。それに私を救った相良光太郎……。
美香は私が家族だと思っている数少ない人間だ。でも相良光太郎は……? よくわからない感情だ。
だがそれすらも普通の人間の情と同じものなのか。それはわからない。
ただ新しい環境下でのストレスから来る執着心かもしれない。
苦しいという感情すらないので一歩引いて世を眺めている。
それが私なのだ。
だけどそれは誰にも言えない。口が裂けてもだ。
それはあくまで私の内面の問題だ。
迷惑をかけたくない。
感情があるように振舞うことはできるし、たいていは気づかれることはない。
私は親を想うことすらできない無能だ。
だが、そんな私にも特殊能力と呼べるものがある。
それが人殺しを見分ける力。
感情を失った同族を見分ける力。
それは無差別な力。コントロールはできない。
その日もそうだった。
私は楽屋に挨拶に行った。
相手は超有名演歌歌手。
アイドルなのか女優なのかわからない中途半端な立ち位置の私が挨拶に行っても、相手も不愉快だろう。
でも慣習なのだからしかたがない。
適当に笑顔を作ればそれでいい。
なあに相手は大御所だ。中学生相手にムキになることはないだろう。
控え室をノックし、返事が返ってきたので中に入る。
白髪頭でサングラスをしたおじさんが中にいた。
中富洋三。演歌歌手で俳優。大御所中の大御所だ。
私は名を名乗り「よろしくお願いいたします」と頭を下げる。
そして顔を上げた時に私は見てしまった。
「そうか君が……ちゃんと挨拶ができるのか。がんばってくれよ」
男は……人殺しだった。
「ありがとうございます」
私は眉一つ動かさず礼を言った。
それでいい、たとえ相手が人殺しでも私には関係ない。
正義感を振り回す気などない。
私はさらに頭を下げて楽屋を出ようとした。
「……君は人形みたいだな」
「よく言われます。中富先生、人形はお好きですか?」
たぶん【顔だけはいいね】という意味だろうと私は考え、適当に返事をした。
だが中富は意外な言葉を発した。
「そういう意味じゃない。君は……ここが空っぽなんだな」
そう言って中富は胸を叩く。
「わかりますか!」
あ、やってしまった!
思わず不適切な声のトーンで答えてしまった。
ここは困惑したフリをすればよかった!
だけど怒られるかと覚悟したが、中富は悲しそうな顔をしただけだった。
「ああ……わかるよ。私の妻がそうだった」
「妻? ……奥さん?」
確か中富の妻は去年ガンで亡くなったはずだ。
「あれは……かわいそうな女でね……。心がなかったんだ」
私とまるっきり同じだ。
世の中には似たような人がいるようだ。よかった仲間がいる。
「いつも悩んでいたよ。自分には心がないってね。じつに愚かだ。それこそが感情だというのにね」
「そういうものですか?」
「君は好きな子がいるかね? 誰にも言わないよ」
「好きかはわかりませんが……執着している男性ならいるようです」
真っ先に相良光太郎の顔が思い浮かんだ。
「なぜ執着してるんだ?」
「彼なら……私が育ての親の【アンノウン】みたいになったら……殺してくれるからです」
自分で口にしてようやくわかった。
あ、そうか。私は人殺しをしたくないのか。だが相良光太郎に執着してたのだ。気が付かなかった。
「そうか……それは悲しいね。でもいいことだ」
「どうして?」
「人間の中にはね、人を愛せない人間がいる。でも君の執着は愛だ。君は人を愛することができるんだ」
よくわからない。
人の感情とはかくも難しいことなのか。
肉よりも骨よりも複雑だ。
「私もね。悲しい女だった妻が好きだった。でもね、でもね、恨んでいた」
消えそうなほどか細い声で、ぽつりと中富が言った。
「……殺したんですね」
「ああそうだよ。彼女は病気でね……。なんにもできなくなってしまった。もう限界だったんだ」
「どうして否定されないのですか?」
中富は下を向いた。
そして絞り出すように言った。
「君と目が合ったとき、その瞬間にわかったよ。同類なんだってね。君には隠し事なんてできないってね」
「私は黙ってますので気にせずにいてください」
正直言って面倒だ。
また悪いうわさが立つ。
「いいや、君のおかげで自首する決心がついたよ」
「どうして……ですか?」
「感情が人形だと自分を責めている君にも愛の感情はあった。妻もボクを愛してくれていたんだとわかったんだ」
よくわからない。私には実に難しい感覚だ。
「いいんだ。わからなくていいんだ。ただね、君は彼と会話をすべきだ」
「どうして? それに話題もありませんし」
「話題なんてなくていい。とにかく君は、君自身のために彼と話をすべきだ。話題なんてなくていい。ただ話がしたいって言ってみなさい」
「は、はあ、努力してみます」
それしか言えなかった。
「今から警察を呼ぶよ。撮影は中止になるだろうけど、君に説得されたって言うから話題にはなるだろう。後のことも頼んでおくよ」
中富はそのまま携帯電話を取りだしてどこかに電話をはじめた。
私も廊下で携帯を取り出し、相良光太郎へSNSからメッセージを送信する。
【話がしたいです】
すぐに電話がかかってくる。
私は隠れられる場所に行くと通話を開始した。
「どうした北条?」
相良光太郎が出た。
でも次の瞬間、女の子の怒鳴り声が聞こえてくる。
「あー、お兄ちゃん! 私のアイス食べたな!」
「美香ちゃん。北条と話してるから、ちょっと待って!」
「えー、話終わったら代わってくださいね!」
私はそのやりとりを聞いただけでクスクスと笑いが漏れた。
心の底から笑うのは何ヶ月ぶりだろうか。
「どうした? なにか困ってるのか?」
「ううん。なんとなく声を聞きたくなって」
ああ、そうか。
私は彼の前でだけは人間になれるのだ。
「そっか。仕事どうよ」
「うん……今ね。中富さんが警察に自首するって……」
そのあと相良光太郎は大慌てだった。やはり彼は面白い。
会話を終えたころ、警察が来て私も警察に呼ばれた。
明日はニュース番組の取材で忙しくなるだろう。
あ、今面白いことを考えた。
今度、「好きなタイプは?」って聞かれたら「相良光太郎」って答えてやろう。
母親ともちゃんと話し合おう。今まで適当に流していたカウンセリングもちゃんと受けるとするか。
相良光太郎を手に入れたらもっと面白いに違いないのだから。
急遽書いてみました。
北条なので少し暗め。
時系列的に2章の前です。




