【プロローグ】
僕はどうやら、ヤバい所まで来てしまったらしい。
いつの頃だったか——人を殺すことが、呼吸と同じくらい自然に出来るようになった頃か。まあ、そんな事はどうでもいいか。とにかく、僕に取り憑いてる死神がわけのわからない事を言ってきた。
「啓敏よぉ。このクリスタルを飴玉みたいに一息に飲み込んでみてくれよぉ」
「え〜。嫌だよ」
放課後の、人通りの少ない帰り道。僕の隣を歩きながら、ヤツは手のひらにのせた小さな水晶玉を差し出してくる。透明で、複雑なカッティングが施されていて、夕日を受けてキラキラしてる。綺麗だとは思う。でも食べ物じゃない。
「飴ならともかく、それって完全に水晶じゃん。人は石を飲み込んでも消化できないんだよ」
「そんな事はわかってるって」
黒いローブをひらめかせて、骸骨顔の死神が笑う——正確には、顔が骸骨だから笑ってるのかどうかよくわからないんだけど、雰囲気でそう感じる。
「ワニだって石ころを飲んでないと浮いてきちまうだろ?それと同じなんだってばよぉ。これを飲めば啓敏も周りから浮かなくなるかもしれないぜ?」
「え?」
僕は思わず足を止めた。
「僕ってそんなに浮いてたの?かなり、目立たないように気をつけてんだけどなぁ」
職質を避けるために原付の名義もちゃんと変えてる。出刃包丁はサラシに巻いてカバンの中の調理師学校のパンフレットの隣に収めてる。バイトだって居酒屋で続けてる。万引きGメンに一度も疑われたことがない。我ながら、かなり用心深くやってると思うんだけど。
「それは人間同士から見られた時の啓敏だろ?でも、死神界隈から見ると啓敏は浮きまくりだぜ?」
死神界隈。
なんか、そう言われると妙にリアルな響きだな。
「……まあ、死神の言うことなら信用できるけどさ」
僕は歩き出しながら言った。
「それじゃ今夜、家に帰ってから飲んでやるよ。でも、それ、本物の水晶なんだろ?高かったんじゃないのか?」
「あぁ、高い!死神界ではかなり高価だ」
ヤツは大きな鎌をぐるんと肩に担ぎ直した。
「けど、俺は啓敏の事が気に入っちまったからなぁ。俺が飲むよりも啓敏が飲んでくれた方が、俺よりも上手く扱えそうだからな」
「上手く扱える?水晶を?どうやってさ」
「まあ、そこは飲んでから教えた方が早い。今、俺が説明したところで啓敏なら信じねぇもん。だから、まずは飲め」
「わかった、わかった。飲むよ。飲んでやるよ!」
——そういうわけで、僕が住んでいる安アパートに帰ってくると、死神は待ってましたとばかりに水晶玉を僕の手のひらに転がしてきた。
改めてよく見ると、本当に綺麗だった。複雑にカッティングされた面が、室内の蛍光灯の光を受けてそれぞれ違う方向に屈折させてる。これを飲むのは流石に勿体ないなぁ、とは思った。
でも、目の前の死神が早く飲めと期待した顔——たぶん——をしてるから、口の中に放り込んだ。
コロッと、喉を通過した瞬間——
脳天に稲妻が走った。
「っ……!」
声も出なかった。胃に届く前に、水晶玉が身体の中で溶けていくのが体感でわかった。骨の髄まで、何かが染み込んでいく感覚。痛くはない。でも、確実に何かが変わった。不思議な感覚だったのを、今でもハッキリと覚えてる。
しばらく黙ってた僕に、死神が声をかけてきた。
「なあ、啓敏。どうだ?」
「……なあ、死神」
僕は自分の手のひらを見ながら聞いた。
「これいったい何なんだ?」
「それは俺たちを殺せる魔法だ」
死神は、どこか楽しそうに言った。
「回復魔法。白魔法とも言うよな」
——
この日。
僕はヒーラーになったんだ。
人を治すためじゃなく——まあ、それ以外の理由で。
【第一話へ続く】




