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第9話:獣の魔法

 

 弟のパーカーが生まれてから、1年経った。

 今のところ、パーカーは普通の赤ん坊のように見える。

 自分のように、生後半年の少しで喋り始めるようなこともない。自分が転生したばかりで赤ん坊だった頃にやってたみたいな、魔素を移動させるだけの遊びもやってないように見える。

 普通の可愛い赤ちゃんだ。

 それで良いのか悪いのか...転生者が生まれる確率はやはり相当に低いのかもしれない。

 もちろん、油断はしていない。

 日本語で「こんにちは」と言ってみたり、英語で「ハロー」と囁いてみたりはした。結果、パーカーは何の反応も示さず、不思議そうな顔をしていた。


 今のところ、弟は普通の赤ん坊だ。それで良い。たぶん。


 母エリスの出産のために訓練をあまりしてくれなかった父ルイスだが、パーカーが生まれてしばらくすると、またいつものように訓練に戻った。

 一つ大きく変わったのは、訓練に新しい先生である戦士コーシーさん、そしてコーシーさんの息子であるアルベルトが加わったことだ。

 アルベルトとは、元から人形づくりや実験で頻繁につるんでいた。

 ロボット人形を作ってからというもの、毎日空き地で遊んでいる。実験にも付き合ってくれているし大助かりなのだ。

 で、彼らと一緒に何をしてるのかと言うと、身体強化魔法、すなわち、獣の魔法の練習だ。

 ルイスが助産師の人を呼びに行った際、凄いスピードで走っていた。この中世で馬より速いスピードは尋常じゃない。

 それが何の魔法なのか聞いたところ、獣の魔法というものらしい。

 ルイスは基礎的な獣の魔法しか使えないが、ルイスの友人である戦士コーシーさんは獣の魔法の凄腕らしい。最難易度である「獣王化」を使えるのだとか。

 ちなみに、ルイスが使えるのは「獣身化」だ。どちらであっても、身体強化されるのは間違いないし、そもそも本来ルイスは魔法がメインの魔法使いだ。普通の魔法使いなら獣身化だけでも無双だろう。

 アルベルトも、そろそろ獣の魔法を練習し始めるつもりだったらしく、ちょうど良いから一緒に訓練することになった。

 ちなみに、姉マリーも最初は参加していた。


「私もやる!パウルだけ新しい魔法を習うなんてずるい!」


 と、最初はやる気満々だった。マリーは基本的に優秀だ。水魔法も土魔法も器用に使うしね。訓練では俺より上手なことも多い。

 ただ、獣の魔法の訓練は、マリーの想像していた「きれいな魔法」とはかなり違った。


 最初の日。


 朝露の残る庭で、コーシーさんが静かに立っていた。ルイスのように冗談を言ったり、派手に笑ったりはしない。背筋を伸ばして、ほとんど動かずにこちらを見る。


「まず走り込みだ」


 コーシーさんは短くそう言うと走り出す。


「え?魔法は?」


 マリーが首をかしげる。


「走ってからだ」

「どれくらいですか?」

「俺が止まるまでだ」


 マリーの顔から笑顔が消えた。俺の笑みも消えた。

 アルベルトだけが「よし!」と嬉しそうに拳を握っていた。お前は何が嬉しいんだ?

 それから本当に走らされた。庭から村の外れまで、村の外れから森の手前まで、そこからまた家の近くまで。子供の体にはかなりきつい。ルイスは横で霧をまといながら涼しい顔で見ているし、コーシーさんは一緒に走っているのに息一つ乱さない。アルベルトは子供三人の中で速い。まだ獣身化を使えていないのに、体力が段違いだ。地面を蹴る力が強く、転んでもすぐ立ち上がる。顔は明るい。汗だくだが、楽しそうですらある。


「パウル!遅いぞ!」


 前を走るアルベルトが余裕そうに声をかけてくる。


「ゼェハァ。ハァ。う、うるさい! こっちは魔法使いなんだよ!」


 自分に喋る余裕はない。


「でもルイスさんは速いぞ!」


 元気そうなアルベルト。確かに、父ルイスはコーシーさんと一緒に先頭を走っている。


「父は例外だろ!」


 思わず答えた。


「じゃあパウルも例外になればいいだろ!」


 そういって、アルベルトは先頭に追いつこうともっと速く走り始め、俺とマリーを置いてきぼりにした。アルベルトは発想が直線的すぎるな。そういう発想も嫌いではないが、短絡的だとは思う。まあ、まだ片手で年齢を数えられる子供だしそんなもんだろうけど。

 走り終わった後、今度はいよいよ獣の魔法の訓練が始まった。


「はじめに習得するのは声だ」


 コーシーさんが言った。


「声?」

「獣の魔法には、声を獣のように拡声させるものがある。ボイスカノンだ。まず見本を見せよう。」


 ボイスカノン。名前がまんま魔法の世界のそれだね。いや、まあ、魔法の世界なんだけどさ。なんなら太陽も二つあるし、驚きでもないけど。

 コーシーさんが手本を見せてくれる。大きく息を吸う。次の瞬間、空気が震えた。


「ハッ!」


 短い声だった。だが、体の芯に響いた。耳が痛いというより、胸を押されたような感覚だ。近くの森に止まっていたであろう鳥たちが一斉に飛び立ってゆく。アルベルトの目が輝く。


「すげえ!」


 マリーの目は死んでいた。


「...これ、やるの?」

「そうだ。」


 コーシーさんが短く頷く。

 まずアルベルト。


「ハッ!」


 声は大きい。かなり大きい。だが、ただ叫んでいるだけに近い。まあ、実際叫ぶだけの訓練だけど。


「喉から出すな。腹だ。それと、魔法を使えていないぞ。」

「はい!」


 次に俺。


「はっ!」


 自分でも分かる。弱い。研究発表でマイクの前に立ったときの声量と大差ない。あの時も「中嶋君、後ろまで声が聞こえてません」と教授に言われたものだ。

 コーシーさんは少し黙った。


「パウル君も魔法でできていないな。」

「パウル、声ちっちゃいね」


 マリーが横で笑った。


「じゃあ、姉さんもやってみなよ」


 思わず答えた。


「いいわよ。見てなさい」


 マリーは胸を張って、息を吸った。


「はあっ!」


 声は出ている。出ていたが、直後にマリーは顔をしかめた。


「喉が痛い!」

「腹から声を出せば、痛くないさ。それとマリーお嬢さんも魔法が発動できていないな。」


 コーシーさんが淡々と言う。


「こんな訓練、私嫌い!」


 マリーは即座に不満を言った。


「魔法なのに全然きれいじゃない!叫ぶだけじゃない!こんな野蛮な魔法より、ママの魔法を習うもん!」


 そう言うなり、止める間もなく、マリーは訓練場から離脱した。実に早かった。撤退判断が非常に早い。合理的とも言える。いや、違うな。あれは単に訓練内容がきらいだっただけだ。


「マリーさん、もうやめるのか?」


 アルベルトは驚いたように言う。アルベルトも年上の女子には流石に丁寧らしい。「アルベルトも空気読めるんだね」なんて思ったのは失礼か。デリカシーがあるから言わないけど。


「やめる!私はお母さんみたいに水とか土とか、ちゃんと役に立つ魔法をやるの!」

「マリー、獣の魔法も役に立つと思うぞ?」


 傍から思わず突っ込むルイス。


「パパは静かに!」


 それだけ言って、マリーは家の方へ戻っていった。


「まあ、エリスはああいうの好きじゃないだろうね。」


 ルイスは苦笑していた。


 そうして、二人になった獣の魔法の練習。その後も訓練は継続した。



 しかし、結論から言うと、自分は獣の魔法を習得できなかった。

 なぜか分からないけど、いくら魔素を獣の魔法に必要な前処理をして、腕や足に纏わせて、イメージをしても発動しない。コーシーさんは、獣身化の前処理をかなり丁寧に見せてくれた。魔素を体の表面にただ纏わせるのではなく、筋肉や骨、腱の動きに沿わせるように流す。体の内側にもう一つの獣の輪郭を作り、それを自分の体に重ねるような感覚らしい。


「獣をイメージしよう」


 コーシーさんは言う。


「地を蹴る足。獲物を追う目。噛み砕く顎。」


 なるほど、分からん!

 いや、言葉としては分かる。イメージもできなくはない。だが、それを自分の体と重ねるところで止まってしまう。自分は現代日本で29年間生きた人間だ。全力疾走といえば体育の授業か、終電を逃しそうになって駅まで走った時ぐらいである。獲物を追ったことも当然なる訳ないし、噛み砕く顎と言われても、せいぜい硬いフランスパンぐらいしか思い浮かばないぞ?

 一方、アルベルトは違った。


「こうかな?」


 そういって魔力を足に纏わせ跳躍する。アルベルトの足元の土が弾けた。

 次の瞬間、アルベルトの体が一歩分ではなく、数歩分前へ飛んだ。


「うおっ!」


 本人も驚いて着地に失敗して転がった。だが、成功だ。

 コーシーさんは表情をほとんど変えなかったが、少し嬉しそうに頷いた。


「その調子だ。続けろ。」

「はい!」


 アルベルトは嬉しそうに立ち上がる。

 泥まみれだ。膝も擦りむいている。でも笑っている。

 こういうところが、自分とは違う。自分ならまず「今の加速度で膝にかかる負荷は大丈夫なのか」とか余計なことを考えてしまう。だが、アルベルトは「今のすげえ!もう一回!」になる奴だ。

 でも、だからこそ獣の魔法には向いているのだろう。

 コーシーさんは俺にも何度かやらせた。腕に魔素を流す。足に魔素を流す。獣の輪郭を作る。走る。跳ぶ。叫ぶ。失敗。失敗。失敗。魔素の流れは整っている。でも、発動しない。


「力を出すイメージが薄いのかもしれない」


 コーシーさんが言った。


「薄い?、ですか」

「パウル君。君はいつも体を守るように動いている」

「...そうですか?そんなつもりはなかったですが」

「見ていれば分かるさ。しかし、動くことを恐れる者に獣の魔法は使えない」


 コーシーさんが悩ましそうに言う。


 きっと自分は心のどこかで人体の限界を超えた動きを怖がっているのかもしれない。そもそも、29年間をぬるま湯な現代を生きてきた人間からすると、超人的な力を持つというのはあまり想像できない。

 君は高さ10メートルもジャンプできるだろうか?

 車より速く自分が走れる姿をイメージしたことは?

 夢のなかでならあっても、現実で見たことは、ないはずだ。イメージ出来ないことは、魔法として発動しない。つまり、自分の脳がボトルネックになっているわけだ。

 ということで、獣の魔法については習得できず、護身術的なものを習っただけになった。もっとも、この護身術はかなり役に立った。コーシーさんは、剣を持つ相手を倒す方法、転ばされた時の起き方、掴まれた腕の外し方、背後を取られた時の逃げ方など、色々なことを教えてくれた。

 言葉数は少ないけどね。


「肘を抜く」

「腰を落とす」

「足を止めるな」

「見るな。感じろ」


 最後のは急に精神論っぽいが、ちゃんと意味はある。相手の肩や目だけを見ると騙される。足音、地面の揺れ、服の擦れる音、魔素の動き。全部含めて相手を見るということらしい。...難しい。

 ただ、何度もコーシーさんから手痛い木刀を食らう事で、少しずつ分かるようになってきた。

 その一方で、アルベルトは、しっかり獣の魔法の基礎である獣化と獣身化を身に着けた。

 悔しいかと言われると、少し悔しい。だが、納得もある。あいつは朝から晩まで動いている。走る。跳ぶ。転ぶ。笑う。もう一回やる。失敗しても全然折れない。単純なようで、強い。

 一通り訓練も終わった最近は、模擬戦をやっている。アルベルトが獣の魔法を使い、そして、俺はレーザー魔法以外の魔法を使って模擬戦だ。お互いにお互いが身に着けている帽子を盗めるかの勝負だったり、時々ちゃんと無力化させるための勝負と日によってお題が違う。


「今日も俺が勝つぞ、パウル!」

「それはこっちの台詞だよ」

「でも昨日も一昨日も俺が勝ったぞ!」

「統計的に過去の勝敗は未来の勝敗を保証しないぞ」

「言ってることは、意味不明だけど、今日も俺が勝つ!」


 会話をしてるようで成立してないな。コーシーさんの「はじめ!」という合図と共に勝負が始まる。

 俺はまず地面を泥沼にする。アルベルトの足を止めるためだ。だが、俺の魔法発動前に、アルベルトは獣身化で横へ跳ぶ。速い。俺は、手の中で急速に水を生成させ、水鉄砲としてアルベルトに向かって放つ。水で目をつぶらせるのだ。


「うわっ!」


 顔面に水が命中しアルベルトが目を閉じる。

 よし、と思った瞬間、横から風を切る音。見えていないはずなのに、アルベルトは勘で突っ込んできた。アルベルトは勘が鋭い。俺はアルベルトの足元に小さな岩を出す。転ばせるためだ。

 だが、アルベルトはそれを軽快な足取りで避けて ――


「は?!」


 次の瞬間、帽子を取られた。負けた。

 ルイスが笑っている。


「パウル、今の岩は悪くなかったぞ。まあ、アルベルトはその技を何回も見てるから通用しなかったがな」

「ええ、そうですね。」

「アルベルトは考える前に動いているし、魔法の発動だけだと追いつくのは厳しいな」


 コーシーさんが呟く。


「褒めてる?」


 アルベルトが聞く。


「...半分はな」


 少し考えてから答えるコーシーさん。半分は違うらしい。


 模擬戦では、自分の魔法はレーザー魔法みたいに殺傷能力が高すぎるから使えないのが多いのもあって、基本的に自分が負けている(あと、自分のアプローチが一本調子だから)。さっきの水鉄砲だって、水圧を高めれば失明するぐらいの威力になるだろうが、訓練で失明させるわけにもいかないし、仕方ない。

 一応、威力がほとんどない光(レーザー魔法)を当てたら勝ちというルールもあるけど、だいたい当てられる前に勝負はついている。近接戦において魔術師が激弱という典型例だろう。

 ルイスみたいに、色んな魔法をバランス良く使えて、獣身化まで身に着けている魔術師のほうが珍しいらしいから、仕方ない。

 それに、護身術や便利系の魔法、たとえば地面を泥沼にする、水鉄砲、フラッシュによる視覚の奪取、岩を足元に出して転ばせる、風の魔法を用いて足音を消す、といったものを学ぶことは、全体的な対応力を上げてくれた。


 それにだ。模擬戦ではなく、本当に実戦で戦士を()()()()()()簡単だ。

 レーザー魔法か火の魔法を大規模に使用すれば、そう時間もかからないうちに丸焦げだろう。当然訓練では使えない。そのうえ、そんな事をして魔力が底を尽きて不意打ちされたら駄目だから、本当の戦いでもそんな事できる訳がない。コーシーさんも訓練中そこに関しては、かなり厳しかった。ありがたい指導だった。



 結局獣の魔法を諦めた後は、魔法として最近訓練しているのは雷の魔法だ。

 より正確に言うなら電磁気力を操る魔法だろう。

 ルイスもコーシーも使えない。しかし、驚くべきことに母エリスが使えるのだ!

 なんで?!と思ったら、どうも、昔王都の学校に居た時に、雷の魔法を扱える魔術師が王都に来た事があるらしく、その時に身に着けたらしい。ちなみに、母の必殺技は、「雷電麻痺」、つまり人に微弱な電流を流す攻撃なのだ。恐るべしエリス!いやぁ、最近ルイスがパン屋の若い奥さんの胸を凝視してたのが、エリスに見つかった時の()()()は本物だったんだ...。

 なにはともあれ、エリスは簡単な雷の魔法を使える。だから、何度か雷の魔法を見せてもらったのだ。


 電磁気力。


 自分の物理学者としての研究の一つは()()()()()()()()()()()()()()()()() というものだった。そうすることによって()()()() ―― って話が逸れた。


 とにかく電磁気力を操り電流や磁場を発生させる という事象を自分は何度も研究で使ってきた。そして、それが雷の魔法なのだ。そのおかげか、めっちゃ簡単に習得できた。そして同時に、この世界で雷の魔法を扱える人が少ないのは、電磁気力に関する理解が甘いからだろう。イメージが荒く不正確な分だけ、発動コストも高く、発動失敗の確率も高まるのだ。

 それに、電気は導体が使えない環境の場合、効率が極端に落ちる。だから、水のなかにいる人間が感電するように水に電気を流すぐらいしか活用がこの世界ではされていない(めっちゃ凶悪だけどね)。

 なんにせよ、1週間ぐらいかけて、雷の魔法を使えるようになった。望んだ場所に電気を流して、ついでに電磁場も発生させられる。だから、ほら、鉄も浮かせることができる。

 最初は、このいたずらでルイスやアルベルトを驚かせて遊んでみた。

 訓練の終わり、小さな鉄片をふわりと浮かせる。


「おおおおおお!」


 アルベルトは目を輝かせた。


「すげえ!なんだそれ!」

「磁場だよ」

「じば?」

「磁石って、鉄を引き寄せるだろ?あれと雷は、かなり根っこのところで同じ力なんだよ」

「つまり、見えない手か!」

「かなり雑だけど、まあ、遠からず?」

「じゃあ剣も飛ばせるのか?」

「条件次第ではできると思うけど、多分めっちゃ難しいし不効率だぞ」

「かっこいいな!俺も使えるようになりたいな!」


 アルベルトの理解は浅そうだがやる気は充分そうだ。

 ルイスは最初、重力魔法かと思ったらしい。


「パウル、それは重力をいじっているのか?すごいな!重力魔法は ――」

「いや、違いますよ。磁場ですよ」

「磁場?」

「鉄とか一部の金属に作用する力。重力とは別なんです」

「...別なのか?」

「別です」

「でも浮いてるぞ?」

「浮いてるからって全部重力じゃないですよ。それに、岩は持ち上げられないです。」


 苦笑するしかない。説明して納得してもらえるまで時間が掛かった。どっちにしろ、雷の魔法を使えるということで喜んでくれたけど。ちなみに、ルイスは重力魔法を少しだが使えるようだ。ただ前処理がおかしいのか発動効率は激悪。自分もルイスの重力魔法の発動するところを見たけど、あれを真似しても発動できなかった。やり方をかなり間違ってそうだ。ルイスも、相手が使う重力魔法へのレジストぐらいしかできないらしいし...仕方ないだろう。


そんな感じで訓練も山あり谷ありで進んでいる。



 ルイスと言えば、缶詰の話をすると食いついた。ただ、最初からルイスが缶詰の価値を理解したわけではない。缶詰を作ってそれを我が家の地下室に保存したいと相談した時のことだ。


「食べ物を金属の容器に入れて、密閉して、加熱する?」


 ルイスは眉をひそめた。


「それで何が変わるんだ?」


 当然の反応だ。この世界に缶詰はない。だから、まず説明が必要だ。


「腐る原因を減らせるかもしれないです」

「腐る原因?」

「空気に触れたり、虫が入ったり、目に見えない小さな生き物が増えたりすると、食べ物は悪くなるんです」

「目に見えない小さな生き物?」


 ルイスは変な顔をした。まあ、そうなるよね。顕微鏡もない世界で細菌の話をしても、かなり怪しい。


「そこは今は置いておいて。とにかく、食べ物を外と切り離して、さらに熱を入れれば、長く持つ可能性があるんです」

「可能性か」

「その可能性を確認するためには、試してみないと分からないでしょう?」


 ルイスはしばらく考えていた。

 未発達な世界の食料というのは、腐敗や虫などによって保存が難しい。

 それに、我が家スチュアート家がローラン帝国との国境地帯に近く、それも、街道に適度に近い場所に住んでいるのも大体察しがついている。ほぼ間違いなく、軍隊絡みだろう。文字も問題なく読めるようになったから、ルイスが手紙で実家やこの国の軍と連絡を取っているのは知ってる。

 だから、ルイスが缶詰に興味を持つだろうと確信していた。缶詰を保存するには地下室を使いたいから、ルイスの興味を惹いておきたいし丁度良い。

 ただ、ルイスもまだ半信半疑だった。


「本当にそれで保存できるなら、大したものだが...」

「だから試すんですよ、父さん」

「まあ、それもそうか」


 そうして、腐敗を防げるか確かめるため、実験をすることになった。

 貴重なスズを全部使うことになったけど、仕方ない。

 村で採れたリンゴ ―― 色が赤ではなく、ちょっとピンクっぽい ―― とか、ジャガイモっぽい芋類とか、豚肉の保存などを行った。

 エリスも最初は不思議そうに見ていた。


「これ、本当に食べ物を入れてしまうの?」

「そうです」

「密閉するんでしょ?どうやって開けるの?」

「土魔法で開けられますよ。それに魔法が使えなくても缶切りも作るから大丈夫です」

「缶切り?」

「この容器を開ける道具です」

「...ふーん?」


 少々納得してない感じではあるな。まあ、想像がつかないよね。

 あと、マリーも当然のように口を出してきた。


「ねえ、リンゴを入れるなら甘くして!」

「甘くって?」

「蜂蜜!」

「蜂蜜は高いから駄目ってか、今この家にないよ。」

「え~~」

「実験だから、まず普通のリンゴ」

「ちぇ。」


 マリーは不満そうだった。


「じゃあ、次は私の分も作って。リンゴと蜂蜜と、あと木の実!」

「それ、保存の実験じゃなくておやつの要求じゃない?」

「でも保存できるなら、おやつも保存できるでしょ?」


 妙に筋が通っている。自分もおやつは欲しいし、それは試してみてもいいかも。


「成功したらね」

「約束ね!」


 約束させられた。成功したら甘いお菓子の缶詰を作るのも悪くない。災害用クッキーみたいな。この世界は甘味が本当に少ないから、遠い先になりそう。

 一日かけて缶詰を何十個も作った。缶詰は、ルイスに許可をもらって地下室に置いた。

 本当なら条件を変えて、もっと細かく比較したい。加熱時間、密閉の精度、容器の厚み、保存場所、食材ごとの違い。やりたいことはいくらでもある。

 だが、材料も時間も限られている。現代の研究室なら実験計画書を作って、サンプル数を増やして、条件を揃えて、統計的に ―― などとやるところだが、ここは異世界の村である。

 資源も設備も人手もないので、諦めるしかない。


 五カ月後、リンゴやイモ類の缶詰の一部を開封して、村で飼われている豚に食べさせてみた。

 いきなり人間が食べるのは怖い。豚が食べても問題がないか、一週間様子を見る。結果、問題はなかったようだ。少なくとも、すぐに腹を壊したり死んだりはしていない。

 安全が確認出来た後、地下室にあるリンゴの缶詰を数個開けた。ルイス、エリス、マリーが見守る中、蓋を開ける。腐敗臭はしない。見た目も大きく崩れてはいない。リンゴタルトのリンゴみたいだ。ルイスは少し驚いたように中を覗き込んだ。


「五カ月前のリンゴだよな?」

「はい」

「...腐ってないように見えるな。匂いもリンゴだな」


 ルイスの半信半疑が解けつつあるのか、ホッとしたような顔だ。


「虫も入ってないのね」


 エリスも目を丸くした。


 初めに、自分が少し食べてみる。

 甘い。

 驚いた。理由はちょっと分からん。加熱のせいか、保存中に渋みが弱まったのか、それとも単に気のせいか。生物系は専門外だからな。まあ、アップルタルトって甘かったし、多分加熱じゃないかな?分かんないけどね。

 ルイスも食べて、不思議そうな顔をした。


「...甘いな」


 エリスも一口食べた。そして、ぱっと表情を明るくした。


「本当だわ。これ、あのリンゴよね?」

「うん」

「そのままだと少し渋いのに...」


 エリスは嬉しそうに缶の中を見た。


「これが冬にも食べられるなら、すごく助かるわね」


 ルイスにとっては軍や保存食。エリスにとっては家族の食卓。同じ缶詰でも、見る場所が違うのだろう。マリーも皆の反応を見てから恐る恐る食べた。


「甘い!」


 目を輝かせて、一気に食べはじめるマリー。

 この調子だと、保存してある缶詰は全部開けることになりそうだが大丈夫だろうか?

 ちょっと不安だな。こっそりつまみ食いされないように封を厳重にしておこう。今も保存されている缶詰が十個ぐらい我が家の地下室に眠っている。だが、そいつらは一年後に開きたいのだ。今じゃない。だから、つまみ食いは困るのだ。

 缶詰の話に戻るけど、現代知識で考えれば、缶詰で保存できる期間は数年というところだろう。ただ、この世界の材料と作り方で絶対的な安全を求めるなら、まずは一年を目安にした方がいい。

 この世界では一年間安全に食料を保存するだけでも大変なのだ。腐ったり、虫やネズミに食べられたりするので、穀物だって安全じゃない。

 しかし、缶詰ならそれらの問題を解決できる。それに缶切りも作ってある。非魔術師用だ。土の魔法を操れる者なら、缶切りは必要ないはずだ。なぜなら、金属に魔素を通して蓋だけ外れるようにすればよいのだから。少し魔力を使うだけだ。ただ、世の中の人間全員が魔術師ではない。だから、道具として開けられる方法が必要になると思い作っておいたのだ。

 リンゴや豚肉を食べた後、ルイスは開けた缶を見つめていた。


「これは...本当に保存できるし、使えそうだな」

「まだ五ヶ月ですけどね」

「ああ。だが、五ヶ月でも十分だぞ。」


 ルイスの声は真剣だった。いつものふざけた父ではない。たぶん、頭の中ではもう軍や街道や冬の備蓄のことを考えているのだろう。一方で、エリスはリンゴの缶詰をもう一度見ていた。


「パウル、今度は別のお肉でも試せるの?」

「もちろんできますよ」

「なら、羊とか鳥も試してみたいわね。お肉の脂肪の量とかで変わるのか知りたいわ。」


 おお。エリスが普通に良い指摘をした。確かに、肉の種類や脂の量で保存性は変わるかもしれないな。脂が多い部位でも缶詰は大丈夫なのか、とか細かい点は自分も知らない。

 だって、現代社会に住んでても、缶詰に何をいれていいのか、ダメなのかなんて、どうでもよくて気にしたことある訳ない。


「それも試した方がいいですね」

「あと、リンゴも別の熟れたものを入れてみたいわ。熟し方で違うかもしれないわ」

「たしかに」


 エリスは、研究者適性があるのでは?いや、生活に直結しているからこその視点か。

 マリーはその横で、


「じゃあ私の蜂蜜リンゴも!」


 と主張していた。それは断じて研究ではない。いや、糖分を加えた場合の保存性を見るという意味では研究かもしれない...都合よく解釈しすぎだな。そもそもこの村で蜂蜜を見かけたのは二年前だしな。

 気持ちは痛いほど分かるけどね。ジャムぐらいしか甘いものがないし、この村で取れたリンゴも現代みたいに甘いものではなく、渋くて美味しくない味なのだ。でも、この缶詰に入れたリンゴは甘い。

 甘いものは大歓迎だ。

 あ、ちなみに、弟のパーカーはまだ離乳食も食べてないから缶詰の中身は食べれない。

 今は一階のリビングでお昼寝中だ。だから、この缶詰試食会には不参加だ。

 パーカーよ、兄を恨むなよ。ハハハ。

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