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狐蛇ノ祠  作者: とろ
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6/6

送りの舞


夢の中で、波の音がしていた。


静かで、深くて、

でも、その波は“海”のものではなかった。

もっと奥深く、暗く、

どこかで心臓が鼓動を打つような――そんな音だった。


「……起きて」


まぶたの裏に光が差す。

呼吸の先で、人の気配があった。


「起きてってば。もう朝。目、開けて」


その声に、ふと意識が浮上した。


まぶたをゆっくり開けると――


ヒナの顔が、至近距離でのぞきこんでいた。


「……わっ」


「うわ、びっくりしすぎじゃん。失礼な子だなーもう」


ヒナは笑いながら、指先でわたしの額を軽くつついた。


その笑顔は、いつも通りだった。


でも――目の奥が、少しだけ赤くなっていた。

きっと、夜のあいだに泣いたのだろう。


「外、出よっか」


ヒナは、玄関の方を顎でしゃくった。


わたしは黙って頷いて、重たい身体を起こした。



空は澄み渡っていた。

朝焼けの名残が空の端にかすかに滲んでいて、風は肌寒かった。


小高い丘の上、森を背にした広場に、それはあった。


棺。


真っ白な木で組まれた、簡素な箱。

けれどその中には、数えきれないほどの花が敷き詰められていた。


桜、椿、百合、彼岸花――

ありったけの花が、その中に、色を重ねていた。


花の下には、咲夜ヒナと闘っていた少女たちが眠っていた。


目を閉じて、傷だらけの身体を包むように、

静かに、静かに、横たわっていた。


わたしは、言葉を失っていた。


「一瞬でもね、こっち側に戻ってくれたこと、すっごく嬉しかったんだよ」


ヒナが、ぽつりとつぶやく。


「でも、それって……やっぱり、すごく痛いことでさ」


ヒナは、そのまま棺の前に立ち、両手を広げた。


風が吹く。

その身体が、軽やかに一歩ふみ出す。


そして――


祈りの舞が始まった。


音はなかった。

でも、大地がそのステップに呼吸を合わせるように、

風がその指先の流れに沿うように、舞っていた。


くないではなく、

怒りでもなく、

ただ、「見送る」という所作だった。


それは、優しくも厳かで、

ひとつひとつの動きに、命を送る意志が宿っていた。


やがて、火が灯された。


誰かが、静かに火をくべる。


棺の花がゆっくりと熱を帯び、

色が、香りが、煙へと変わっていく。


ぱち、と音がして、

花の奥で、木が焼けはじめた。


ヒナは最後まで、舞いをやめなかった。

風に吹かれながら、煙に包まれながら――


少女たちの魂を、

遠い彼方へと送るために。


それは、この町で唯一、

魂が祠に囚われずに旅立てるたった一つの方法だった。


わたしは、立ち尽くしていた。

言葉はなく、ただ、目を開いて見ていた。


何かが、胸の奥で解ける音がした。


風が吹いた。

どこかで、小さな鈴の音がしたような気がした。




火がすべて灰になったころ、

ヒナは空を見上げていた。


風に吹かれる彼女の横顔は、どこか遠くを見ているようで、

でも目の焦点はちゃんと、“今ここ”を見ていた。


「……全部、燃えたね」


わたしは言葉が出なかった。


ヒナは、ひとつ息を吐くと、ふとわたしを見た。

その目は、最初に会った時とまるで違っていた。


もう、何も隠さない目だった。


「――あんたさ、やっぱり“祠の子”なんだね」


静かな言葉だった。


でも、それはまるで、どこかでずっと知っていた真実を、

ようやく誰かの口から聞いたような感覚だった。



ヒナは小さく笑った。


「“祠の子”ってのはね、昔、ある神社で“神になり損ねたもの”を封じるために、人間の子と契約したのがはじまりなの。

その血を受け継ぐ子は、“引き寄せる”の。

神になれなかったもの――崇められず、忘れられ、狂った祈りだけを残して、そこらを彷徨ってる“異形”たちを」


わたしの胸の奥で、何かがうずいた。


祠で見た狐の主。

浮いていた綺麗な女の目。

屍たちの傷口の向こうにあった、形容しがたい“憎しみ”のようなもの。


――あれは、呼んでしまったものだったのか。


「日本中にあるんだよ、そういう“なれなかった神”たち」


ヒナの声が、少しだけ硬くなった。


「わたしたち、“御巫みかんなぎ”は、それを狩ってる。倒して、祠に封じるか、供養してあの世へ送るか」


彼女は立ち上がり、砂を払いながらこちらを見た。


「でもね、そういう異形たちは、“祠の子”のところに集まるの。

言葉にならない執着で、呼ばれるの。あんたが何を願おうと関係ない。

だから、放っておけないんだよ」


ヒナは、ぐっと目を細めた。


「……力を貸してほしい」


その言葉が、風よりも静かに耳に届いた。


「“神になれなかったもの”を――一緒に、討ってほしい」


わたしは、思ったよりも驚かなかった。


むしろ、自分の中にある“知ってた”という感覚に、どこか安心していた。


わたしが異界と繋がっているなら。

これが、帰ってこられない旅のはじまりだとしても。


それでも、あの夜――あの場所にいたことが、

無意味じゃなかったと思いたかった。


「……その異形たち、全部倒したら」


ヒナがきょとんとこっちを見た。


「わたし、“祠の子”じゃなくなれる?」


ヒナは、少しの間沈黙した後、笑った。


「どうだろうね。でも――」


彼女は、真っすぐな目で言った。


「祠の子ってのはね、逃げても、呼ばれるんだよ。だったら、一緒に戦った方がいいって思わない?」


空の上では、雲が流れていた。


あの火で、確かに何かを終わらせたはずなのに、

ここから始まるものの方が、もっと遥かに深いと――


わたしは、直感でわかっていた。




花の香りも、煙の熱も、すべて風に流されていった。


空には雲ひとつなく、

どこまでも静かな朝が、ひとつの終わりを告げていた。


でもそれは――

始まりでもあった。


「力を貸してほしい」と告げられた言葉は、

まだ胸の奥で余韻を揺らしていた。


わたしは、「はい」とも「いいえ」とも言わなかった。


けれどその沈黙に、ヒナは何かを感じ取ったらしい。


「……また、呼ばれるよ。今度はもっと遠くから、もっと強いものが」


ヒナはそう言って、火葬の跡地を一瞥し、

わたしの隣に静かに並んだ。


「でも、大丈夫。あたしたちがいる。だから――あんたは、“あんたのままで”いて」


その言葉が、

どこか懐かしく感じた。


あの日、知らぬ町で踏切を越えてから、

わたしの旅は、もうもとには戻れないものになった。


でも。


この世界には、

“神になれなかったもの”のために戦う人たちがいて、

その隣で、わたしの役目も始まっていた。


風が揺れる。


ヒナが、わたしの肩を軽く叩いた。


わたしは頷いた。


そして、祠の影がようやく夜を手放した頃――

新しい旅が、始まった。



たまたま見た夢がとても面白くて、思わず投稿してしまいました



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