表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狐蛇ノ祠  作者: とろ
1/6

海街と女子高生

陽が傾いてきた頃、潮風の向こうから、鈴の音みたいな笑い声が聞こえた。


カーブの先、古びたコンクリートのベンチに、制服姿の女子高生たちが三人。

猫背でしゃがみこむ子。ペットボトルを両手で抱えている子。空を見上げて足をぱたぱたさせている子。

まるで町の一部みたいに、何気なくそこにいた。


「観光の人?」


声をかけられて、ハンドルを握る手に軽く力が入った。


「うん、そんなとこ。自転車でちょっとぶらぶらと」


「えー、うちの町に? すごい地味じゃない?」


笑いながら立ち上がったのは、ショートカットで人懐っこい顔の子だった。

肩に下げたカバンからスナック菓子を取り出すと、友達のひとりに押し付けるように渡しながら、こちらへと歩いてきた。


「最近、旅行の人ほんと見ないからさ。なんかうれしい」


「へえ、そんなに珍しい?」


「珍しいよ〜! 駅前なんかもうほとんどシャッター通りだし。港のあたりしか人いないしね」


その後ろで、少し背の高い子が笑った。


「でもさ、港の坂とかすごくない? チャリで来るのって相当根性あるよ」


「変わってるよね、このお姉さん」


そう言われて、つい笑ってしまった。


「自覚はあるよ。旅慣れてるから、坂も景色もむしろ楽しいくらい」


「へえ〜! なんかカッコいい」


その子たちの話し方には、妙な裏がなくて気持ちが良かった。

夕焼けに染まった空の下、風がすっと頬を撫でる。

遠くで鳶が鳴いた。


「でもさ……もし、あっちの山の方まで行くつもりだったら」


ふと、さっきまで黙っていた三人目の子が、小さな声で言った。


「……祠の道、通るのだけはやめといた方がいいよ」


彼女の言葉に、二人の子も少しだけ黙った。


「祠?」


「うん。海からちょっと山に入ると、古い祠があるの。観覧車くらい大きいって言う人もいるくらい……ま、見た人いないんだけど」


「うちのばあちゃんが言ってた。“あそこは神さまじゃないものがいる”って」


「別に怖いわけじゃないけど、地元の人は近づかない。今も昔もずっとそういうとこ」


淡々とした口調だった。

でも、それが変に真実味を帯びていた。


「観光って言っても、見るもんないけどさ……そっちはやめといた方がいいって、マジで」


気まずい空気を割るように、またショートの子が笑った。


「てことで! うちらのお気に入りは駅前のたい焼き屋と、港のアイスね!こっちのが絶対楽しいから!」


「アイスはわたしが先に見つけたからね?」


「でも一口食べたのあんただし!」


三人はじゃれ合いながら歩き出し、わたしの横をすり抜けていった。


「気をつけてね〜旅人さーん!」


振り返って手を振ってくれる声に、わたしも思わず軽く手を上げた。


やさしくて、ちょっと不思議な女の子たち。

けれど、確かに胸の奥に残ったのは、ひとこと。


“あそこは神さまじゃないものがいる”――


その言葉だけが、ずっと耳に残っていた。




日が西に傾いて、海が金色に染まりはじめた。

空気はまだあたたかくて、潮の匂いに混じって、どこかで焚き火の煙が漂ってきているような気がした。


小さな神社の脇に立てかけた自転車のハンドルに手をかけながら、わたしはさっきの会話を思い返していた。


「祠の道、通るのだけはやめといた方がいいよ」


あの子の、静かで少しだけ真剣な声。

冗談ではなく、注意でもなく、まるで“忠告”のような響きだった。


「……獣が出る、か」


わたしはそっとつぶやいた。


地方に行けば、そういう話はわりとよく聞く。

イノシシ、クマ、野犬。地元の人が“あそこは入っちゃいけない”と言うのは、たいてい危険だからだ。


でも――

あの子たちの顔を思い出す。

笑っていたけど、どこかに「知ってる」人の表情があった。

あの山で、何かを見たことがある目だった。


「……そんなこと、あるわけないか」


わたしは自分に言い聞かせるように、チェーンをはずしてサドルにまたがる。

地図もスマホも使わずに走るのが、わたしの旅のスタイルだった。


踏切の方を見れば、森の奥へ続く細い道がある。


うっすらと影がのびて、風が草を揺らしていた。


その先にあるという祠。

見に行こうと思えば、行ける。

けれど、どういうわけか――今日はやめておこう、と思った。


わたしはハンドルをそっと反対に切った。


それが、「自分で選んだ」と思い込める最後の瞬間だった。



暮れなずむ空の下、人のざわめきがあった。


笑い声。話し声。湿った草を踏む足音。

どこかで油のはぜるような音がして、焦げた匂いが風に乗って流れてくる。


気がつけば、山道を登っていた。

舗装のない土の道。木々の間から見える茜色の空。

自転車はとっくに置いてきた。足取りは重いはずなのに、なぜか体はふわふわしていた。


そして、そこには人がいた。


ぽつぽつと立ち尽くしている人たち。

誰もが前を向いていて、ほとんど動かない。

なのに、口元だけが笑っている。


仮面のような顔。

目は細く、唇だけがにやにやと、静かに吊り上がっている。


何かがおかしい。

でも、すぐには気づけなかった。

この空気の濁りに、わたしの感覚はまだ追いついていなかった。


「――迷った?」


背後からかかった声が、耳に直接落ちてきた。

音というより、温度だった。息のかかるような、柔らかくて、湿った熱。


振り返った瞬間、言葉が喉で止まった。


そこに立っていたのは、とても綺麗な人だった。


まっすぐ伸びた黒髪。真珠のような白い肌。

すらりとした手足。繊細な輪郭。

光を集めているような瞳に、花のように微笑む唇。


それは「美しい」とか「整っている」とか、そんな次元じゃなかった。


目が離せない。

一瞬で心が奪われて、吸い寄せられそうになる。


だけど――


何かが決定的におかしい。


完璧すぎる。

まるで、つくりものみたいに。


肌の質感に揺らぎがない。

まばたきのタイミングが異常に整っている。

風が吹いても、髪が一筋も乱れない。


(人間、じゃない)


頭の奥で、警鐘が鳴っていた。

だけど、身体が動かない。


「……少し、道がわからなくなって」


ようやく出た言葉が、ひどく軽く聞こえた。


「そう。よかった。出会えて」


女の人はふわりと笑った。

その笑顔が、妙に静かで怖かった。


「こっちに、いい場所があるの。ご案内するわ」


断らなきゃ、と思った。

でも足元がふらついて、気がつけば手を握られていた。


ひんやりとしていて、でもなぜか深く入り込んでくる温度。

五本の指が、わたしの手の骨まで包み込むようだった。


「……あの、みなさんは?」


周囲を見渡す。

あの人たちは、変わらず笑っていた。

ぴくりとも動かず、口元だけが上がっている。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ