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 あたしは終わらない苦しみに喘いでいた。

 就活である。まったく受かる気がしない。エントリーシートを一枚出す毎にお祈りメールが一通届く。文書の作成にかけた労力が明らかに等価ではない交換に、あたしは早くも心が挫けていた。


 エントリーシートの書き方はちゃんとネットで調べたのに、なんでこうもダメなのか?


「そりゃあ君、エントリーシートの書き方がダメなんじゃない。肝心の中身である、君がダメなんだ」

「ひっどい言いようですねぇ⁉」

「ま、就活がうまくいかないのならいい機会だ。気分転換に卒論の方を進めてみたらいいんじゃないかな?」

「それって現実逃避では……?」

「勘違いするな。就活も卒論もどちらも等しく現実だよ」


 就活に必死こいていたら卒業論文の存在がすっかり頭から抜けていたあたしは、指導教員から呼び出されていた。

 机の上に乱雑に本が散らばる彼女の研究室で、あたしはマズいインスタントのコーヒーを啜る。にがっ。これが現実の味ってこと?


「いやでも最悪卒論は書かなくても卒業できますよね……?」

「させるか、バカ」

「えぇぇぇ!」


 甘い目論見をすげなく打ち砕かれ、あたしは机に突っ伏した。もう何もかもうまくいかん。


「まったく……なぜ毎年君のような甘えたクズ学生の面倒を見なければならないのか……」

「先生? 本音だとしてももうちょっとこう、オブラートに包みませんか?」

「そうやって甘やかされて育った結果、君のようにエントリーシートの体裁だけ整えて肝心の中身が空っぽな学生が出来上がったんだろう。もっと反省しろ」

「教育者が言葉のナイフでズタズタにしてくるよぉ……」

「私は教育者ではなく研究者だ。履き違えてもらっては困る」


 取り付く島もない先生の態度に、なぜあたしの周りにはこうもきつい性格の女しかいないのか、と嘆きたくなった。


「……先生ー、あたし別にやりたいこととかないんですよー」

「おい、唐突に人生相談みたいなことを始めるな。私は教育者ではないと言っただろう。アドバイスとか、親身になって寄り添うとか、そういうのは無理だからな」


 苦いコーヒーをずるずると飲みながら先生は顔を顰める。嫌そうな気持ちを隠しもしないな、この人は。


「聞いてくれるだけでいいんです。あの、ホントただの壁くらいに思ってしゃべるんで」

「だったら壁に向かってしゃべっていればいいだろう」

「壁に話しかけてたらヤバい人でしょ!」

「エントリーシートが一枚も通らないのはかなりヤバいと思うが」

「……あたしはもう死ぬんで、遺体は先生の研究室の壁に塗り込めてください」

「ポーか。嫌だよ。死ぬなら他でやってくれ」

「死ぬなとは言ってくれないんですねぇ⁉」

「……もうわかったから、なんでも聞くから手早く済ませてくれ」


 面倒くさそうに手をひらひらさせると、先生は二杯目のコーヒーを淹れて戻ってくる。ご丁寧にあたしの分まで。やっとの思いで一杯飲み切ったのに……。これが現実の厳しさってこと?


「……それで、やりたいことがない、だったか? まったく、実に紋切り型の若者の悩みという感じで新鮮味の欠片もないな」

「本人にとっては切実な問題なんですよぉ⁉︎」


 宣言通り、親身になって寄り添うどころか千尋の谷の底に向かって突き放す勢いの態度の先生に、あたしはマジで壁に向かって話した方がマシだったかもと後悔した。


「やりたいことがない、なんて、難しく考え過ぎなんじゃないか? 大方エントリーシートの書き過ぎで、詰まらないどん詰まりに自分から嵌りに行っているような気がするけれどね」

「え、なに? どういうこと? 何言ってるのか全然わかんないんですけど」

「バ……どうもこうも、本当に一つたりともやりたいことはないのかい? 別にどこぞの企業の人事に見せるための肩肘張ったものじゃなくていい。夕飯に何を食べるか考えるくらいの気楽さでいいから」

「今バカって言いかけました?」

「被害妄想だ。早く質問に答えたまえ」

「えー、気楽に……やりたいこと…………あっ、就活やめたい」

「それはやりたくないことだ、バカ」

「却下とかあります⁉︎ てか今度こそバカって言った!」


 気楽に答えたら答えたでこうだ。大人は汚い。


「うるさいなぁ……じゃあ訊くが、君はなぜ就活をやめたい?」


 先生はデスクの上の書類をぱらぱらと捲りながら、面倒くさそうにため息を吐く。


「えっと、だからそれこそ『やりたいことがないから』ですよ。就活って自分のやりたい仕事に就くためのものじゃないですか。あたしにしてみればその目標が何もない感じで、だからエントリーシートも空っぽになるんじゃないですかねぇ!」

「急にキレるんじゃない……それじゃあ訊くが、君は何がしたくてこの大学に入ったのかな?」

「え……別に、特には」


 意識の低さ極まれり、といった回答をするあたしの顔に、先生は人差し指をびしり、と突き付ける。


「とすると、君はもうずっと以前からやりたいことの有無に関係なく人生を進めてきている、というわけだ。それなのに、なぜ今になってやりたいことがないから就活やめたい、なんて言い出すんだい?」

「それは……」

「この学生時代にまだやりたいことがあるからじゃないのか? やり残したこと、と言い換えてもいいが」


 そう言われて真っ先に思い浮かぶのは、やっぱり水澄の顔だった。あたしの学生生活のほとんどを占めてきたのはあいつだから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないけれど、いくらなんでも水澄のことを考え過ぎだと自分でも思う。


「……卒業ライブ」


 以前、別れ際に水澄に言われた言葉が口を衝いて出た。


「ん? ライブ? 君は何か音楽でもやっているんだったかな?」

「バンドやってて。軽音楽サークルに入ってるんですけど、四年生のあたしらにとっては最後のライブが今度あるんですよ。それに一緒に出よう、って言われてて」

「出ればいいじゃないか」

「色々あるんだよなぁ、もぉ!」


 ことはそう簡単じゃないんだ、と頭を抱えて咆哮するも、先生は迷惑そうにコーヒーを啜る。


「というか、あたしが言ってるやりたいことっていうのはそういうのじゃなくて、もっと将来的な話で」

「また通らないエントリーシートの話か」


 先生は心底どうでも良さそうな顔をする。おい、通らないって決めつけるな。


「私が思うに、君のエントリーシートの中身が空っぽなのは、君が自分に誠実ではないからだよ」

「誠実……」


 あまり馴染みのないその言葉は、マズいコーヒーみたいに口の中をざらりとさせる。


「考えてもみたまえ。企業の人事や面接官が君のやりたいことなんぞに興味があると思うか? 絶対にないだろう。彼らが興味があるのは、君がその問いに誠実に向き合うことができるかどうかだ」

「誠実って、なんかふわっとしててよくわかんないんですけど……結局あたしはどうしたらいいんですか?」

「そんなものは自分で考えろ。そもそも自分のことを他人に考えてもらおうとする態度が不誠実だ」

「全否定じゃないっすか……」


 なんだかんだ言いつつ相談に乗ってくれていたのに、ここにきて梯子外すのズルくない?


「そんなに難しいことを言っているつもりはないのだけどね。だって君は、自分のやりたいことが――やり残したことが何か、本当はわかっているじゃないか。あとはそれと向き合うだけだよ」

「向き合うって……でも、あたしが今やりたいことに誠実? に向き合ったところで、それが将来的な何かに繋がらなくないですか? エントリーシートにやりたいこと『卒業ライブ』とか書けないですよね?」

「本当にバカだな、君は」

「またバカって言った⁉」


 はぁぁぁ、と先生はコーヒー臭いクソデカため息を吐く。


「誠実というのは生き方だ。今の自分に対して誠実でいられない奴が、将来のことにも誠実でいられるものか。君が将来のためにやるべきなのは、エントリーシートの体裁を整えることでも、それっぽい『やりたいこと』を考えることでもない。今の自分の心に、真摯に、誠実に向き合うことだよ」


 そう言うと、先生は「話は終わりだ」とばかりにわざとらしく書類をがさがさする。いい加減に出ていけ、というオーラをばしばしに感じながらも、あたしはその場に居座って彼女の言ったことを考えていた。

 誠実に向き合う。それはひどく曖昧で、なんか精神論というか、正直ピンとこない。


 けれどなんとなく、水澄は自分に誠実に生きているのだろうな、とは思った。

 あいつは、いつだって真っ直ぐに、臆することなく自分のやりたいことを口にするから。


『決めた! 今度の卒業ライブ、私は晴菜と一緒に演る!』


 以前の水澄の怒鳴り声が、脳裏をリフレインする。

 でもさ、とあたしは頭の中で反論する。でも、それってしんどくない? 自分に誠実に向き合って、それでも思うようにいかなかったら、それって意味ないじゃん。無駄じゃん。


『あたしは水澄と一生一緒に歌ってたい』


 そう、それはかつて確かにあたしのやりたいことだった。真っ直ぐにそれだけを見て生きていられた。でも、この世界はそれだけじゃ生きていけないようにできてるじゃん。見たくもない現実とか、思い通りにならないこととか、そんなんばっかりじゃん。


「……自分に誠実に生きるとか、そんなのできるのは、きっと強い人だけですよ」


 自嘲めいた言葉を呟くと、先生は呆れたように「なんだ、まだいたのか」と顔を上げる。


「あたしは、自分の分とかわきまえてるから不相応な期待とかしないし、だからやりたいことだって無理そうなら諦めることも大事だって思うんですけど」

「……別に、君が最終的にどうしようと、それは君の勝手だ。でも覚えておくといい。君が自分自身に期待をしなくても、他の誰もが君に期待しないというわけではない」

「……それって、すごい勝手じゃないですか? 勝手に期待して、勝手に失望したり怒ったり」

「勝手なものだよ、人間というのは。でも誰しもが他の誰かの期待から逃れることはできない。期待に沿うにせよ、裏切るにせよ、された以上は応える他ない」


 先生の言葉は無駄に難解であたしにはよくわからない。水澄からの、一緒に卒業ライブに出ようという――まだ一緒に音楽を続けようという期待にもどう応えるべきなのか、答えは出ない。


「……先生は誰かに期待された時、どうしますか?」

「そんなもの、決まっている」


 あたしの質問に、先生は珍しく楽しげな笑みを浮かべて答えた。


「誰かの期待通りになど、なってやるものか」


 この人は本当に性格が悪い。


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