8
翌日の昼頃だった。アリエスから東屋にくるよう伝言がとどいたのは。僕はゆっくりとした足取りで東屋へ向かった。途中クロトアにあった。彼も呼び出されたらしい。
「婚約破棄成功祝いとかだったらおもしろいけどな」
などと、彼は言う。
「なんでもいいさ。生徒会のことは彼女にまかせることになっているんだしね」
「ま、そうだな」
東屋がみえてくるとそこにはアリエスとルーシェがいた。
「遅いですわよ。二人とも」
「いや、すまん」
「申し訳ない」
僕らは苦笑した。そして、僕は当たり前のようにルーシェの隣に腰を下ろした。クロトアは一人掛けの椅子にこしかける。
「あと一人いるのよ。もう少しまってね」
三人目はウィルス先生だった。
「やあ、遅くなってすまないね。先に始めてくれててもよかったのに」
「何を言っていますの。先生の指示でこうして集まりましたのよ」
アリエスはプリプリと怒る。
「うんと、実は生徒会のことなんだけどね。会長はアリエスさんにお願いしたんだ。そこで他のメンバーを集めてもらってあと一人必要なんだけど……」
「わたくしはお断りします」
ルーシェは即答だった。それが可愛くて僕は笑いを噛み殺した。
「即答されましたね、アリエスさんどうしましょうか」
「クリストファー様からもお願いしてもらえないかしら。生徒会にいれば、悪い虫はつかないと思うけど」
僕はどうしようかという顔でルーシェを見つめる。
「ルーシェはどうしても嫌?」
「そういわれましても、あの忙しさに耐える自信がありません」
「王子がいないから通常業務だよ。生徒会室はエドワード殿下の執務室も兼務してたからね」
「そうなんですか?」
「大体やることと言ったら、基本的に入学式後の歓迎パーティと夏のダンスパーティの準備に卒業式の打ち合わせくらいであとは雑務よ」
「それなら、やってみてもいいかしら?」
ルーシェは、僕の顔をちらりと見たので、頷いた。
「あ、それと治療係はつづけてね」
僕は渋い顔をした。
「先生、まさかあの制服姿のまま、続けさせるつもりですか」
「うん、あれは大好評だったからね」
「だったら、婚約者として許可できません」
「えー。君だって見惚れてたじゃないか」
「僕はいいんです。婚約者ですから」
「了解。服装は訓練着でやってもらうよ」
「なら、許可します」
「ふー、これで生徒会も安泰だな。あ、来年から俺の婚約者が入学するから頼むな」
「はいはい、場合によっては生徒会にスカウトしてもいいかしら」
「おう、いいぜ」
僕はクロトアの婚約者についてはよく知らないが、よほどいい子なのだろうと思った。その時、となりから盛大な腹の虫が鳴く声が聞こえた。ルーシェが熟れたトマトのように真っ赤になっている。食べてしまいたいくらいとてもかわいい。
「とりあえず、食おうぜ」
「そうですわね」
「は、はい」
ルーシェはサンドウィッチをパクパク食べていた。僕もお菓子をつまむ。少しは元気になったらしい。僕はルーシェを見つめて自分の口元をトントンとたたく。彼女は慌ててハンカチで口をぬぐった。
「まだ、ついてる」
そういって、僕は不意打ちのキスをした。ルーシェは一瞬何が起きたのかと瞬きしていたが、キスされたことに気づいて、頬を朱に染めた。
「いちゃつくなら、よそでやれ」
「若いっていいね」
「先生、そんなこという年でもないでしょ」
みんなが笑うとルーシェはあわてて、言った。
「ク、クリストファー様。そういうことは、一言いってからお願いします。心臓がドキドキして死んでしまいそうですわ」
僕を除いて、みんなあきれる。
「ああ、もう!抱き着くよ」
そう言って僕はルーシェをがっちりと抱きしめました。ルーシェが腕の中でじたばたともがいている。
「は、離してください」
「駄目、ちゃんと一言いったからね」
みんな笑って誰もルーシェの悪あがきに助け舟をださなかった。
僕が実家に戻ると、それを待ちわびていたように義父が倒れて寝たきりになった。そのおかげで、僕は以前から温めていた領地改革を施す準備に取り掛かることができた。ときおり、息抜きにルーシェに会いに行く。そして、恥ずかしがり屋の彼女にたくさんキスをして、困らせたり、ダンスを踊って楽しんだ。
エドワード殿下たちに下った沙汰は、二つ。殿下は離宮に幽閉。アルマは同じ離宮で無給の下女としてはたらくというものだった。そして、キース男爵家およびモーガン男爵家は取りつぶされ、領地はアリエスとクロトア個人にそれぞれわけ与えられた。それから、皇太子はしばらく空位となった。第二王子はまだ十歳と幼い。クロトアによると末恐ろしい十歳児だそうだが……。ただ、いくつかわからないことがあった。公的にはアルマの魔法は封印されたという。だが、クロトアはそれができなかったためにアルマは毒殺されたと言った。それから、殿下自身のことだ。僕はアルマの魅了の魔法に気分の悪さを覚えて吐き気をもよおしたが、殿下はどうだったのだろうか?アリエスとはあまり仲が良くないと言っていた。もし、それが原因で防御の魔法をわざとつかわなかったのだとしたら……あの夜会の断罪劇は殿下自身が望んだ茶番だとしか言いようがない。クロトアにそのあたりを聞いてみたが、俺にもわからんという返事しかかえってこなかった。ただ、殿下は離宮で穏やかに暮らしていると言う。
「本人が望んだことなのか、あるいはおやじたちの陰謀だったのかなんてことは、俺にだってわからん。今更、追及したところで何が変わると言うこともないさ。あの茶番劇のことなど、さっさと忘れるのが一番だ」
クロトアはどこか疲れたようにため息をついてそう言っていた。僕もそのほうがいいのかもしれないと思った。ルーシェのためにも、余計なことに首を突っ込んで悲しませるようなまねはしたくない。今は侯爵領の改革が重要なときでもあるのだ。足元を固めておかなければ、ルーシェに苦労させてしまう。だから、僕はこれ以上考えることをやめにした。そして優しいルーシェには公的な処罰のことだけ報告した。
「同じ離宮での暮らしはつらいでしょうね」
「そうだね。たぶん、二人が顔をあわせることも話すことも許されないだろう」
僕はそっとルーシェを抱き寄せて頬にキスをした。優しすぎるルーシェに本当のことは言えない。
「本当に君は優しいね」
「そんなことは……」
「可愛いルーシェ。いますぐにでも結婚して独り占めしたいよ」
「……今、独り占めだと思います」
「もっといっぱい独り占めしたいな」
学院は結婚するのであれば、早期卒業ということもできる。だが、彼女はまだそれを望んでいないし、生徒会にも所属することが決まっている。僕は僕でやらなければならないことが山積みだ。お互いにそこは仕方のないことだと僕は思っていた。でも、ルーシェは違った。
「わたくし、わがままばかりで申し訳ありませんわ」と謝る。そんな必要はないのに。
「ルーシェは、もっとわがままでいいよ。小さい時から遠慮ばかりしてたからね」
「そうでしょうか?」
「ああ、そうだよ。いつも小さな花束を渡しては、何か欲しいものを聞くのに。君ときたら、花束だけで十分だって笑うんだから。本当はもっといろいろ贈り物がしたかったんだよ、僕は。これからは、遠慮なんてしないでね」
「……はい」
「ねぇ、ルーシェ」
「は、はい」
「一つ、僕の願いを叶えてくれないかな」
「わ、わたくしにできることでしたら」
「君にしかできないよ。大好きなルーシェ」
ルーシェは目を大きく見開きいた。そしてポロポロと涙をながした。
「どうして泣くの?」
僕は戸惑いながら彼女の涙を優しく拭った。
「わたくし……欲しかったです。その一言が……」
「そうか、言ったつもりでいたけど、言ってなかったんだな。僕は。ねぇ、ルーシェ。僕のこと好き?」
「はい、大好きです」
「じゃあ、キスをしてもいい?」
「それがお願いごとですか」
「そう。君にしか叶えられない願い事」
僕はルーシェの頬を両手に包み込みじっと見つめた。彼女はそっと目を閉じた。僕は暖かく柔らかなその唇にゆっくりと自分の唇を重ねた。僕はふわふわとしたとても心地よい気分になっていた。