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白魔術師の恋のおはなし3





「……セティ、大丈夫?」

 アキリがそう声をかけてきたのは、長く続く雪道を黙々と歩いていた時だった。

 前を歩くレヒトとラジを見ながらぼんやりとしていたセティは、慌てて背筋を伸ばした。

「は、はい。大丈夫です。すみません、心配かけて」

「……」

 アキリはちらりとセティを一瞥してから前を向いた。レヒトとラジは何やら楽しそうに騒いでいる。レヒトの声は聞こえないが、ラジの笑い声が風の乗って流れてきた。

 楽しそうだなぁ、とぼんやり考えていたら、不意にアキリが呟いた。

「レヒトに何か言われた?」

「……えっ」

 驚いてアキリを見上げると、彼女はかすかに笑みを浮かべていた。

「セティにそんな顔をさせるのは、あの人くらいだと思ったんだけど、違った?」

「……」

 違う、とか、関係ないです、とか。

 色々な言葉が頭をかけめぐったが、それらが喉から出てくることはなかった。あまりに不意打ちすぎて、固まってしまっていたせいだ。

 黙ったまま答えないでいるセティをどう思ったのか、アキリは息をつくと、子供をあやすように頭を撫でた。優しい手つきだった。

 そのまま離れていこうとする彼女に気づくと、セティは思わず呼び止めていた。

「……あの! アキリさん!」

「なに?」

 アキリが振り返った。その息が白い。その白さを見つめながら、セティは心の奥に引っかかっていた疑問を口にした。

「アキリさんは……どうして、旅をしようと思ったんですか?」

「……やっぱりレヒトに何か言われたのね」

「いえ、あの」

 呆れたように嘆息され、セティはしどろもどろになった。レヒトに何か言われたわけじゃない。言われたわけじゃないが、彼から聞いた話がずっと気になっていたのは確かだ。

「どうして、と言われると困るんだけど。……そうね、強いて言うなら、レヒトは不器用だから」

「ぶ、不器用ですか……」

「そう。誰かが見てないとこの人は駄目だなって。……でも、もう大丈夫かしら。セティやラジがいるし」

 告げられた穏やかな声に、セティはどきりとした。レヒトが持っていたあの手紙を思い出す。なぜかアキリが離れていってしまう気がして、とても焦った。

「そ、そんなこと……! アキリさんはアキリさんです! 誰かが代わりになんてなれるはずないです。ですから、その」

 そんなこと言わないでください、という小さな声は、積もった雪に吸い込まれて消えた。

 セティはレヒトが好きだ。けれど同じようにアキリとラジも好きだった。四人でこのままずっといたいと思うほどに、彼らのことが好きだったのだ。

「……」

 いつの間にか歩く足は止まり、セティは立ち尽くしていた。顔が上げられず俯いていると、さく、さく、と雪を踏む音が近づいてきた。視界に入ったのはアキリのブーツだった。

 やがて髪に温かな感触がして、再び頭を撫でられたのだと知った。

「ごめんなさい。困らせるつもりはなかったんだけど。……でも、ありがとう」

 柔らかい声音でアキリが言う。セティは顔をあげられないまま、小さく頷いた。






 戦闘中、基本的に白魔術師であるセティにできることは少ない。彼女が得意とするのは治癒術で、ラジのような剣もアキリのような黒魔術も使うことができないからだ。

 なので、戦闘中はできるだけ仲間の邪魔にならないよう振る舞うのが常だった。戦う皆を見ていることしかできないのはとても歯がゆかったが、足を引っ張るよりかはましだ。

 けれど、この日はいつもと違った。

「っ、レヒトさん!!」

 その光景を目にして、セティは声をあげた。

 魔物の硬い甲殻に剣を突き刺したレヒトの後ろに、他の魔物の姿があった。ラジは、近くにいない。すぐ隣にいたアキリは詠唱中だ。

 冷静に考えていることなんてできなかった。足が勝手に動く。アキリの詠唱が急に止まり、焦ったようにセティを呼ぶ声が聞こえた気がした。

「!!」

 レヒトと魔物の間に割り込んで、渾身の力で彼を突き飛ばした。驚いたようなレヒトの顔が視界を掠めーーーそして、衝撃とともに意識が暗転する。



 セティ、と名前を呼ばれた気がした。



 額に触れた冷たい感触に、意識がゆっくりと浮上した。周りはとても静かだった。重い瞼を努力して持ち上げると、天井が見える。宿の中だろうか?

 どうしてこんなところにいるんだろう、と少し混乱しながら視線を巡らせ、直後にセティは硬直した。ベッドの横に置いてあった椅子に、レヒトが座っていたからだ。

「……レヒト、さん」

 おそるおそる呼びかけると、彼は伏せていた目をあげた。視線が絡んで、セティは少し居心地が悪くなる。レヒトの目が、険を含んでいたからだ。

「具合はどうだ」

「だ、大丈夫です」

 慌てて上半身を起こそうとして、左腕にはしった激痛に思わず顔が歪む。レヒトはため息をついて、セティの肩を押した。

「無理をするな。寝ていろ」

「で、でも」

「いいから」

 有無を言わさぬ様子に、仕方なくセティはベッドの中へと戻った。

 左の二の腕あたりがじくじくと痛みを訴えている。そっと目を向けるとそこは包帯がきっちりと巻かれていて、どんな怪我なのかはよく分からない。

 どうして怪我なんか、と不思議に思ってからすぐ、途切れた記憶の最後を思い出した。ああ、そういえばそうだった。

「……」

 室内には重い沈黙が満ちていた。あまりの居心地の悪さに思わず身じろぎをする。

 やがてレヒトが大きなため息をついた。

「……なぜ、俺を庇ったんだ」

「え……」

 問われた意味が一瞬分からず、セティは戸惑いがちに相手を見上げた。レヒトの表情がさらに厳しくなる。

「知っているだろう。俺は怪我をしたってすぐに治るんだ。いや、そもそもあの程度の奴らに遅れをとったりしない」

「はい」

「なら、なぜ庇った。白魔術師のおまえが倒れたら、誰も治すことはできないんだぞ」

 そっけない口調に、レヒトがとても怒っているのだと分かった。

 何か言おうとしたが、結局何も言えなかった。

 レヒトの言うとおりだ。あそこでセティが飛び出さなくても、彼ならきちんと対処できただろう。なのに何故、余計なことをしてしまったのだろう。

「…………すみません」

 小さな声で謝ると、レヒトはちょっと困ったような表情を浮かべた。

「別に責めているわけじゃない。謝るな。俺が聞きたいのは、そういうことじゃないんだ」

「……気づいたら、前に出ていたんです」

 ぽつりとセティは告げた。それが嘘偽りのない真実だった。

「あの時はあまり何も考えられなくて。その」

 レヒトが危ないと思った。そしたら体が勝手に動いていたのだ。それだけだった。

「……」

 レヒトはセティの顔をじっと見つめると、怪我をした左腕に視線を移し、軽く顔をしかめた。

「……もう二度とするな。いいな?」

 はい、と応じると、レヒトも頷いた。

「ならいい。……俺のほうこそ悪かった。後衛に庇われるような立ち回りをした俺にも責任はある」

 そんなことはない、と否定したが、レヒトは取り合わなかった。変なところで彼は頑固だ。そして優しい。

 笑みを浮かべたセティは、ふとベッドの横にあるテーブルを見て目を見開いた。

 そこには新しい包帯や薬の袋、水差しなどが置いてあったが、セティが目を奪われたのは、もっと他の物だ。

 以前、レヒトにもらった髪留めだった。

「……それは」

「ああ、危ないから外したんだ。さっきの戦闘で壊れたんだな」

 セティはゆっくりと手を伸ばし、それを取った。石の部分がとれ、留め具の所が歪んでしまっている。

「……」

「また新しいのを買えばいい。……セティ?」

 髪留めを握りしめたまま黙り込んだセティを、レヒトが怪訝そうにのぞき込んだ。

「どうした?」

 どうした、と訊かれても、どうもしていない。

 どうもしていないけれど、ただ、


(初めて貰った物だったから)


 それだけだ。

 答えられないセティを、レヒトは不思議そうに見つめている。

「……もしかして気に入っていたのか?」

 これ以上黙っていたら変に思われてしまう。なんとか小さく頷くと、納得したかのようにレヒトが立ち上がった。

 ちょっと待ってろ、と言い残して出ていった彼だが、すぐに何かを片手に戻ってきた。宿から借りてきたのだろうか、持っているのは粘着剤だ。

 貸せ、と言われて大人しく髪留めを差し出すと、レヒトは器用にそれを直しはじめた。歪んだ金具を矯正し、割れかかっている部分を粘着剤で固定する。

 修理をするささやかな音だけがしばやく室内を満たした。

「部品が欠けているから、全く同じにはならないが……」

 そう不満そうな言葉とともに返された髪留めは、確かに少々いびつな形をしていた。それをじっと見つめていたセティは、なんだか泣きたいような気持ちがこみ上げてくる。

「……いえ。いえ、ありがとうございます」

「おかしな奴だな。安物だぞ?」

「気に入っていたんです」

 ぽつりと告げてセティは微笑んだ。

 レヒトは優しい。最初は分かりにくかったが、彼はとても優しいのだ。それがとても嬉しいのに、なぜか同時に寂しくなる時がある。優しくしないでほしい、とそう強く思う時があるのだ。

「……おまえは、」

 微笑んでいたセティを真正面から見つめたレヒトは、ふと眉をひそめて言った。

「おまえは、大切な仲間だ」

「……え」

「何か悩んでいるのなら、話してみろ。俺じゃなくても、アキリでも、ラジでもいい。適当に吐き出せ。一人で抱え込むな」

 ほら、まただ、と思う。

 彼は優しい。

「……はい」

 何とか笑顔を浮かべたままセティが頷くと、開いたままだったドアからひょっこりとラジが顔をのぞかせた。

「お、セティ起きたんだな」

「何の用だ」

「何の用だって、おまえね。交代に来たんだって。レヒト、飯も食ってないだろ?」

 レヒトはすっかり忘れていたのか、ああ、と思い出したように呟いた。気遣わしげな視線が向けられると、セティはそれに微笑んで応じる。

 それに安心したのか、レヒトは部屋を出ていった。入れ替わりに入ってきたラジが、椅子にちょこんと腰掛ける。

「うす。具合は……よさそうだな」

「……ラジさん」

「あいつ、バカだよな」

 セティの手の中にある髪留めを見て、ラジは苦笑した。

「これが大切なのも、悩んでんのも、あいつのせいなのにな。あいつ、本当バカだよな」

 聞いていたのか、という驚きよりも先に、セティが感じたのは安堵だった。

 レヒトの言うとおりだ。一人で抱え込むのはこんなにも辛い。

「……大切な仲間だって言ってもらえました」

「ああ」

「うれしいです」

「ああ」

 ラジは穏やかに笑うと、布団を引っ張りあげて、セティの頭ごと覆った。

「もうちょっと眠っとけ。明日からはまた旅が始まるんだ。朝になったら、起こしてやる」

 薄暗闇の中、ラジの声が布団越しに聞こえた。レヒトと同じように優しい声だった。

 はい、と呟いてセティは目を閉じる。ぽつりとこぼれた小さな雫が、温かな布団に吸い込まれて消えた。




 翌朝、布団から顔を出したセティは、椅子に座ったまま眠っているラジを見つけて微笑んだ。

 おはようございます、と穏やかに声をかけると、彼も目を覚まし、おう、おはよ、と笑った。

 冬の寒い、けれど綺麗な朝だった。

 二人並んで食堂に向かうと、そこにはもうレヒトとアキリがいて、セティたちを待っていた。

「おはようございます。レヒトさん」

「ああ。……もう大丈夫か?」

 はい、と返して、セティはアキリを見た。

「おはようございます。アキリさん」

「おはよう。…………」

 いつものように挨拶をしたアキリだったが、その時にこちらを見た彼女の顔が、何故か曇った。

「……」

「ア、アキリさん……?」

「……」

 アキリは黙ったまま手を伸ばすと、そっとセティの目元に触れた。どきりとセティは肩を揺らす。

 一応、ラジを起こす前に鏡を見たから、そんな酷い顔はしていないはず……なのだけど。

 硬直しているセティをのぞき込んで、ラジが笑った。

「あ、ずるいぞアキリ。俺も」

「あなたがやったら問題でしょ」

「触るくらい別にいいだろうが。なー? セティ?」

 自分を挟んだ二人の会話についていけない。固まったまま動けないでいるセティを見かねてか、レヒトが呆れたように口を挟んだ。

「……何をしてるんだ。おまえらは」

 アキリとラジは同時にレヒトを振り返って、笑みを浮かべると、また二人そろって「さぁ?」と言った。




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