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黒魔術師の転職のおはなし





 辺りは、彼が吐き出した血で真っ赤に染まっていた。



「レヒト!」

「レヒトさん……!」


 ラジとセティの悲痛な叫びが鼓膜を打つ。アキリは動けなかった。


 レヒトの身体が傾ぐのが、やけにゆっくりと見え。



 ーーーアキリの意識はそこで途切れた。








 ーーーざわざわと、賑やかな空気が戻ってきた。楽しそうな話し声や笑い声が辺りに満ちている。

「……」

 アキリは、閉じていた瞼をそっと持ち上げた。途端にシャンデリアの眩しい光が眼球を刺し、思わず目を細めてしまう。

「……」

 周りはパーティーの真っ最中だった。

 広いホールの中、軽やかな音楽が流れている。着飾った男女、それこそ子供から老人まで、身内ばかりを集めたパーティーだった。

 顔見知りの人々は和やかに談笑しながら食事をしたり、音楽に耳を傾けたりしている。

 そこには、つい先ほどまで向かい合っていた血や嘆きはない。ただただ穏やかな時間が流れているだけだ。



(結局、また)



 アキリの心をよぎったのは、小さな絶望だった。

 ここには今まで共に旅してきたラジやセティ、そしてレヒトはいない。失われてしまったのだ。あの時間も、仲間も全て、また。


 アキリはどうしようもなく一人だった。


「アキリさん。大丈夫ですか?」

 立ち尽くしていたアキリに声をかけてきたのは、叔母にあたる女性だった。アキリは「大丈夫です」と表情を取り繕うと、そっと辺りを見渡した。

 途中、背の高い男の子と目があった。レヒトだ。彼はきちんとした正装に身を包み、同年代の男の子と話をしている。

「……」

 小さく目礼をしてきたレヒトを、アキリはじっと見つめた。レヒトはその視線を怪訝そうに受け止めている。やはり、彼は共に旅した彼ではない。分かっていたのに、こんなにも苦しい。

 アキリはレヒトへ会釈を返すと、そのまま誰も話しかけてこないような隅っこへ向かった。

「……」

 広いホールの中、賑やかなパーティーの時間。けれど、この平和な時間がそんなに続くわけじゃないことを、アキリは身を持って知っている。

 数時間後、この場を揺るがすのは魔王が現れたという知らせだ。そして翌朝にはレヒトが白の剣を手にすることになる。

 それは全て予定調和で、アキリはその予定調和をただ一人、何度も繰り返していた。

 なぜこうなってしまったのか。何度同じことを問うても、答えてくれる声はない。ただ切欠であるはずの最初の旅のことだけは、今でもはっきりと覚えていた。

 繰り返しが始まる前の、それこそ初めての旅。その最後の戦いの記憶は悲惨なものだった。

圧倒的な魔王の力の前に、セティが、ラジが、そしてレヒトも倒れた。動かなくなった仲間たちを霞んでいく視界でとらえて、アキリは自分たちの敗北を知った。そうしてアキリ自身もそのまま息絶えるはずだったのだ、本来ならば。

 死へと落ちていく意識の中で、アキリが聞いたのは、魔王の慟哭だった。ほんの数刻前まで残忍な笑みを浮かべ、仲間たちを殺していった魔王が、今は泣いていた。ラジの名前を呼びながら、彼に縋り付いている。その弱弱しい姿はとても人間らしい。

 魔王の嘆きを感じながら、アキリの意識は絶えた。それで終わりのはずだった。


 次の瞬間、アキリは煌びやかなパーティー会場の中にいた。


 楽しげに交わされる会話や音楽に、アキリは混乱して立ち尽くした。自身を見下ろせば、見覚えのあるドレスを着ていて、パーティー自体もどこか既視感がある。

 そうして動けずにいたアキリが見たものは、死んだはずだったレヒトだ。

 彼は着慣れない正装を纏い、相変わらずの無愛想のままパーティーに参加していた。その姿に血だらけになったレヒトの姿が重なる。眩暈がした。そうして逃げるようにしてアキリはその場を後にしたのだ。

 冷静に考えられるようになったのは、夜も更け、朝に近づいてきてからだ。

 自分は過去に戻っているのではないか。その疑念が確信に変わったのは、翌日魔王が現れたいう知らせが王都中に広がった時だ。そうしてアキリの記憶どおり、レヒトが勇者に選ばれた。

 一体どうしてこんなことになったのだろう。アキリは何度も考えた。

 時渡りの魔法、というものは確かに存在する。けれどそれは決して行使できるものではなかったはずだ。魔術理論としては可能だと何人もの学者が発表しているが、それが証明されたことはない。

なぜならその魔法を使うには、とてつもない量の魔力を消費するからだ。とてもじゃないが人間が持つ魔力で供給できるものではなかった。

 だけど、とアキリは思う。人間には無理でも、魔王ならば。

 最後に聞いた魔王の慟哭を思い出す。彼が使ったのだろうか、と問いかけてもやっぱり誰も答えてはくれなかったが。

 本来ならば術者のみが渡る時を、なぜアキリまで渡ったのかはもうどれだけ考えても分からなかった。かろうじて息のあった状態だったから、おそらく術者と共に引きずられたのかもしれない、と想像するだけだ。

 

 そうして始まった二回目の旅。

 些細な違いはあるものの、概ねアキリの記憶のとおりに旅は進んだ。アキリの予想が正しいのならば、ラジが死ねば、魔王はまた巻き戻しかねない。そうならないために、そして何より最初と同じ最後を辿らないために、アキリは必至で戦った。

 そうして二回目の最後、魔王を討った後に待っていたのは、レヒトの死だった。それを目の当たりにした直後、アキリはまた過去に戻っていたのだ。



(また、あの人が死んだ)



 何度も何度も繰り返す中で、アキリは気づいた。おそらくレヒトが死ぬと時間が巻き戻るのだと。

魔王が救いたかったはずのラジが死んでもすぐには過去に飛ばないのに、レヒトが死ねば旅の途中でも飛んでしまう。どういう因果なのか、そもそも誰かの意思が働いているのかさえ分からなくなってしまった。

 アキリが巻き戻しの最初であるこのパーティーに戻ってくるタイミングはいつも同じだ。レヒトが命を落としたその瞬間に、必ずアキリはスタート地点に戻ってくる。

 皮肉なことに、その『最後』はアキリがどれだけ努力しようが変わらなかった。

 レヒトは必ず旅の終わりには死んでしまう。魔王を討って、代償として白の剣に命を吸われるか、もしくは魔王に殺されるか、そのどちらかだ。

 白の剣は、唯一魔王の黒の剣に対抗できる武器だが、その代償は大きかった。人並みはずれた力と回復力と引き替えに勇者が失う物は自分の命だ。

 だからこそ、レヒトの一族は英雄の一族などではなかった。

 表向きはそう讃えられていても、真実は違う。彼らは世界を救うための生け贄の一族だ。そして今回の生け贄にはレヒトが選ばれることを、アキリはもう知っている。

「……」

 アキリは持っていた懐中時計で時刻を確認した。まだパーティーは始まったばかりのはずだ。それなら、今回こそは。

 そう考えたアキリは、そっとパーティーを抜け出した。

 ドレス姿のまま屋敷を出て、待たせていた馬車に近づく。退屈そうに煙草を吸っていた御者の男は、アキリに気づいて慌てて煙草の火を消した。

 アキリは構わずに用件だけ告げた。

「街に向かってくれる?」

「街に、ですか? ですが、お嬢様……パーティーは」

「心配しないで。パーティーが終わるまでには戻るから」

 重ねて頼むと、不安そうにしながらも御者は頷いてくれた。それに乗り込みながら、アキリは更に言う。

「それから、街には中央橋じゃなく、平原から行って」

「え。ですが、遠回りですよ?」

「いいの」

 アキリは記憶をたぐり寄せて答えた。

 中央橋は事故により閉鎖されているはずだ。そちらへ向かっていたら、また失敗してしまう。同じ過ちは何度も繰り返すつもりはなかった。

 御者の男は不思議そうにしながらも、アキリの言うとおり、遠回りに馬車を走らせはじめた。

「……」

 流れていく夜景を見ていたアキリは、しばらくして小さく息をついて、目を閉じた。

 

 ラジ。

 セティ。

 そして、レヒト。

 

 名前を呼んでも、答えてくれる相手はいない。

 もう少しすれば再び会えることは分かっているが、それは今までずっと一緒にいた彼らとは別人だ。彼らとはもう永久的に会えない。

 全ては定められたことなのか、仲間に加わる顔はいつも同じだった。ラジとセティだ。だが、彼らの旅は毎回同じだったわけではない。

 例えばラジは、自分たちから離れて魔王側についたこともあったし、セティがレヒトを庇って旅の途中で命を落としたこともあった。

 繰り返しに絶望したアキリが、旅についていかなかったこともあったが、アキリはその選択だけは二度とするつもりはない。なぜなら繰り返しの中で、最も惨たらしくレヒトが死に、世界が崩壊したからだ。

 全く同じ旅など一回もなく、些細な違いが大きな分岐を生んでいく。にも関わらず迎える最後は同じなのだから、皮肉としか言いようがない。

 レヒトは死ぬ。魔王か、白の剣に、必ず殺されるのだ。アキリはそれを何度も何度も見てきた。

「……」

 馬の嘶きが聞こえて馬車が止まった。随分長い間考えごとをしていたらしく、もう街についたらしい。

 車窓から外を確認したアキリは息をのんだ。見慣れた夜景の中、街路樹の枝に溶け込むように佇んでいた一羽の鴉と目が合う。真っ赤な目が、じっとアキリを見つめていた。

「……」

 アキリは御者に礼を言って、馬車を降りた。目的地まで送ります、という男の申し出を断って、ここで待ってもらうことにする。

 鴉が羽を広げ、ゆっくりと飛び立った。まるで誘導するかのような飛び方だ。

 懐中時計をもう一度確認して、アキリはそっと足を進めた。鴉の後を追う。

 目的地はただ一つ。レヒトたちが住んでいる屋敷だ。


 


 何度かの繰り返しの後、アキリはあることに思い至った。

 旅の最後にレヒトが死ねば、必ずあのパーティーまで戻ってくる。そしてレヒトを殺すのは、魔王か白の剣のどちらかだ。

 それならレヒトに白の剣を使わせなければいい。白の剣の強大な力の代償に、持ち主の命は蝕まれるのだから。

 だけど白の剣を使わなければ、魔王は討つことはできないのだ。魔王を討たなければ、結局世界ごと滅び、またアキリは旅を繰り返すことになる。

 要は、レヒトに白の剣を使わせずに魔王を討てばいいのだと、アキリはそう気づいた。そうすればレヒトは生き、世界が滅ぶこともない。

 そしてそれが可能な方法は、ひとつしか思い当たらなかった。



 夜中に突然訪問したアキリを、レヒトの屋敷の人間は驚きつつ迎えてくれた。アキリは心の中で謝ってから、彼らを全員黒魔術で眠らせ、屋敷の中に足を踏み入れる。

 目的の物は地下にあるはずだった。隠し扉を開けたアキリは、灯りを片手に階段を下りていく。

 やがて目の前には、大きな扉が現れた。それを見上げて、アキリは目を細める。扉の横には、一羽の鴉がちょこんと佇んでいた。一体どうやって入ったのか疑問に思ったが、そもそもこの相手に人間の常識は通用しない。

 繰り返す旅の中、アキリはほんの時々現れる鴉に気づいた。

 鴉はいつも観察するように赤い目をアキリに向けていた。ただの鴉じゃないと悟ったのは、その鴉がラジと一緒にいるところを見かけてからだ。ラジがさりげなく誤魔化そうとした素振りから、鴉の正体に気づいた。

 その後も何度も見られている気配は感じたが、二人きりでこれほど近づいたのはこれが初めてだった。

 鴉は例の赤い目でアキリを見上げると、そっと首を傾げた。

『……やっぱり来たんだね』

 穏やかな、青年の声だった。魔王の時に相対した荒々しさは微塵もない。ラジにも似ていないな、とアキリはひそかに思う。

『こうして話すのは初めてだね。名乗ったほうがいいのかな?』

「……必要ないでしょう?魔王さん」

 囁くように返すと、鴉は羽を震わせた。笑ったのだろうか?

『そうだね』

「……あなたはどこから知っているの?」

『君と同じ最初から、だよ』

「……」

『君も僕と同じように繰り返していると気づいたのは、途中からだけど……。気づいてからは、君を見ていたよ。この繰り返しを終わらせられるのは、おそらく君だけだろうから。僕がどうにかできればいいんだろうけど、僕が僕でいられる時間はとても短いんだ』

 そう言って目を細めた鴉を、アキリは静かに見つめていた。

「……この繰り返しの原因を、あなたは知っている? 魔王」

『おそらくは。僕の魔力と、君の願いが絡み合っている』

 そう、とだけ答えて、アキリは扉に向き直った。

 立ちはだかるように存在する扉の取っ手に手をかける。魔王がどこか悲しそうな声で囁いた。

『……君なら、そうするだろうと思っていたよ』

「他に方法があるのなら、ぜひ教えてほしいけど」

 残念ながら、と鴉は羽を広げた。

『次に会うときは敵同士だね。……待っているから。僕の勇者さん』

 眉をひそめて鴉を見やると、鴉はそのまま姿を消した。しんとした静けさだけが残る。

 アキリは呼吸を繰り返して、再び扉と向き直った。手に力を入れ、扉を開ける。

 中に踏み出すと、纏わりつくような魔力を感じた。息苦しくなるような重い魔力だ。

「……」

 灯りをかかげて、中を照らす。石造りの狭い室内にあったのは、一振りの剣だった。柄から鞘まで真っ白な剣が、豪奢な台に奉られている。

「……」

 それと向かい合って、アキリの顔にかすかに笑みが浮かんだ。ようやく会えたと思った。

 これで、今度こそ。




「レヒトのことが、好きなのか?」とラジに聞かれたことがある。それは大抵旅の終盤あたりだ。

 一番初めに聞かれたのは、繰り返しが始まる前の最初の旅で、その時アキリは曖昧に笑うだけで返事をしなかった。

 ラジの言うとおり、確かに彼に対する好意はあった。不器用なレヒトを一人にする不安もあったし、彼をむざむざ生け贄に差し出した大人たちへの憤りもあった。

 けれど何度も繰り返すうちに、少しずつそれは変化していった。

 周囲の大人の汚さや、ラジの秘められた本心、セティの淡い恋心を知った。圧倒的な強さと不器用な優しさで周りを救うレヒトの覚悟を知った。そうしてアキリは、嘘をつくことを覚えていったのだ。

 だから繰り返す旅の中で「レヒトのことが、好きなのか?」と聞かれたとき、アキリは必ずこう答える。

「いいえ」と、ただ一言。




 目の前の白の剣に向かって、アキリは声に出して話しかけた。

「私はあなたを奉ってきた一族じゃないけれど、一応彼らと血の繋がりはある。……悪いけど、今回は私と一緒に魔王退治をしてくれる?」

 白の剣は、静謐さを保ったままだ。それはどこかアキリを受け入れてくれているようにも見える。

 アキリは微笑んだまま、それに手を伸ばした。

 







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