白魔術師の恋のおはなし
いつからか自然と目が追うようになっていた。それがどういった名前の感情なのかを、私はまだ知らずにいた。
借りた宿の一室で、洗わなければいけない洗濯物をまとめていたセティは、部屋のドアを叩く音に顔をあげた。
ドアを開けたのはレヒトで、彼はベッドのほうを一睨みしてからセティに目を向けた。
「セティ」
「はい」
「俺とアキリで買い出しに行ってくる。悪いが、ここでそのバカを見張っていてくれるか?」
「……えーっとー。そのバカって俺のこと?」
ベッドの中の住人ラジが、複雑そうに尋ねてくるも、レヒトは完全無視だ。
おいこら! 無視すんな! というラジの訴えを聞きながら、セティはレヒトに微笑んだ。
「分かりました」
「頼む。ああ、それから治癒術は使わなくていいからな。しばらくは痛い思いをしたほうがあいつのためだ」
「ひっでぇ、レヒト。おいこら、返事しろ」
ラジの呼びかけは最後まで聞こえない振りを通して、レヒトは部屋から出ていった。ばたん、と閉まったドアに、ラジが長いため息をついている。
その姿がまるで子供のようで、なんだかとても微笑ましい。
「ラジさん。具合はどうですか?」
「どうも何も。すっげー痛いのなんの。あいつ容赦なさすぎじゃねぇ? ってことで、セティお願いが」
「だめですよ。治癒術は使わないよう、言われてるんです」
「ちぇ。セティはレヒトの味方かー」
拗ねたような言葉だが、口調は明るい。表情を見てもどこか楽しそうだ。
ここ最近、何を思ったのかラジはレヒトに事あるごとに勝負を挑むようになった。正々堂々喧嘩をふっかける時もあれば、不意打ちのように背後から急襲する場合もある。
剣だったり拳だったり内容は様々だが、未だにラジは一度も勝てていない。レヒトは必ず涼しい顔をして反撃するのだが、たまに彼も子供のように熱くなって応じている時もある。
セティもアキリももう慣れはじめていたが、毎回のように返り討ちにあっているラジを見ると、どうして、という疑問はつきない。
「ラジさんは、どうしてレヒトさんに……その、勝負を挑むんですか?」
包帯でぐるぐる巻きにされたラジの足を見ながら尋ねると、彼はきょとんとしてから大きく笑った。
「どうしてって、そりゃ一回くらいは勝ちたいからかな。俺の目標の一つに、旅の間に一回でもレヒトから一本とるってのがあるわけよ」
「そ、そうなんですか」
「そうなんですよ」
くくっと笑うラジは、とても楽しそうだ。
「あ、その顔。勝てるのかなとか思ってるだろ?」
「そ、そんなことは」
「絶対思ってない?」
重ねて問われ、セティは視線をさまよわせた。ラジはとても優れた剣士だが、レヒトは更に規格外だ。
「まぁ正直な話、簡単にレヒトに勝てるとは俺も思ってないんだけどさ。あいつとやるのはいい稽古になるし、あいつもなんだかんだ好戦的だしいいかなって」
「はい。最近のレヒトさん、楽しそうです」
ラジとの勝負をレヒトがどう思っているのかは分からないが、迷惑そうな素振りをしながらも楽しそうに応戦している節はある。
少なくとも本当に迷惑ならレヒトははっきりとそう言うだろうし、ラジも弁えることができる人物だ。
セティが微笑みながら同意すると、ラジも同じように柔らかく目を細めた。
「うん。だといいけど。……ところで、セティってさ」
「はい」
「レヒトのこと、ほんと好きだよな」
「はい。…………はい?」
思わずうっかり返事をしてしまった後で、セティはこぼれんばかりに目を見開いた。瞬きするのも忘れ、固まったままラジを見つめると、ラジは「あれ」とちょっと困った顔をした。
「…………もしかして、言っちゃまずかった?」
「い、いえ。あの、そうではなくて」
セティは頭の中の大混乱を必死で整理した。好き、だなんて。どうして、そんな。
「…………あ、あの」
「うん」
「ど、どうしてそれを……?」
「どうしてって言われても……態度見てれば分かるっていうか」
その一言にセティはショックを受けた。態度を見てれば分かるなんて。
言葉を失ったセティに、慌てたようにラジが言った。
「や! でもレヒトは絶対気づいてないからさ! あいつ、こういうことには疎いし! 大丈夫!」
「……アキリさんにも気づかれてるんでしょうか……」
「アキリかー。あいつは、勘がいいからなぁ……って、今の嘘! 冗談だから!」
あわあわと焦りながらラジはフォローしたが、セティはそれどころじゃなかった。頭の中が真っ白だ。
「セ、セティ? 大丈夫か?」
「……はい」
「…………大丈夫じゃなさそうだな」
ラジは小さく息をついてから、弱ったように頬をかいた。
「っていうか、なんでそんなに気にするんだ? 別に悪い事じゃないだろ?」
「……悪い事じゃないかもしれませんが……今は時期が時期ですから」
「そんなん関係ないだろ? 好きになるのに時期とかさ」
まぁ、なんでレヒト? とは思うけど、とラジは茶化すように言う。優しい声だった。セティはそれに甘えて、誤魔化すように微笑んだ。
セティは孤児だった。幼い頃、親と死別してからずっと施設で暮らしていた彼女は、魔術の素養があったことも幸いして全寮制の魔術学校に入学した。
成績は悪くなかったものの、セティには決定的に欠けていることがあった。人付き合いだ。
将来有望な少年少女たちの中で、セティは一人、取り残されていた。ひとりではなかったのかもしれないが、そう感じていたのは確かだ。
そんな中、学校は魔物の群の強襲にあった。魔術が使える者が多くいても、子供は子供だ。教師たちは戦えたが、いかんせん魔物の数が多すぎた。その時、偶然現れたのがレヒトたちだ。
自分たちと同年代にも関わらず、強大な黒魔術を駆使するアキリ。魔物の群に怯むことなく飛び込んで、剣をふるうラジ。
それからレヒト。
彼の姿を見たとたん、セティは目を奪われた。次々と敵を屠る彼の姿は、なぜかとても綺麗だった。
逃げることも忘れ、立ち尽くしていたセティを、レヒトは容赦なく「邪魔だ」と怒鳴りつけた。そこからあまり記憶がないが、おそらく逃げたのだと思う。
魔物は殲滅したが、負傷者が多く、校舎も多大な被害をうけたため、生徒たちはほかの学校に身を寄せるしかなかった。
だが、全寮制という学校はなかなか少ない。家から通おうにも、セティには家自体がなかった。今更施設にもどることもできない。
どうしようか、と迷ったのはほんの少しで、気がついたらセティはレヒトたち一行を追っていた。
今となっては、どうしてそんなことをしたのかも分からない。けれど、そのときはそれ以外には考えられなかったのだ。
仲間に入れてほしい、と申し出たセティを、レヒトは眉をひそめて見ていたが、アキリとラジが賛成したら何も言わなかった。ただ、好きにしろと言っただけだ。
それからセティはずっと彼らと一緒にいる。最初はぎこちなかったが、今ではとても居心地がいい。それは、セティにとっては生まれて初めての感覚だった。
だからこそ、思うのだ。
この感情は、今のこの時間の中では不要のものなんだと。
ラジと談笑しながら荷物を片づけ終える頃、買い出しに行っていたレヒトとアキリが帰ってきた。レヒトが抱えている紙袋の中には、旅に必要な携帯食料や薬が入っている。
「おかえりなさい。レヒトさん、アキリさん」
「ああ」
そっけなく返事をしたレヒトは、荷物を置いた後、ふと思い出したように何かを取り出した。
「セティ、手を出せ」
「?」
言われるままに手を差し出すと、何か小さな物が乗せられた。
青い石を加工した、綺麗な髪留めだった。角度によってキラキラと光を反射している。
セティは戸惑ったようにレヒトを見上げた。
「あの、これは」
「前に髪が伸びてきて邪魔だと言ってただろう。やる」
ぶっきらぼうに告げられた言葉に、セティは目を見張った。
確かに前より少し髪が伸びて、邪魔だという話をアキリとした覚えがある。でも、まさか。
「え、あの、ですが」
「髪で死角が増えて、戦闘に支障をきたしたら問題だからな。きちんと対処するように」
戸惑うセティに、生真面目な様子でレヒトが言った。
ベッドからこちらを見守っていたラジが「なんだよそれ」と呆れかえり、アキリも同様に肩をすくめて嘆息する。
「……」
セティは髪留めをぎゅっと握りしめた。自分でもよく分からない感情がこみ上げてきて、それを抑えるかのように小さく礼を言う。
「……ありがとうございます。大切にします」
セティがそれを見てしまったのは、本当に偶然だった。
ある晩、野宿をしていた日のことだ。夜中に目が覚めたセティは、水を飲もうとして天幕から外に出た。月がやけに明るい日で、夜だというのに影が落ちているのが、とても幻想的だった。
天幕を出てすぐ、セティは小さな話し声に気づいた。ひそめた声だったが、レヒトのものだとすぐに分かる。
そういえば今日は彼が火の番をしていたはずだと、そちらに近づいてみたセティは、そこにもう一人誰かがいることに気づいた。
アキリだ。
天幕の中で眠っているはずの彼女が、たき火を挟んでレヒトと向かい合っていた。眠れずに起きていたのだろうか、と思ったが、どうにも二人の様子がおかしい。
「……どうしてそんなに意固地なんだ。何がお前をそうさせる?」
レヒトが低い声で言った。その声は抑えているにも関わらず怒っているかのようで、セティはどきりとする。
レヒトのこんな声を聞いたのは、初めてだった。いつも彼は淡々としていて、どちらかというと声に感情がのらない。
偶に穏やかに柔らかくなったり、呆れたような口調になたり。些細な変化はようやく最近セティにも分かるようになったばかりだ。
にも関わらず、その時のレヒトの声は、感情がはっきりと表れていた。問いつめるような厳しい色をしていた。
けれど、それを真正面から向けられたアキリは、無表情のまま息をついただけだ。
「随分な言い方ね。私は私のやりたいことをやるだけ。後悔しないように」
「アキリ」
レヒトの声が険を増した。これ以上は聞いてはいけない気がして、セティはそっと踵を返そうとした。その瞬間、あまりにも動揺していたせいで、足がもつれてしまう。
「!」
しまった、と思った時には遅かった。
音に気づいたのか、二人が顔をあげた。月明かりに照らされた夜の中、目があってしまう。とても気まずかった。
「セティ」
「……す、すみません。その、水を飲もうと思って」
しどろもどろにそう呟いたセティを見て、レヒトは息をついた。感情を吐き出すようなため息の後、彼は「そうか」と言った。いつも通りの声だった。
そのまま立ち上がり、その場を離れていってしまうレヒトに、なんだかとても申し訳なくなる。立ち尽くしたまま、彼がいなくなったほうを見つめていたら、不意に肩に手が置かれた。アキリだ。
「……すみません。お邪魔してしまって」
「いいのよ。気にしないで。大したことじゃないから」
アキリは軽く微笑んで、そう言った。




