剣士の裏切りのおはなし2
三人だけだった旅に、もう一人仲間が増えた。治癒を得意とする白魔術師のセティだ。
アキリは綺麗系な美人だが、彼女はどちらかというと可愛い系で、一目見たとたん、ラジは心の中で拍手喝采した。このパーティは本当に目の保養になる。素晴らしい。
と思ったのも束の間、よくよく見てみると、どうやらセティはレヒトのことを慕っているらしい。あの堅物変人勇者のどこがいいのかは甚だ謎だった。
野宿と決まったその夜、ラジはひとりで焚き火の前にいた。日が暮れる前に集めた枝を折って、火の中に放り投げる。ぱちぱちと小さな音がした。
「あの、ラジさん」
呼ばれて振り返ると、セティが立っていた。まだ仲間になったばかりの彼女は、戸惑うことも多いらしく、一歩引いた距離間を保っている。
「セティか。どした?」
「レヒトさんが呼んでます。今後の進路のことで、相談したいことがあるって」
「分かった。すぐ行く」
ひょいと立ち上がってラジは肩を回した。
レヒトやアキリはすぐ横の天幕の中だ。火の番がいなくなるが、長引くようなら一度戻ってくればいいだろう。
そう思ったラジはさっさと中に入ろうとしたが、すぐにセティが動かないことに気づいた。
「あれ、セティは? 中、行かないのか?」
声をかけると、彼女は少しだけ困ったような顔をした。ん?と違和感を覚えたラジに、セティは眉を下げて微笑む。
「私は……ここで火を見てます。放っておくわけにはいかないし」
「進路の相談だろ? そんな長引くとは思えないけど……火、消してく?」
「い、いえ!」
慌てたようにセティが声をあげた。初めて聞いた彼女の大きな声に驚いていると、セティも我に返ったのか顔を赤らめて俯いた。
「……す、すみません。大きな声を出して」
「や。全然いーんだけど」
ラジは頬をかいて「あー」と意味不明の言葉を呟いた。どう尋ねればいいのかと、言葉に迷いまくった末、可能性として高そうな事を聞いてみる。
「……もしかして、レヒトに何か言われた?」
「い、いえ!」
セティは目一杯否定したが、表情が全てを裏切っていた。レヒトの名前を出した途端泣きそうな顔になったのだから、関係ないと否定されても信じられるわけがない。
「じゃあなに。どうしたんだ?」
できるだけ穏やかに尋ねると、セティはかなり迷った末、ぽつりと答えた。
「……あの、私、この辺りの地理には詳しくなくて。お役には立てないと思います。だから」
俯いたままセティは言う。落ち込んでいるようだった。そんな彼女の様子をつぶさに見ていたラジは「そっか」と笑いかけた。
「分かった。ちょっと待っててな」
きょとんとするセティを残したまま、ラジは天幕に入っていった。
中にいたレヒトとアキリは、大きな地図を挟んで布の上に座っている。野宿の時に雑魚寝するための天幕なので、とても狭い。
「おい、レヒト」
「やっと来たか。遅いぞ」
「遅いぞ、じゃねーよ」
不機嫌に言い返すと、ようやくレヒトが顔をあげた。怪訝そうな顔をした彼を、ラジは軽く睨む。
「おまえ、セティに何か言ったか?」
「何かとは?」
「何かは何かだよ。心当たりねーの?」
「ないな」
この野郎、とラジはつい突っかかりそうになったが、それより先にアキリが小さくため息をついた。
「ラジ、その人に聞いても無駄よ。そういうことには疎いもの」
「アキリ」
顔をしかめたレヒトに、アキリは呆れたような視線を向けた。
「だから言ったじゃない。彼女、泣いてるんじゃないかって」
「……あれくらいで泣くわけがないだろう」
「どうかしら」
どうやらアキリには心当たりがあるらしい。二人の会話を聞いていたラジは、手を挙げてから口を挟んだ。
「はいはいストップ。……結局、こいつが何か言ったってことでいいわけ?」
「俺は進路の話をしただけだ。セティはこの辺りのことは詳しくないと言った。だから代わりにお前を呼ぶよう頼んだんだ。それがいけないことか?」
レヒトがラジをじろりと睨んだ。ラジが「そうなのか」とアキリに問うと、彼女は肩をすくめて答えた。
「言い方の問題じゃないかしら。あの流れで『おまえはもういいから、火の番をしててくれ』なんて言われたら普通は傷つくでしょ。セティは地理のことに答えられずに恐縮していたから、尚更ね」
ラジは唖然として、レヒトを凝視した。
「……うわ……。おまえ、そんなこと言ったのか?」
「…………俺は効率のいい方法を選んだだけだ」
「あのなぁ、それで仲間傷つけてちゃ意味ないだろーが」
はっきり言ってやると、レヒトがぎゅっと眉を寄せた。理解できないといいたげな顔つきだった。本当に、この勇者様ときたら。
ラジは大仰にため息をついて、二人を促した。
「ああもう、ほら、行くぞ」
「どこにだ」
「外にだよ。進路の相談なんてどこでもできんだろ」
そう提案すると、二人は拍子抜けした風に瞬きを繰り返した。すぐにアキリは小さく笑みを浮かべると「そうね」と頷いてさっさと天幕を出ていってしまう。
残るはレヒトだ。ラジは動かない様子の彼を振り返った。
「おい、レヒト」
名前を呼ぶと、彼は眉をひそめた。最近気づいたのだが、これはレヒトが考え事をする時の癖らしい。
「……よく分からないが」
「は?」
「俺はあいつを傷つけたのか?」
「……」
バカ正直に投げかけられた質問に、ラジは呆れかえってしまった。今時、そんな質問は子供でもなかなかしない。
「あのなぁ、そんなこと人に聞くなよ。何の為に目や耳や口がついてると思ってんだ。自分の目でセティを見ろよ。そんであの子がどう感じてるのか想像すればいいだろ? それが難しいなら口でちゃんと聞け。おまえ、そういうとこ本当適当だな。他のことは妙にきっちりしてるのに」
あえて遠回しにせずはっきり言うと、さらにレヒトは難問に挑むような顔つきになった。
「……アキリと同じことを言うんだな」
自分やアキリじゃなくても、レヒトの性格をある程度知る相手なら同じ事を言うだろう。そう考えたラジは、自然と自分がレヒトの性格を理解しているという事実に気づいてしまい、そっと顔をしかめた。
ああくそ。ちょっと深入りしすぎているのだろうか?
というラジの感傷は、ぽつりと聞こえたレヒトの声によって全て綺麗に吹き飛んだ。
「……悪かった」
「…………は?」
思わず聞き返してしまったが、レヒトはもう何も言わなかった。ラジの横をすり抜けて天幕を出ていく。
しばらくしてセティが慌てて恐縮しまくる声が聞こえてきた。どうやらあの堅物勇者がきちんと謝ったらしい、と、想像するしかできなかったのは、ラジ自身驚きすぎて天幕から動けなかったせいだ。
四人に増えた旅は、そんなこんなで最初ぎこちない部分もあったが、徐々にまとまっていった。
アキリとセティは仲のよい姉妹のようだし、セティがレヒトを慕う様子もちょっと微笑ましい。なんだかんだいって一番付き合いが長いらしいレヒトとアキリは、表面上は分からないが、信頼関係以上の何かがある気がした。
ラジはそんな三人に接しているうちに、妙な居心地の悪さを感じるようになった。
それが何なのかは、きちんと理解していたのだけれど。
「魔王、というものは元々は人間です。黒の剣と呼ばれる強大な力を取り込むことによって生まれる存在を魔王、というんだそうです」
セティの静かな声が聞こえた。
話の発端は何だっただろうか。確か最初に自分がレヒトの剣について尋ねたのだ。それが今は魔王の話になってしまって、ラジは正直後悔していた。
「黒の剣?」
聞き返したのはレヒトで、彼は驚くくらい魔王のことを知らなかった。
仮にも勇者なのだからちょっとは調べるくらいすればいいのに「どうせ倒すだけだ」というのがレヒトの弁だ。こいつが神経質になる時と大雑把すぎる時のラインの引き方がラジにはさっぱり分からない。
逆に魔王のことについて詳しかったのはセティで、彼女は魔術学校で学んでいた時に、知識として覚えたらしい。
「はい。伝承の話なので、実際にどんな形をしているのか……いえ、そもそも目に見える力なのかさえ分かりませんが、おそらく剣の姿なのだろうと言われています」
「根拠は?」
「レヒトさんの剣です。それは魔王の剣と対になっている白の剣だそうですから」
自然と視線がレヒトの持つ剣に向けられる。確かに柄も鞘も白い剣だ。
レヒト曰く、これは彼の一族で奉っている剣で、勇者は代々一族の中から輩出されるらしい。というのも白の剣を扱えるのがその血統だけ、というのだからラジは驚いた。そんなのは初耳だ。
「ちょ、ちょっと待て。……ってことは、もしかして黒の剣もそうなのかよ? 魔王になる一族みたいなのがいるってことか?」
動揺を殺しながら尋ねると、いえ、とセティが首を振った。
「白の剣は血の継承ですが、黒の剣は違うようです。今まで魔王になった人たちには共通点もありません。でも」
「でも?」
「一説によると、黒の剣は、剣と同じ負の波長を持った人間を選ぶとも言われています。……本当の所は分かりませんが」
同じ負の波長。ラジは思わず顔をしかめた。
何とも曖昧な見解だ。自慢じゃないが頭はそんなに良くないので、いまいちよく分からなかった。
「黒の剣を手に入れた者は、強大な力と同時に、強烈な破壊衝動が抑えられなくなるそうです。だからこそ魔王に成るのだと」
「……」
セティの話を、レヒトはいつものような仏頂面で聞いている。アキリは何の反応も返さず、まだ一言もしゃべらなかった。
ラジは自分の手元に一度視線を落としてから、顔をあげた。
「……なぁ、セティ」
「はい」
「その、……黒の剣だっけ? それって魔王から奪えたりしねーのかな?」
セティは大きな目を更に開いて驚いた。
「奪う……ですか?」
「そ。黒の剣さえなけりゃ、魔王だってただの人間に戻るのかなって思ってさ」
いつもの声音で聞けたはずだ。だが、それまで無反応だったアキリがちらりとこちらを見て、目を細めた。レヒトもじっとラジを見ている。ラジはそれらを全て無視した。
セティは困ったような表情で答えた。
「理論的にはそうでしょうが……過去にそういった例はなかったと思います。魔王が黒の剣を手放すときは、白の剣で討たれた時ですし」
「……そっか」
落胆する気持ちを押し隠し、ラジは「やっぱそうだよなー」と笑った。それから笑顔を顔に張り付けたまま、ひょいと立ち上がる。
「ラジさん?」
「俺、下で飲みもん貰ってくるわ。真面目に話し聞いてたら、喉乾いちゃってさ。おまえらも飲むだろ?」
「あ、でしたら私も」
「へーきへーき」
軽く手を振ってから部屋を出る。
扉を閉めると、ついため息がこぼれた。
「…………はー」
目を閉じて、先ほどのやりとりを頭の中で繰り返した。魔王を選ぶという黒の剣。破壊衝動。対となるレヒトの剣。
頭の中がぐるぐるした。気持ちが悪い。
廊下を少しだけ歩いただけで、それ以上進めなくて立ちすくむ。
『ラジ』
ふと名前を呼ばれた気がして、ラジは何ともなしにそちらを向いた。
窓の外。二階まで届く街路樹の枝に、一匹の鴉が佇んでいる。その目は深い赤色で、ラジをじっと見つめていた。
「……!!」
ラジは呆けた顔で、それを凝視した。喉がからからに乾く。
「……ルイン、か……?」
鴉は何の反応も示さない。おそるおそる窓に近寄ると、鴉は一度大きく羽根を広げた。
「おまえ、」
『ラジ。よく聞いて』
今度は頭の中に声が響いた。間違いなく、ラジの聞き覚えのある声だった。
「ルイン! おまえ、なんで」
『時間がない。いいから聞いて。馬鹿な真似はやめるんだ』
久しぶりに聞くその声は、責めるような色だった。
『君がなぜ彼らと一緒にいるか、僕は知ってる。やめるんだ。やめて村に帰って』
「帰る場所なんてねーじゃんか」
その一言は、ひどく相手を傷つけたようだった。しまったと思う。そんなつもりで言ったわけじゃないのに。
「悪い」
『ラジ、……僕は』
「ラジさん?」
突然後ろからかけられた声に、ラジはぎょっとした。慌てて振り返ると、部屋を出てきたセティが、不思議そうにこちらを見ている。
「セティ」
「あの、やっぱり私も手伝おうと思って……どうかしたんですか?」
いや、と呟いてラジは前を見た。枝の上にはもう鴉の姿はない。
「……いや、何でもないんだ」