発現
眼前に広がる惨状。
辺りに飛び交う緑色の触手。
そこら中に人が転がっている。
窓の下にも緑化した悪魔が。
館内に入ろうとしているのか?
何が狙いだ、被害者の数は、どうしてここまでの侵入が許された、そもそもなぜ”今”なんだ!
じいちゃんは大丈夫か?!
いや、一般の職員はすぐ避難しているはずだ。
展示品は?
”賢者の石”は大丈夫か??
どうして今!『緑化』が現れたんだ!?
まずい、まずい、まずいまずい。
まずは、いったい、なにをすれば?
頭が回らない、処理が遅れる、最優先は何だ!?
ナハトは明らかに混乱していた。
それもそのはずである。目の前の光景は歴史で一度しか確認されていない原因不明の現象、悪魔の『緑化』なのだ。
今この場で最善の行動をしたのは、わずか十六歳の少年、ジオだった。
「”完新世”!!!!指示を!!!!」
ジオの声にはっとした。
そうだ、今も指揮を執っているのはエインさんだ。
エインさんは顎を指で触れながら、ぶつぶつと何かを言っていた。
悩んでいるようだ。
鬼気迫る表情に背筋が震えた。それほどまでに、完新世にとってもこの状況は異例ということだ。
その時、窓の真下から悲鳴が聞こえてきた。
僕もジオも即座に窓から下をのぞく。
そこには緑化した悪魔の樹状の触手に体を締め付けられる隊員の姿があった。
エインさんはまだ何やら考えている、いや何かに戸惑っているようだ。
このまま突っ立っているなんてできない。
僕は窓から少し離れた。
エインさんは慌てた表情で僕に叫ぶ。
「おい待てナハト!!何をしようとしてんだ!!」
「それはこっちのセリフですよ!”完新世”!!その名はただの飾りですか?!さっきから僕ら立ち尽くしてるだけじゃないですか!」
ちょっと言い過ぎたか?そりゃあっちにも立場となんやらあるんだろうが。
いや、今はそんなことはどうでもいいんだ。
やるしかないんだ。
鞘から剣を抜いた。初めての実戦を前に手が震える。
「同感だ、ナハト。行くぞ」
ジオも僕の横に立ち、二本の剣を構えた。そして僕の顔をちらりと見る。
よかった。きっと考えてることは同じだ。
不思議と手の震えもおさまった。
「待て……二人とも何を考えてるんだ……?ここは五階だぞ……?」
戸惑うエインさんにジオがにやりと笑って答える。
「きっと考えてることは同じですよ」
僕とジオは助走をつけて勢いよく窓を突き破った。
二つの破砕音が夜空に響く。
ガラスの破片はわずかに光を反射しながら宙を舞った。
「ジオ!!ナハト!!」
エインさんが叫んだがもう遅い。
空中で後ろを振り向いて返事をする余裕なんてないのだ。
剣を真下の緑化した悪魔に向ける。
かなりの落下速度だ。
だが恐怖を感じる間もない。
鈍い音を立てながら強く悪魔の背中に剣を突き立てた。
自分の体にも衝撃が走る。
痛みに耐えながら剣を引き抜き、隊員を捕えている触手を切り落とした。
彼を抱えて悪魔と距離を取る。
ジオは落下の衝撃を塩でなめらかな坂道を生成することで吸収し、華麗に着地した後、さらに塩を生成して悪魔の体をその結晶に取り込ませた。
「ナハト!!大丈夫か!?そっちの人も、生きてるのか!?」
彼はゴホッと咳き込み「ありがとう、一人で大丈夫だ」と苦しそうに答えた。
僕はそれを聞いて再び悪魔に剣を構えた。
「嘘……だろ」
まさかだ。緑化した悪魔は背中に剣を突き立てられてもまだ生きている。
それどころか傷はふさがってきていて、さらには自身の体を縛る塩の結晶を破ろうとしている。
なんて生命力、普通の悪魔じゃありえない。
こんな怪物相手に一体僕らに何ができる!?
一体どうすればいい、一体、どうすれば。
ナハトは一層強く剣を握った。
頬を伝う汗が一滴、地面に落ちた。
*****
エインは二枚の割れた窓を見てようやく自身が出遅れていることに気づいた。
仕事に私情を持ち込んでしまうなんて、そんな後悔が頭をよぎったのも束の間、今はそれすらも無駄な考えだと思い直した。
今、目の前にいるのは我々の悲願、緑化した悪魔。
何十年も続く謎の根幹。
それが手の届く位置までやってきているのだ。
これはピンチであると共に千載一遇のチャンスなのだ。
『緑化』とは一体何なのか。
そのサンプルを今日初めて採取できれば歴史という名の争いに終止符が打てるのだ。
彼らが今訪れたのは偶然か意図的か。
どちらにせよ最優先はただ一つ。
国宝”賢者の石”の防衛だ。
彼らの目的は分からないが、この時期と襲撃が偶然とは考え難い。
他に犠牲が出ることは承知だが賭けにでるしかない。
エインがここまで考えるのにかかった時間はほんの数秒で、考え終わるよりも早く体は階段を駆け下りており、手には『収納』していた巨大な斧を取り出していた。
その場で出くわした隊員には各々に指示を出す。
これら一連のスムーズな動きは、さすが『新生代』としか言いようがない。
ジオとナハトは無事だろうか。
二人よりも任務を優先させなくてはならないことに、彼の心の古傷が傷んだ。
エインは地下二階の”賢者の石”の保管庫に誰よりも早くたどり着いた。
ここだけはなんとしてでも防衛しなくては。
到着から一分も経たないうちに、エインは二体の悪魔が建物内に侵入するのを気配で感じ取った。
そして聞こえる隊員の悲鳴。
案の定、階段から降りてきたのは二体の緑化した悪魔。
「会いたかったぜ」
その不気味な姿で身は震えあがった。
今はアイツのことなんて忘れよう、この『歴史』をぶった切るまでは。
エインは覚悟を胸にゆっくりと息を吐いた。
ゆっくりと斧を悪魔に向ける。
「”完新世”エイン=アスティマンの名に於いて、防衛権を行使する」
その目に、迷いはもうなかった。
*****
強い!!
僕もジオも、もう限界だ。
体中が傷だらけだし、息ももう持たない。
この悪魔を、僕ら二人と居合わせた隊員二人で相手しているが、一向に押されてばかりだ。
それにさっき緑化した悪魔が複数体、館内に侵入していくのが見えた。
じいちゃんは、エインさんは、”賢者の石”は大丈夫なのか?!
これが緑化......!まさに人外!
「そこの新人二人!まだ動けるか!?」
ベテランであろう隊員に声をかけられる。
「まだ動けます!」
そうジオが答えた時だった。
ジオの足元からツタが生え、それがジオの足を捕えた。
ジオも疲労が溜まったらしく、明らかに結晶の生成が遅い。
対処が後手に回る。
悪魔がその隙を見逃すまいと大きく触手を振りかぶりジオを襲う。
「ジオぉぉぉおお!!」
気づいたときには体が動いていた。
ジオと触手の間に割って入る。
でも遅い。剣での防御が間に合わなかった。
ナハトは右腕に触手の攻撃を受けた。
そしてその力で体を吹き飛ばされる。
気づいたときにはナハトの体は建物の壁にめり込んでいた。
不思議だ。体はどこも痛くない。
立たなきゃ。戦わなきゃ。守らなきゃ。
あれ?でもだめだ。手にも足にも力が全く入らない。
遅れて痛みが訪れる。
攻撃をくらった右腕が痛い、きっと折れている。
背中が、頭が痛い。
心臓の鼓動が早まる。
頭から流れた血が視界を赤くふさいだ。
痛い、痛い、痛い。
意識が遠のく寸前だった。
懐かしい匂いがした。
草木の匂いだ、どこかで嗅いだことがある。
近くで誰かが僕の名前を呼んだ。
誰だ?
ジオじゃない。女性の声だ。
きっと聞くのは初めてじゃない、優しい声。
あれ、でも誰の声だろう。分からない。
本能だった。その人が目の前にいるような気がして、その人に触れたくて、左手をそっと前に伸ばした。
でも左手は何も掴むことなく、そのまま空を切った。
幻聴だったのか。
いや、今はそんなことどうでもいいんだ。
立たなきゃ。
立って戦わなきゃ。
だんだんと激しかった鼓動がおさまってきた。
いらだってた気持ちが安らかになっていく。
痛みが和らぐ、今なら立てる。
足に力を入れた瞬間、僕の意識は途絶えた。
*****
「ナハト!!!!」
友達が自分の代わりに飛ばされるのをジオは指を咥えて見ていることしかできなかった。
けれども生まれた一瞬の隙。
ジオは足にまとわりつくツタを塩の結晶を生み出すことで振り払い、悪魔と距離を取った。
ナハトが壁に衝突する鈍い音がした。
彼を心配する間もなく、次々と襲いかかる触手を剣で防ぐ。
ナハトは無事か?
横目で見ると、彼が腕を前に出しているのが見えた。
よかった、ナハトは死んでいないとジオは心の底から安堵した。
でも状況は悪いままだ。
四人がかりで防戦一方だったのに三人でどう戦えば、とでも言いたそうな困惑を三人とも顔に浮かべた。
その時だった。
地面を割るような凄まじい衝撃と音。
それがナハトの方から伝わってくる。
三人だけじゃない、その場の全員が彼を見て、そして震えた。
自身の体を樹状に変えた、『緑化』したナハトがその場で立ち上がったのだ。
ジオは目を疑った。
そこにいたのは彼のよく知るナハトではない、ただの化物だったからだ。
「ナ、ナハト……?」
他の悪魔とは比べ物にならないほどの触手の太さ、長さ、数。
緑色の触手を従えるナハトはどこか神々しくもあった。
あれは本当にナハトなのか?
ジオには何が何なのかまるで分からなかった。
その場のすべての動きが、ナハトのせいで止まった。
『緑化』した悪魔ですら少しも動けなかった。
彼の白い髪が、風で優しく揺れる。
その静寂を破ったのは他の誰でもない、ナハト自身だった。
何の前触れもなく、巨大な樹状の触手が地面から湧き出た。
地面が激しく揺れて、ジオの相手をしていた悪魔がその触手に飲まれていった。
「うわぁぁぁああ!!」
辺りから悲鳴が聞こえる。
地面や壁、至る所から大人ですら簡単にひねりつぶせるくらいの太くて長い触手が生まれては辺りの『緑化』した悪魔を飲み込んでいく。
「なんだ……これは……」
ジオが思わず声を漏らす。
無理もない、その場にいる誰もこの状況を理解できていないのだ。
しばらくして騒ぎがおさまり、辺り一面はむき出しの巨大な木の根っこのようになっていた。
庭で暴れていた悪魔は一体も残らずナハトの触手に飲まれたようだ。
しかしその場にいる誰も緊張を解くことはしていなかった。
樹状の化物となったナハトが、まだ静かに立っていたからだ。
彼が次に何を起こすか、誰もが息をのんだ。
立ち込める雷雲が、夜を一層暗くする。
誰も動けず、固まっていた群衆を置き去りにして、一人の若い女がゆっくりとナハトの方へと歩いていった。
長く明るい茶髪と黒いコートの隊服を風になびかせながら、彼女は闊歩する。
歩き方一つに自信が見て取れる。
「これは何かな、緑化……でいいのかな」
彼女はナハトと相対する。
そしてゆっくりと鞘から剣を抜いた。
剣は煙のような、雲のような、何やら黒い気体を纏っていた。
「あれ……その服、緑制省の人間なの?君は」
ジオはそうつぶやく女性のその顔に見覚えがあった。
彼の記憶が正しければ、彼女はエイン=アスティマンに匹敵する人間だ。
「まあ、いいか。
君は歴史を探る貴重なマウスだけれども、加減はしないよ」
彼女はその深い青色の瞳でナハトをにらんだ。
「”鮮新世”ザラ=ジークエンスの名に於いて、『防衛権』を行使します」
彼女の宣言を待っていたかのように、雷が一発、彼女の剣に落ちた。
剣は黒い気体に加えて雷を帯び始めた。
刹那、一閃。
鋭い光のような彼女の一振り。
気づいたときには、一つの大きな切り傷をつけられたナハトが人間の姿で倒れていた。
「ナハト!!!!」
ジオは慌てて彼に駆け寄り、まずは息をしているか確認した。
「よかったぁぁ……」
ナハトはかろうじて生きていた。
ナハトを抱擁するジオに、”鮮新世”がゆっくりと近づく。
「君、説明できる?彼は何者なのかな?」
彼女はまだ剣を手に携えていた。
ジオはそれを見て、自身の言葉に友達の命がかかっていることを悟った。
―同時刻、大東博物館地下二階で”賢者の石”が破壊された。
破壊された赤い石の横には一つの遺体が横たわっていた。




