Carpe Diem
「今宵は私、ディーテの生誕祭にお集まり頂きありがとうございます。長ったらしい挨拶は省略させていただきます。それでは皆様、お楽しみください!」
今この瞬間、ここしかないと思った。
「我らが神ディーテよ! 私を見ろ!」
この場に集う人間、神の全ての視線を1点に集めた。私はただ1柱の神の目を見つめる。その澄んだ翠の目に意識を委ね、目を閉じる。……そろそろ頃合いだろうかと目を開いたその時、私の醜い姿が映る。
「あの化け物を殺してくれ! あれは人間なんかじゃない! 人を襲う前に急いで!」
そう言葉を発すると次の瞬間、私の元の忌々しい身体はバラバラに切り捨てられる。この一連の行動は私の人生を賭けた一世一代の大勝負だった。私が他人に意識を移している間に私の体が死ねば私の意識はどこへ戻るのだろうか。私はこのまま神の体に居座ることができる可能性に命を賭けることにした。どうせ私の人生は詰んでいたのだ。それならばここで死のうが大した損失では無い。……そろそろ何時もなら元の体に戻る頃合いだろうか。だが私の意識はこの身体から離れる気配はなかった。賭けは私の勝ちだ。
「ねぇ……君は、誰だい?」
突然私の頭の中に声が響いた。それは私たちの邦で聞いた事がない者はいない声、美神ディーテの声だった。まさか意識があるのか?今までにそんなことはなかった。私が乗り移っている間に本人の意識は無くなっていたはずだった。どうすればいいのだろうか?私は彼女に消されてしまうのだろうか?
「もしかして君はもう一人の私なのかい?」
この神ら何を言っているのだろうか。もう一人の私とはどういう意味だろうか。
「私は貴方じゃない。私は……ただの一般人だ。」
「それなら私と一緒じゃないか。私はただの人間なんだよ。皆私を神だと崇めて持ち上げるが、私にそんなすごい力なんてないんだよ」
私はその言葉が理解できなかった。ずっとこの神は崇高で偉大な力を持っているものだと思っていた。だが目の前にいる少女からは神聖な雰囲気も威厳も感じることはできなかった。私の直感は目の前にいるのはただの人間だと告げる。だが神ディーテは悠久の時を生きている。それはただの人間に可能な所業だろうか? いや、不可能だろう。となると目の前にいるのはやはり神なのではないだろうか?その率直な疑問を言葉に紡ぐ。
「貴女は永きを生き私たち国民を導いてきたではないか? 貴女の寿命はただの人間の寿命を超越しているように思える」
「私は呪われているんだ……昔、奴隷だった時に人魚の肉を食べさせられたんだよ。人魚の呪いは不死の呪い。私が奴隷だった時のことを知る人間はいつの間にか死に絶え、私はいつしか悠久の時を生きる神として扱われるようになった。これが神ディーテの正体だよ。」
なんということだろうか。人魚の呪いは聞いたことがあった。だが実際に人魚を見たことがある人を私は知らなかったし、私もまた人魚の存在など信じていなかった。それ故だろう、ディーテがただの人間などと疑う人間はこの邦にはいなかった。彼女のこの邦らしからぬ美しい異邦人のような容姿も神ゆえに美しいと皆考え、それが奴隷として連れられた本当の異邦人などと考えたことはなかった。私は唖然とし、言葉も出せないでいた。すると目の前の少女は口を開いた。
「さて、私の自己紹介は終わったよ? 次は君について教えてくれないかな?」
彼女からすれば当然の疑問だろう。さて、なんと答えるべきかだろうか。私の正体を正直に話すべきだろうか。だがそうすれば、気味悪がられ消されるかもしれない。だが相手は神ではないと言う。ここは正直に話しても問題ないのではないだろうか。このような思考を巡らせ私は慎重に言葉を紡ぐ。
「私は化け物だ。貴女の目に写っていたかは分からないが形容のしようのない醜い容姿の生き物。それが意識を他人に移せる異能を持ってしまった。これが私だよ。」
さて、彼女はどんな反応をするだろうか。醜い化け物が異能を自分に使ったことについて憤るだろうか。それとも侮蔑の視線を送られるだろうか。はたまたあまりに矮小な私を嘲笑するだろうか。なんであろうといつものように負の感情を向けられるものだと思っていた。だが思いの外彼女の反応は私の心を溶かすものだった。
「君は辛い思いをしてきたんだね……君はとても辛い顔をしているよ。」
彼女は憐れみを向けてきた。それも他の人間とは違い私を見下すような憐れみではなく、私の目線に立って寄り添うような声を掛けてくれた。
「君はこんなにも美しいと言うのに……」
……今この少女はなんと言っただろうか?私の容姿が美しいように見えているのだろうか?どうすればこの私が、美しく見えようか。
「私が美しい? そんなはずが無いだろう」
「ここは私の心象だよ。ここに居るのは君と私の魂。君の魂はとても美しいよ」
そう言われると複雑な感情が湧き上がる。私はあんなにも世界を呪ってきた。肉体の不恰好による負の感情を世界、或いは周囲に向けてしまっていた。こんな私の魂が美しいというのだろうか。
「美しい……私の肉体と言動はあんなにも醜悪だったのに」
「関係ないよ。君の心はこんなにも淡麗なんだ。ここでは君も私も肉体の醜美なんて関係ない、内面だけを見るんだ」
優しくそう語りかけてくれる彼女に私は否定の言葉を投げる。何故なら私は心まで醜いからだ。私の心は嫉妬と羨望で出来ていた。その身体の腐敗に向けられる目線には私の感性が形成される頃には不快に感じることはなくなっていた。代わりに私の心に生じたのは私に比べ美しい身体に生まれ健常に生きる者に対する『羨ましい』と言う気持ちだった。私がもしディーテの様に美しい容姿なら……などと何度妄想したことだろうか。その心は次第に強まり、いつの間にか私の中には他人と入れ替わる力が生まれていた。この力は私の魂の具現だと思っている。私の醜悪な欲望がこの他人に成り代わる悪魔の力を作り上げ、また私はそれをよしとした。
「私の心はきたない。私のこの能力がその証明になるんじゃないか? 私の汚い欲望の具現がこれだ」
私は強く否定する。善意も慰めも救いの手も何もかも私には必要なかった。私が欲しかったものは……
「君は何が欲しいかもうわからなくなったんだよね。ずっとずっと虐げられてその状況が当たり前になって、それで何かしたいなんて欲求を持つ事すらままならない。ただ生物の本能で生存する欲求だけ何となくあった。だから君には汚い欲求なんてないんじゃないかな?」
違う。この少女の言っていることは何もかも間違いだ。私は誰かにとって変わりたい。この羨望の感情こそ欲望じゃないか。
「私は誰かになって、私は……私は……」
なぜ言葉に詰まったのだろうか。私はずっと誰かになりたかった。それを目の前の相手に伝えるだけ。それだけでいいのになぜ言葉が出てこないんだ。
「君は誰かになってもしたいことなんてないじゃないか。君はどうしたいんだい? ……って君にこれを問うのは残酷かな」
私は何がしたかったんだろうか。私は誰かになって……そうしたらどうするんだろうか。私はディーテになったらどうしたかったのだろう。そもそもこの感情はいつ産まれたのだろうか。……あの生まれた日母か父かも分からない人物に言われた言葉が私の起源だ。
『なんで普通の子じゃないんだ』
私はずっと普通になりたかった。だがいつの間にかそれは他人から向けられた目線、感情によって汚染され誰かにとって変わりたい。普通に生きれる普通のあいつらが羨ましいと感じるようになった。私の欲望は空っぽだった。何の目標もなく何の意味もない空虚な欲に縋り私の全てだと思ってきた。私はどうすればいいのだろうか……私の元の身体はもう無くなった。空っぽの私の外側すらなくなり私には何が残っているのだろうか。
「大丈夫かい?」
気が付くとディーテは私の頭を撫でていた。その時私は初めて自分の魂の形を見た。普通の身体、今までのような醜悪な化け物の姿ではなく人の姿として地を踏んでいた。
「これが……私?」
「ほら、君はこんなにも美しい。」
この美しい容姿が私だということを受け入れるのにしばらく掛かった。その間彼女は私のそばで穏やかな表情をして見守っていてくれた。私が落ち着いて来たと感じると彼女は口を開く。
「君はこれからどうしたい?」
その疑問に私は答えることができなかった。私にはもう何も望むことなどなかった。生物としての本能すらなくなり生きたいとすら思っていない。言葉に詰まる私に
「したいことがないならここで私の話し相手になってくれないかい?」
その言葉に私は驚愕の意を表する。彼女が何を考えているのか全くわからない。彼女の周りには彼女が願え話し相手などいくらでも用意できるだろう。私に彼女は何を求めているのだろうか。それとも彼女のこれは私を消さないでいてくれる口実なのだろうか。
「君だけなんだよ? 私の秘密を知っているのは。つまり君は唯一私と対等な信頼できる話し相手になれるってことさ」
「……なぜ、私に秘密を話したんですか?」
すると彼女はクスリと笑い
「秘密! 私と話していたらいつか教えてあげる」
何故か私はその笑みに惹き込まれた。私の中に未だ知らない何かが入ってきた気がした。その笑顔につい、了承の返事をしてしまう。返答が返った途端に彼女は子供のように無邪気に喜ぶ。
「あはは! やった! 僕にも友達ができたんだ!」
「えっと……」
私が困惑したような表情を向け声をかけると彼女は気まずそうに謝罪の言葉をかけ少し落ち込んだような顔をする。その言動がなんだか面白く感じ私は思わず吹き出してしまう。するとディーテは少し怒ったように「笑うな」という。私は謝罪をするもののやはり面白い先程の風景を思い出しまた笑ってしまう。それにディーテもまた笑う。
「あはは、笑うなって言ったのに! もういいさ。こんなにも楽しいのは久しぶりだからね」
そう言う彼女を見ると随分と幼く見えた。私の話を聞いていたあのディーテはとても達観していてまさしく神だと思った。だが今の彼女は友人ができたことに喜ぶただの少女だった。いつも民衆に振る舞う姿は私の話を聞いていた時の彼女だった。だが何故か私にはこの普通の少女のような彼女こそ本当の彼女なんじゃないかと思えて仕方がなかった。




