第139話 荷駄の谷
後方の補給監視。それがザインの新しい任地だった。
砦から二日。レーンへ通じる街道の中ほどに、荷駄を束ねる溜め場があった。木の柵で囲まれた広い泥地に、荷車と樽と麻袋が雑然と積まれていた。糧を前線へ運ぶ中継の地だった。槍の音も角笛も届かぬ静かな場所だった。
二日の道のりは重かった。隊は壊滅した軍の生き残りだった。三日の退却で泥にまみれ、仲間を埋めてきた。馬上のザインは終始口を閉ざしていた。胸の内では、まだ南の袋の底が燻っていた。退き口の左の角でティムが組み伏せられた仲間を救おうと踏みとどまった姿。読み当てても人は死んだ。その重さが馬の歩みに合わせて何度も背を打った。
肩を吊ったコルネリアが少し離れて馬を進めていた。傷はまだ癒えきっていなかった。彼女もまた口数が少なかった。だが時折、ザインの背へ静かな視線を送っていた。互いに言葉はなかった。けれど、その視線だけで支え合えるほど二人は近くなっていた。
ザインは柵の前で馬を下りた。隊の生き残りが後ろに続いた。ガロが溜め場を見回し、鼻を鳴らした。
「これが、俺たちの新しい戦場かよ。樽と袋の山だ。敵がいるとすりゃ、鼠くらいなもんだな」
「鼠も侮れんぞ」
ザインは静かに返した。ガロが片眉を上げた。
「鼠は糧を食う。糧が減れば、前線の兵が飢える。兵が飢えれば、戦に負ける。鼠一匹から、戦は崩れることがある」
「……相変わらず、お前は妙なところを見るな」
ガロが肩をすくめた。だがその軽口の裏に案じる色があった。古い相棒はザインの芯がまだ揺れていることを知っていた。だからいつもより軽く喋った。重い沈黙でザインを一人にしないために。それがこの男の不器用な気遣いだった。ザインもそれを分かっていたから、ことさら邪険にはしなかった。
バルガが太い腕で麻袋を一つ持ち上げ、中を検めた。
「中身がスカスカだ。表に書いてある数より、ずいぶん軽い」
ザインは歩み寄り、袋の口を覗いた。確かに、記された量より中身が少なかった。荷札の数字と実際の重さが合っていない。誰かが途中で抜いている。後方の補給は、ザインが思っていたよりも深く腐っていた。
溜め場を仕切る差配の老兵が、面倒そうに近づいてきた。新しく来た監視役を値踏みする目だった。
「左遷の少尉殿か。ここは戦野とは違う。数えて、送り出すだけの仕事だ。余計なことは詮索せんのが、長く勤める秘訣でな」
「余計なこと、とは」
ザインが静かに問い返した。老兵は一瞬詰まり、目を逸らした。
「……袋の中身のことだ。上が決めた量だ。減ってようが、口を出すな。出したやつは、みんな飛ばされた」
ザインは老兵の落ち着かぬ目を見た。この男も腐りの一部だった。だが進んで腐ったのではない。口を出せば飛ばされる。だから黙って数えてきた。後方の腐りは悪人が一人で回しているのではなかった。黙ることで生きる無数の小さな諦めが、それを支えていた。敵は人ではなく、この溜め場に染みついた諦めそのものだった。
「面白い」
ザインは低く呟いた。バルガが訝しげに見た。
「腐った荷駄のどこが面白い」
「腐りが見えるってことだ。前線にいた頃は、糧が届かんとしか分からなかった。なぜ届かんのか、ここに来て初めて手に取れる。敗けた理由の一つが、この袋の中にある」
ザインは麻袋の軽さを掌で確かめた。南の大攻勢で、味方は己の大きさに溺れて袋へ落ちた。だがその大軍を支える糧が、もし最初からこうして抜かれていたなら。腹を空かせた兵は、判断を誤る。退き際を見失う。あの大敗の根は、戦野だけにあったのではない。こうした後方の泥地に、静かに伸びていた。ザインはようやく、敗北の全体像に手が届いた気がした。戦は戦野で始まるのではない。糧を積むこの溜め場から、すでに始まっていた。
ティムの形見の前立てが、胸の内で重く疼いた。あいつを死なせた戦の根が、もしここにあるのなら。読み解かねばならなかった。
「みんな、聞け」
ザインは隊の生き残りに向き直った。
「俺たちは戦野を追われた。だが、追われた先がこれだ。戦の根っこそのものだ。ここで糧と道と数を読み切れば、次に戦野へ戻った時、誰も飢えさせずに済む。ティムの分まで、ここで学ぶ」
誰も茶化さなかった。マルトが無言で頷いた。カイルが居住まいを正した。隊は左遷を恥とは思っていなかった。将がそう思っていないからだった。
頭上で、二つの月が夕暮れの空に淡く浮かんでいた。大小ふたつの蒼い影が、荷駄の谷に立つ将と、その傍らの仲間たちを静かに見下ろしていた。
ザインは麻袋の山に目を戻した。この軽い袋の謎を解くことから再起は始まる。閑職の泥地が、次の戦場の地図を描き始めていた。




