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第1話 徴募

 砂塵の匂いで、ザインは自分がまだ生きている事を知った。


 革のすれる音。鉄が鉄を打つ音。何百という足が乾いた街道を踏みしめる地鳴り。

 視界の端を、灰色の外套を羽織った男達の背が流れて行く。


 隊列だった。行軍している。


 前を歩く男の背嚢を見つめたまま、ザインは二度三度と瞬きを繰り返した。頭の奥が鈍く痛む。


 記憶が二重になっていた。


 ひとつは雨の高速道路。切り損ねたハンドル。正面から膨れ上がるトラックの前照灯。名取真という名前。自衛官だった三十一年分の人生。


 もうひとつはこの体の記憶だ。ザイン。十八。辺境の農村の三男坊。徴募官に名前を書き込まれてここにいる。


 ――転生、というやつか。


 馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばせれば、まだ楽だった。


 だが空を仰げば答えはすぐそこにあった。青い空に白い月がふたつ並んで浮いている。大小ふたつの月。


 地球ではあり得ない光景が、これは現実だと静かに突きつけて来る。


 夢ではない。死んで別の何かに生まれ直した。それだけの事だった。


「おい、ザイン。倒れんなよ。お前が遅れると俺の飯が減る」


 横を歩く大柄な男が肘でこづいて来た。赤毛を短く刈り込み、頬には引きつれた古傷がある。


 ガロという名がザインの記憶から自然と浮かんだ。同じ村から徴募された二つ上の幼馴染だ。


「……飯が減るのは関係ないだろう」


「あるんだよ。倒れた奴の分は隊で分ける。お前が倒れたら背負うのは俺だ。背負った分、腹が減る。腹が減れば飯が要る。理屈だろ」


 乱暴だが筋は通っていた。ザインは小さく笑って足を前に出す。


 脚が思った以上に軽い。十八の体は三十一の体とは違った。


「ガルデン帝国に栄光あれ、ってか。俺達みたいな三男坊にゃ縁のねぇ栄光だがな」


 ガロが唾を吐いた。


 記憶を辿る。ガルデン帝国。大陸中央の軍事国家。徴募制を敷き、平民を頭数として戦場へ送り込む国だ。


 今この隊列が向かっているのは西の王国との国境。会戦の前線へ繰り出される徴募歩兵の一団だった。


 歩きながら、ザインの目は勝手に列を測っていた。


 前後に長く伸びきった縦隊。両翼を護るはずの騎兵が見当たらない。荷駄の列は本隊から遅れ、補給の指揮系統が緩んでいる。


 街道は痩せた丘陵に挟まれていた。伏兵を置くなら格好の地形だ。


 ――もし自分が敵なら、この丘の上から弓を浴びせて荷駄から焼く。


 体に染み付いた目だった。死んでも抜けない、自衛官だった頃の癖だ。


「お前、さっきから何を見てる」


 ガロが訝しげに眉を寄せた。


「丘だ。あの稜線、人が伏せられる」


「は? 敵はまだ三日も先だぞ。怖気づいたか、農村育ち」


「お前も農村育ちだろう」


 ガロが喉を鳴らして笑った。だがザインは笑わなかった。


 怖気ではない。三日先の敵を恐れているのでもない。目の前の地形が嫌な形をしている。それだけだ。

 説明しても通じないと分かっていたので口を噤んだ。


 昼を過ぎ、隊列が小さな村の跡を通り過ぎた。

 焼かれた家々。井戸の縁に転がる、片方だけの子供用の靴。人の姿はない。


 ガルデン軍が通った跡だと、誰かが低い声で言った。

 城壁の片隅に、武具を取り上げられた者達が縄で繋がれて座らされていた。村人ではない。先の小競り合いで投降した王国側の兵だ。


「あいつら、どうなるんだ」


 ザインが問うと、隊列の後ろから嗄れた声が返って来た。


 振り返れば、髭面の軍曹が列の脇を歩いていた。ドレクと呼ばれている男だ。


「昔なら奴隷商に売って外貨にした。今は併合する土地が増えてな。決められた年数だけ畑を耕せば解放される。そっちの方が投降者が増えて、こっちの損も減る。商人どもは文句を垂れてるがな」


 軍曹は捕虜の列に一瞥もくれず淡々と続けた。


「お前ら徴募兵にも、生き残れば褒美は出る。中銀貨一枚。貧乏村なら一家が半年は食える額だ。――生き残れば、の話だがな」


 言い捨てて軍曹は列の前方へ歩み去った。

 ガロが顔をしかめて声を潜める。


「中銀貨一枚で命を張れってよ。安いもんだぜ、俺達の命は」


 ザインは答えなかった。安いのは事実だった。

 ここでは命に値段がつき、その値はひどく低い。そういう世界に自分は生まれ直したのだ。


 夕刻、隊列がひとつの丘を越えた。


 眼下に石造りの砦と、その周りに広がる無数の天幕が見えた。煮炊きの煙が幾筋も立ち昇る。馬の嘶きと、武具を打ち直す金槌の音が風に乗って届いて来る。


 帝国軍の前進拠点だった。


 そして砦の遥か西、地平線の際に別の煙がうっすらと滲んでいた。あれは炊事の煙ではない。もっと量が多く黒い。


 村か街か、何かが焼けている煙だ。


「……あれが、戦場か」


 ガロの声がわずかに掠れていた。


 ふたつの月が東の空にゆっくりと昇り始めていた。勝者を祝福するのか、これから死ぬ者を悼むのか。どちらにも見えるその光を背に、ザインは西の黒煙を見据えた。


 三日先だとガロは言った。だが砦のざわめきと、あの煙の近さからして――そんなに猶予はない。


 明日、遅くとも明後日には、自分は人を殺す側か殺される側のどちらかになる。


 名取真として三十一年。引き金を引く訓練は積んだが、人を殺した事は一度もなかった。


 ザインは静かに息を吐いた。


 腰に吊られた粗末な槍の柄を、一度だけ握り直した。

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