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悠久ラビリンス  作者: 手乗文鳥
本章

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12/29

鹿と若草山

事件の次の週、宏と加奈子は奈良公園に居た。

宏は自分のまわりでその週に起きた事を伝えた。


「とにかく、カラスを見かける事がすごく多かったし、それもものすごく接近してくるし、消防車も何回も見かけて、とにかくおかしかったよ。なんかすごくイライラもしたし。


今週はピタリとそういう事は起きないんだ。なんだと思う?」


「ふうん」


加奈子は特に答えずうなずいた。


そして、公園の中で鹿せんべいを買うと一枚取り出し、鹿の鼻先で上下させた。


鹿はせんべいの動く方向に頭を上下させる。

その動きを確認してから鹿にせんべいを与えた。


大抵の鹿は鼻先にせんべいを出されると、その様に頭を上下させるのだが、中には反応しないまますぐせんべいを咥えようとする鹿も居る。


加奈子はそういう鹿にはせんべいを与えず、頭を上下する鹿にだけせんべいを与えた。


宏は不思議に思い加奈子に


「何それ?」


と尋ねた。


すると加奈子は


「昔、ちっちゃい頃、うちのおじいちゃんがよくここに連れてきてくれて、こんな感じに鹿せんべいを買うんだけど、せんべいを鹿にやる時、絶対こうするの」


「うん」


「せんべいを上下させたら鹿も頭を上下させて、おじぎするみたいに見えるでしょ?」


「うん」


「おじぎした鹿にはせんべいを与えて、しない鹿にはやらないの、


『あつかましい鹿やな』


といってはそのせんべいをやらずに他の鹿の所に行くのよ。でまたせんべいを上下させるの」


「ふーん」


「で、私もおじいちゃんにせんべいを買ってもらって、やり方を教えてくれるんだけど。


必ず鹿の鼻先で上下させるように言われるのよ。


で、せんべいを上下させて頭を上下させず、そのまま食いつこうとする鹿にせんべいをやろうとすると


『そんなんにやったらあかん』


って手を引っ張られるの」


「そう」


「ずーっとそんなのだったから、それから鹿にせんべいをやる時はこれが普通になっちゃったのよ」


「ふーん、昔の人にありそうだね。家に土蔵があって、骨董品集めててもケチ臭かったんだね」


加奈子は答えた。


「でもね。鹿せんべいは絶対買ってくれるの。

ケチというよりかは一つの倫理観みたいだったな。大正の人の」


宏は


「すごくなんか昔のこのあたりの人らしい話だね」


と答えた。


猿沢の池のほとりに腰をかけ、なだらかに丸いカーブを描く若草山の稜線を眺め、加奈子は


「あんな胸が欲しいのよ」


と言った。


「私、本当はね。周りから胸をジロジロ見られて、一回困ってみたいのよ」


「どこがいいと思う?」


そういうと加奈子は美容外科の比較サイトをスマートフォンで開くと


「調べてよ」というと宏に渡した。


そして、ゆっくり立ち上がり、若草山の様なふわっとした尻をこちらに向けると。

再び鹿の方に歩きだし、先程からと同じ様な手順でせんべいをやりだした。


雰囲気は穏やかかなまま、何の含みもなかった。


* * *


ひとしきりせんべいをやり終えると加奈子は宏を手招きし、「せっかくだし、登ろうか」と言った。


宏は


「少し離れてるね」と言った。


加奈子は


「まぁ、いいじゃない。見晴らしもいいし」


と言って歩きはじめた。


「麻莉に連絡したの?」


と宏に尋ねてきた。


宏が首を振ると加奈子は


「一回連絡した方がいいと思うな。あなたの遭遇した状況は多分あの子ならわかると思うけど」と言った。


それから少し考えると


「あなたはなんか変なスパイラルに陥っている」


と宏に言った。


宏は少し首を傾げ


「うん、何かおかしい」

といった。


野芝が一面に絨毯の様に丸い山肌に生え。

その傾斜の至るところに鹿がのんびりと歩きまわっている。


歩きながら加奈子は行った。


「麻莉ちゃん家ね。シングルマザーなの。お父さんがギャンブルにのめり込んでね。


で、別れて、お母さんは一人でスナック始めて、それが結構繁盛してて、


ま、田舎でいくとこもないから近所のおじちゃんだけじゃなくておばちゃんとかもよく来てるの。集会所みたいに」


「ふーんそうなんだ」


宏は答えた。


「麻莉も昔よくカウンターに入ってたんだけど、最近はどうなのかな?


で、お母さんは健康食品とか化粧品の販売とかもやってて昔、家に行ったら段ボールが山積みで、色んな人集めて、どうやったら人脈が広がるとか色々レクチャーもしてたの。


私も麻莉づてに誘われたんだけど、そんな性格じゃないんで行かなかったな」


宏は鼻をひくつかせると、ニヤっと笑って


「ふーん。なんかわかってきた」といった。


加奈子は「何が?」と聞き返した。


宏は答えた。


「マリーのあのキャラの成り立ちが」


「あぁ、うん、そうね。大阪の短大に行ってた」


加奈子は答えた。


結局、登り始めたもの三重ある山の山頂までは行かず、一重目の山頂で引き返す事にした。


見晴らしのいい丘の芝の上から街を見下ろした。


空は高く雲は綿を千切った様に遠くまでたなびいていた。


加奈子は言った。


「宏くん、今日はおとなしいのね。いつもみたいに奈良の悪口とかこれはユダヤだとか言わないの?

私好きなんだけどな。あの話」


「そうなの?」


「このあたり、あんな勢いでまくしたてる人なかなかいないからね。新鮮なの。


それにムチャクチャに聞こえるんだけどよく考えたら、割と当たってるから余計におかしいの」


宏はしばらく考えた。


「うーん、奈良はこんなところだから明治の一時期十年ほど大阪に併合されてて、奈良の名前は日本地図から消されてたとか、

ここはシナイ山の一重目山頂だとか言えばいいのかな?」


加奈子はミルクキャラメルを宏に渡した。


「思いだした」


宏は言った。


「鳥居だけどね。出エジプト記の話で災いを避ける為に羊の血を玄関の二本の柱と鴨居に塗るっていうのがあって、その形状とか色とかがよく似てるらしい。


聖域と普通の領域を分けるとか、魔除けとか、役割も似てるらしい。


そもそも幕屋っていう移動式の神殿があって、それの構造と神社の構造も共通点が多いらしいよ。


そういう話を信じるなら神社の鳥居はシルクロードのゴールゲートって事になるね」


「ふーん。鳥居ねえ」


加奈子は答えた。


帰りも東大寺の前を通るとものすごい観光客の数だった。


宏は


「いっつもこんなに多いの?」と尋ねた。


加奈子は


「最近かなり増えた」


と答えた。


「ホテルもね。昔はもっと少なかったの。市内泊まる所がない位に」


宏は


「京都はいくら人がいても、雰囲気は変わらないけど、このあたりは少し閑散として寂れてるくらいじゃないと雰囲気が出ないね」


と言った。


加奈子はまた宙をみながら考えていた。


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