月光
「エルゼ―?」
夕食を終えた後のこと。
俺はしんと静まり返った島の中を、エルゼを探して歩いていた。エルゼを呼ぶ俺の声が、周囲を囲む森の中へと消えていく。
夕食を食べている最中は当然その姿もあったのだが、食べ終えていざ部屋に戻ろうというタイミングで、ふらりといなくなってしまっていたのだ。
別荘の中に居ればすぐ見つかると思って軽く探していたのだが、軽く見て回ってもエルゼはいなかった。
であれば夜の散歩にでも出ているのだと思い、一応姉さんに断りを入れてから出てきた。
別荘から海までの道は簡単に舗装もされているのだが、なるべく自然らしさで纏めたかったのか、その道は半分砂利道のようなもので、たまに小さい石を踏んではバランスを崩してしまう。
俺はライトで足元を照らしながら歩いて回る。
明日行く予定の海岸沿いなども見て回ってみた。アイツの事だから明日食べる魚を予想しながら海でも見てそうだったから。
だが、その姿は見えなかった。
「いない……森の中には……入るわけないよな」
真っ暗な海を見て呟く。今日は新月に近い月だが、雲が出ていることもあってよく見えない。
いくらアイツが外に出たとして、何の理由もなく森の中に入っていくとは思えない。もし理由があるとしたら、それは俺同伴になるだろう。
「とすると…上か?」
昼間洞窟に入った時にちらっと見たのだが、山には頂上に繋がる階段が設置されていた。
その時は上に何があるのか確認しなかったが、せっかくだ。エルゼ探しのついでに登ってみるとしよう。
そう思い、金属製の階段をカツンカツンと足音を立てながら登っていく。やけに音が大きく響いた。
「ここにいたとして何しに行ったんだろう……」
洞窟に沢蟹を捕まえに行った?それは無いだろうが、上を見ていなければ洞窟にも寄って──いや、流石に真っ暗だから無理か。
階段を上り切ると、そこにあったのは展望台と思しきデッキと、雨宿り用の東屋的な建物が1つ。
そして、そのデッキから夜空を見上げる影が、1つ。
「やぁ。来たんだ」
「あ、会長……」
どこか物憂げな表情で真っ暗な空を見ていた会長は、こちらを一瞥すると、再度目線を外に向けた。
何か悩み事がありますって、そんな顔をしていた。文化祭の時は枢木の「顔にそう書いてある」という発言が意味不明でしかなかったが、あの時の俺もこういう顔をしていたのだろうか。
いや、それは無いな。俺はここまで分かり易い顔をしていることは無いと思う。
会長は何も言わずじっと目を細め空を眺める。
「会長…どうかしたんですか…?」
このまま黙っていてものっぴきならないということで、話を聞いてみることにした。
「そうだね…どうすればいいんだろうって」
「どう……そうですか」
会長はこちらに目線を向けることはなく、ただ吐息をついた。
まぁ、3年生だしな。もうそろそろ将来のことで悩むこともあるのだろう。この人の場合、色々と未来の幅も広そうだし、その中から選びたい未来を選べばいいだけだとは思うのだが、選択肢が多いとそれだけ悩むのかもしれない。選択の幅が狭いが故に悩むよりはずっといいのだろうが、人生に悩みは付き物で、それは尽き無いという事なのだろう。それとどう付き合うのかが、その人の生き方というものだ。
しかし反応的にはあまり触れられたくないのかもしれないと、話題を変えることにする。
「話は変わりますけど……怪我とかはもう大丈夫なんですか?」
会長はほんの数秒黙って、それから言った。
「あんまり話、変わってないね……」
呆れたようであったが、怒っているわけではなく、死んだ魚のような目で苦笑していた。
南無三宝。
この間の朝の事を思い出してそう思ったが、話題を変えられなかったのならこの際、踏み込んでみることにする。
一歩踏み出すその勇気、いつだってそれが世界を変えるのだ。
尤も、俺の場合はその一歩がこの、最高でもなければ最低でもない現在を作り出したのかもしれないのだが。
「何があったんですか?」
「……負けたんだよ」
言いたくなさそうに、それでも答えてくれた。
負けたと言うのは聞いているから知っている。実際には敗北の一歩手前まで追い詰められて、そこに俺達の放っていた魔法が乱入して、運良く、あるいは運悪くその魔族が事故死したということも。
まぁこれは連係プレーというやつだ。きっと。
「生き残ってた方が勝ちなんですから、負けじゃないんじゃないですか?」
だからこそ分からなかった。どうしてそこまで拘るのか──確かに負けて悔しいという気持ちは理解できるし、たぶん会長よりも俺の方がそういう感情は強いのだとさえ思ってはいるが。
「結果的には私の勝ちかもしれないね。けど、そこに至るまでは完全に私の負けだよ。準備を整えて万全で向かう事だってできたはずなのに、それすら拒んでこれだ」
「でも結果勝ちならいいじゃないですか」
「私は、全てにおいて勝たなきゃいけなかったんだよ」
「なんでですか?」
「それは……」
そう言って、言の葉は途切れた。
結果として、魔族が死んで会長が生きてるならそれではダメなのか。途中どんな戦いをしたのか、どんな負け方をしたのかは知らないが、あんなに血塗れだったんだ。きっと全力で戦ったに違いない。
勿論、その過程があるからどうという事でもないのかもしれないが。
「私は……聖園の人間だから。負けるわけには…」
「負けたらダメなんですか?」
「……ああ」
階段付近に立ったままというのもあれだったので、会長の横に並んだ。
柵に手を置くと、金属はとても冷たかった。
「昔から何人にも負けてはいけないと言われて育ってきて、小さい頃からよく怒られてきてさ。勉強にしろ何にしろ、誰にも負けないように色々頑張ってるのはその頃からなんだよ」
俺が隣に立つと、ポツポツと、小雨のように話し始めた。
「生徒会長になったのだってそう。あんなお遊びみたいな選挙で負けるわけにはいかないって。それで会長になったら、今度は頼りにされる人でいなくちゃって思って、がっかりされないように頑張ってきた」
前々から感じてはいたが、この人は義務とか責任ばかり背負い込んでいるのだろう。それもこの人の場合、望まれてそれをしているのにも関わらず、周囲からそれを押し付けられている様なものなのにも関わらず、まるで自分からそれを選び取ったかのようにそれを認識してしまっているのではないのだろうか。
それは当然、俺みたいに困った事を全部「まぁいいか」で済ますよりよっぽど責任感があっていいのだろうけど、それは少し──いや、かなり疲れる生き方をしているように思えてならない。
「リラと出会ってからも私は負けなかった。君に会うまでは」
そう言って再びこちらを見た。一瞬体が強張ったが、俺は平静を装った。
あの時俺が負けていれば、会長はその次に姉さんを狙ったに違いない。事実そう言っていたわけだし。
「今になって思えば、負けていてよかったのだけどね」
「それが、原因なんですか?」
自分が原因なのではと思ってしまったが、それは否定された。
「確かに負けは負けだし、負けてはいけないとは言われていたけど……、流石に勝ってはいけない場面があることくらいは理解しているよ。楓君に負けたのだって、自分の実力が及ばなかっただけ。そう……納得してるよ」
弁明するようにそう言った。しかし、その言葉が本心で言われたものなのか、俺には判らなかった。
推論で決めつけてしまっていいのなら、自分をな得させようとしているだけに思えた。少なくとも、納得しきれていない様な表情なのは見て取れる。
「けど、その事が伝わってしまったみたいでね。久しぶりに怒られてしまったよ」
「はぁ……怒られた……」
会長がこの間から少し暗い顔をしていたのはそういう理由だったのだろうか。これもやはり憶測でしかないが、そう思った。
「普段私が何をしていても興味なんて示さないのに、そういう時にだけ私を見るんだよ」
かなり強い口調で、毒を含んでいた。
何か言おうと思ったが、何を言えばいいのか分からずに口を噤んだ。
「それで、これまでの失態とか……そういったものを巻き返そうとして君達に隠し事をして、利用して、私1人で奴に挑んで無様に負けた」
自嘲気味に言った。そうする事で守られる部分もあるからだろう。
人から言われるくらいなら自分で言う、そういう類の自己防衛。
自分もたまにやるから分かる。
「笑いなよ……」
「あんな大怪我してるの見たら流石に笑えませんよ」
姉さんがやったのかと思って焦ったって思いの方が強かったけど。
しばらくの沈黙の後、会長は口を開いた。
「もう私は、一体誰として生きているのだろうか…それすら分からない」
「誰……とは?」
「聖園家の娘としてなのか、皆に頼りにされる生徒会長なのか──それとも、神の代理人なのか」
どれも全部会長の事だと思うが、言いたいこととしてはそうではないのだろう。
「あの時戦った魔族に言われたんだよ。神のカケラでしかない私に勝ち目はないと」
「神のカケラ?」
「リラが私に与えた力の事だよ」
そういえばエルゼが言ってたっけ。あの白ハムは神となんちゃらかんちゃらで──会長の力はその神の力の一部をリラを経由して行使しているとか。
カケラ。神の力を100%使えているわけじゃないからカケラなのか。
俺の場合はどうなるのだろう。エルゼは一体俺に何の力を流し込んだのだろうか。力の源が俺や姉さん、会長の間でそれぞれ微妙に違う所為で分からないな。
「私はきっと…中途半端なんだろうね。実際そう言われたし」
「中途半端……」
「いろんな自分をこなそうとして、そのどれもこなしきれていない。こなしきれていない訳じゃないと思うのだけど、全てにおいて中途半端なんだよ。そう、言われたし」
言われた。誰か別にもそういったことを指摘した人がいるのだろうか。
「ま、まぁ……確かに…会長はちょっと背負い込み過ぎな気もしますけど……」
「そう…見えるかい?」
「まぁ、傍から見て大変そうだなって思うくらいには」
「君は、どうなんだい?」
そう問いかける会長の声が、低くなっているのが分かった。
「いや、俺はそもそも責任なんて面倒な物背負うつもりもありませんよ。人間が背負いきれる責任なんて1人分さえ無いんでしょうし。その場その場で自分が思うようにするだけです」
「それは……」
「自分でも確信を持って言えるくらい無責任ですけど。でも俺、最初に──エルゼに会った時に言ったんですよ。支配されてもいいと思える魔族が現れたら、そいつに地球渡しちゃって、俺が戦うのはもうやめるって」
声こそ出さなかったが、もの言いたげな顔で、一瞬こちらを向きかけていた。
軌を一にする者同士かと思っていたら、場合によっては敵に下ると言われたのだから当然だろうが。
「だからここまで無責任になれとは絶対言いませんけど。でも、親とか周りの期待に応えようって、そればっかり考えるのは──」
「君に、私の何が分かるんだ」
言いかけて、会長がこちらを睨んだ。
「それは……そりゃ多くは分かりませんよ」
「そうだろうね。あんなに君の事を大事にしてくれる姉がいて、ご両親にはお会いしてこそいないけれど、あの家を見ればわかる。いい家族なんだなって。そんな君に、私の事は分からないよ」
会長はそう言ってから、表情を何度か変え、俯いた。
「……すまない。嫌な言い方をした」
そして消え入るような声で、そう言った。
気に障るようなことを言ったのはこちらだろうに、こういうことができる人なのだ。
「会長、俺は会長が金持ちの家の子じゃなくても、うちの高校の生徒会長じゃなくても、魔族とかを倒す仲間じゃなくても、どこかで出会えば同じように仲良くしたいと思ったと、そう思います」
「……」
「ま、まぁ……あの日ああして会う事になったのは、全部が噛み合ったからですけど」
あの日生徒会室で会ったのは、会長が聖園家の教育方針に従って生徒会長になったから。そこから戦闘になったのは会長がリラに出会っていたから。
そもそも俺が生徒会室に行くことになったのは……あぁ、元を辿ればモンブランの所為か。
あれ?モンブランがうちの学校に来たのって俺が仕留めそこなったからか?魔族を殺し損ねたことで繋がった縁だとでも言うのだろうか。
でも確かに、あんなことが無ければ関わり合いになることも無かったであろうことを思うと、人生何があるかなど分からないという事か。
けれど確実に、関係が続いている要因はこの人自身のものだ。
だったら、別の場所で、違った形で出会っていたとしても──って、ありもしないたらればを考えたって意味はないのだけれど。
少なくとも今日まで、そして明日以降もこういった関係性は続くのだろう。
何事もなければ、何事もなく、続くのだろう。
明日も、未来も。
「それと俺、信じてるんです」
「信じてる……?」
「明日の自分を。きっと、今日の自分よりもうまくやるはずだって。まぁ、問題の先送りでもあるんですけど」
問題の先送り。
夏休みの宿題を明日やろうと言って放置したりだとか、解決しなければならない問題から目を背けたりだとか、そうやって、立ち向かうわけでも逃げるわけでもなく、何もしないでいること。
しかしそれは言い換えれば、都合よく換言するのならば、ポジティブな表現をしてみるのならば、未来の自分へのささやかなプレゼントでもあるわけだ。
それが果たしてささやかで済むか否かは、その問題の大きさに依るのだろうけれど、全ての問題が解決した状態で送る人生が果たして楽しいのかと言われれば、少しくらいは、良いことだろうが悪いことだろうが、残しておくくらいがちょうどいいのだろう。
しかし残しておくにしても、今やってどうにでもなるモノは残しておくべきじゃない。未来の自分が起こっているのが、未来から見て今であるこの俺を罵っているのがなんとなく見えるから。俺は未来予知なんてっ出来っこないけれど、それだけは何故か分かる。
不思議なことに、不可思議なことに。
「明日の自分を……信じる……」
「信じてあげればいいと思います。明日か、明後日か、まぁいつでもいいんですけど、未来の自分は成長してるはずだって。その時解決することもあるでしょうし」
ゲームなんかがそうだ。
初期の段階からラスボスに挑めたとして、その段階で倒しに行こうとは思わないだろう。もし、試しに倒しに行ってみて負けてしまったとしても、全く歯が立たなくても、後悔は立たないだろう。
だってそれは、今倒すべき相手ではないのだから。
レベル上げを終えた、未来の自分が倒しているはずのモノなのだから。
未来の自分から楽しみを奪ってやるのは、いただけない。
勿論、その未来の自分が負けているのだとすればまた問題なのかもしれないが、その場合は単に攻略の仕方が悪いというだけだろうから、その時また考えなおせばいいのだ。
結局、今の自分を信じて挑むのも、未来の自分を信じて撤退するのも、同じことだと思う。
「そっか」
しかし、そう言ったのはそう言った事として、それはそれとして。
「あぁ、それと。さっき何が分かるんだって言いましたよね」
俺は言われたことを全て黙って受け取るだけではないのだ。
「え……あぁ、言ったね」
「まず、会長はいい人です。自分が悪いと思ったらちゃんと反省して謝れるし、頼みごとをする時も、どこかの誰かとは違って断りを入れてきます」
「そ、そうかな?」
「凛々しい人ですけど、でも堅物という訳でもなく。文化祭のアレを見るにノリのいい人だとも思います」
「まぁ、楽しいことは好きだね」
「それから……エグイ表紙のBL本に涎垂らしてた…ヤバい人です」
「うん……ん?ちょっと!?」
そう言って、驚いた顔でこちらを見た。
しかし、すぐに吹き出して笑った。
よかった、怒ったりはしてないみたいだ。
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「───それで、私の父がね………あの、そっちじゃなくてね」
30センチほど落ちた目線を上げられてしまった。
冗談だったのだけれど。
「親に、褒めてもらいたかったんですか?」
会長が生き急いだ原因は失態を取り戻すためだと言っていたが、なぜそこまで必死になるのか。
必死になって、決死の覚悟で、挙句瀕死になって。
「分からない。昔は叱られもしたけど、結果を出せば褒めてもくれたんだよ。だから、自分でも気が付かないうちにそれを求めていたのかもしれない」
「それで死んだら目も当てられないと思いますけど」
「それは……まぁ、そうかもしれないけど…」
親が忙しく、自分にあまり関心を持たないことが原因で、そのせいで過去の成功体験を引き摺ってしまっているのだろうか。
だとすれば、俺がここで何を言っても根本的なものは何一つ解決しないのだろう。
会長自身でさえ、それをどうこうすることは難しいのかもしれない。仮に、思っていることを全て親に言ってみたのだとして、それで簡単にどうにかなる様なものとは──その親がどういう人間なのかにもよるのだろうけど、難しいのではと思う。
考え込んでいると、会長の身体が少し動き、こちらに向けられた。
「心配してくれなくても、もう同じ真似はしないよ」
「そうですか……?まぁ、会長が噓つくとも思いませんけど──」
「……流華」
「はい?」
「ずっと私の事会長って呼んでるけど、流華でいいよ」
「……聖園先──」
「言ってたよね?私が聖園の娘じゃなくても、生徒会長じゃなくてもいいって…言ったよね?」
少し違うような気もするけど、復唱されるとなんか恥ずかしい。
「じゃあ、流華先輩で」
「まぁ、それでいいかな」
そう言って会長──流華先輩は再び夜空を見上げた。
俺もつられて目を向けると、いつの間にか、雲は晴れていた。
月が出ていた。
新月に近い三日月で、うっすらとしかその姿は見えなかったが、都会で見る月より綺麗に見えた。
「月が…綺麗だね」
「……それはあれですか、君の方が綺麗だよ──みたいなことを言った方がいいやつですか」
まさか文学的な表現でもあるまいに、冗談で返した。
すると、また少し笑った。
「颯君、そういうことも言えるんだね」
「冗談でなら言えますよ」
「そっか。…………でも、やっぱり綺麗だ」
小声で呟いたその言葉は、颯の耳に届く前に、夜闇の中に掻き消えたのだった。




