北の山
「ここか…今までのものと違うのは確からしいね」
22時を少し回った頃、彼女は目の前にある拠点を見て呟いた。
施設の大きさも、見張りとして利用されている小型の魔物も、ここが下っ端の、あるいは木っ端の構成員が和気藹々と寄りあうような場所でないことを示していた。
幹部2人やその他構成員を彼らが足止めし、余計な邪魔が入らない状況に持ち込んだうえで戦闘を進め──勝つ。
向こうの力がどれほどの物か、未だその全容はつかみ切れていないものの、一切の邪魔の入らない状況でありさえすれば──もちろん昼間の、太陽が昇っている時間帯の方が彼女にとってはいささか戦いやすいのだが、それでも勝機は十分あると、流華は考えていた。
彼女は手始めに見張りの魔物を一掃し、そのまま施設の外壁を破壊する。この中にだって色々と回収しなければならないものは多く存在するのだろうが、どちらにせよそれをゆっくりと回収している暇などなく、結果が同じならと、彼女は手段を択ばなかった。
その瞬間、流華目掛けて魔物が飛び出してくるが、この程度では相手にならない。否、この程度を相手取っているようでは、話にならないのだ。これまでに見かけたことのないような魔物や、まるで魔物と魔物が掛け遭わされたような見た目の存在も混じってはいたものの、所詮は魔物、苦戦することなどあってはならなかったのである。
流華の放つ聖光に焼かれ、声を上げることさえできずに消滅していく。そんな光景がしばらく続いた──その時だった。
お目当ての存在もそんな流華には気が付いていたらしく、今まで姿を見せなかったとは思えないほどあっさりとその姿を見せたのだった。
流華は月を見上げた。
「よぅ。お前だな?俺様の手駒を潰し回ってるのは」
自身から漏れ出る魔力を隠すこともなく現れたそれは、近くにいた配下の魔物を手ずから消し飛ばすと、高度を下げた。月明りをバックに、ゆるりと降りて来たのだ。
山羊のような頭の、軍服を思わせるようなロングコートに身を包んだその魔族は、ある程度の距離で止まると、鷹揚に構えた。
そこには確かに余裕が見え、流華は苛立ちの様なものを覚えた。
「お前が…オメガの…」
「ああ。俺様はカルロメッツ」
魔族は自身をカルロメッツと名乗った。聞くだけで気分の悪くなるような、体調でも崩してしまうのではないかと思えるような、どこか不吉で、嫌な声であった──この声そのものはおおよそ声などと呼べるものではなく、流華の耳には、不快な音を何重にも重ね合わせて無理矢理声のように聞こえさせているだけの、ある種の合成音声のようにしか聞こえていなかったのだが。
そう感じると同時に、流華はここまで来て初めて、危機感を覚えた。
今まで相手してきた構成員や幹部たちとは当然力の桁が違い、それどころか彼女がこれまで屠ってきた魔族よりも圧倒的な力を感じられたのだ。それが先日戦ったばかりの颯や楓と比べてどうなのかという話をするのであれば、それこそ彼らの方がよっぽど強かったようにも思えたのだが、あの時とは少し状況が違っている。
颯に関しては洗脳されていた時の判断能力で下されたものであり、その判断がどこまで正しかったのかは分からない。楓に関してはそもそも殺すつもりで戦ったわけではなく、楓の中にあった流華由来の苛立ちを受け止める形での戦闘だったため、そんな状況が出感じた相手の強さというものもまた、判断に迷うところではあった。
それが単に、負けだとか弱さの様なものを素直に認めることを悔しがったという、彼女の本当の意味での弱さでもあったのかもしれないが。
同時にリラは、その魔族からは感じるはずのない気配をも感じ取っていた。目の前にいるのは魔族であり、それは間違いないモノでもあったが、本当に相手をしなければならないのは──と。
「もう終わりだよ。お前の組織も、計画も、野望も」
警戒だとか恐怖心の様なものを悟られぬよう、流華は態度を崩すことなく剣先を向けた。月光を受けたその刃は光を反射せず、どころか吸収していく。文字通りの白羽になっていった。
「ん?ああ。アイツらの事か」
「あぁ、今もそちらの幹部2人が交戦しているはずだ」
「さっきからよくわからん気配を感じてたが……そういうことか」
「諦める気に、なってくれたかい?」
「戯け。奴らは勝手についてきたから手駒として利用してやっているだけだ。手間は増えるのだろうが、あんな者ども、端から俺様には必要ない」
鼻で笑い、そう言った。続けて、ただでさえ細いその目を皿に細めると、カルロメッツは流華に宿ったその力を視た。
「ふむ……にしてもその力。なるほどな、神のカケラか」
「神のカケラ?」
「お前、神の力の代理人だろう?」
『カケラ』という言葉の意味が分からなかった流華であったが、自身に与えられた力の事を差しているのかと、合点がいった。
「……あぁ、その通りだよ。神の名の下に君を断罪させてもらう」
「できねぇよ。お前は神の名を借りる者であって神そのものではない。そんな奴に、俺様は負けん」
「言っている意味が分からないな。たとえカケラだからと、それがどれほどの大きさかによるだろうに」
氷山の一角。
例え一部分だとは言っても、そもそもが視界に収めきれないほどの極大なものであったのならば、それを軽んじられる道理はない。それが家庭用冷蔵庫の製氷機で作られるような氷を指すのであれば、確かに小さなものと言えるのかもしれない。
しかし流華自身、そんなことは毛ほども──と言っては少し言葉が過ぎるのかもしれないが、兎に角、思ってはいないのである。これまで魔族やら魔物やら──悪魔付きやら、そんな者達を葬ってきた己の、リラを通して与えられた力そのものは、決してそんなものではないと確信していた。
「なら試してみろ。お前のような弱き者の攻撃でこの俺様が殺せるといいがな」
流華は火のついた花火のように飛び出していくと、黒いよ闇を裂くようにして、白羽を振るった。真っ黒なキャンバスに、真っ白な筋が描かれた。
「はぁぁぁッッ!!」
その刀身には神聖さを帯びた魔力が通っており、触れたものを焼き焦がしていくものであった。
──が、しかし。
斬りつけられたはずの魔族は傷一つなく、そこに立ち続けている。
「力を温存して勝てるわけがないだろ。死力を尽くせ、死ぬ気で戦え、そして死ね」
力が通用せず呆然としていた流華を、僅かな魔力で弾き飛ばした。流華は拠点の壁を何枚か突き破ったところで止まったが、口の端からは血が出ていた。どれだけ鍛えたところで口の中まで頑丈にすることなど出来はせず、つまりは切ってしまったのだった。
刹那、敵から迸る魔力を探知し、リラが警鐘を鳴らした。
それを聞くや流華は即座に天井を突き破り、そのまま天高く飛び上がる。
「な……!」
その直後、流華が今いたはずの場所が消し飛んだ。火山が噴火するかのような勢いで、その空間が吹き飛んだ。
間一髪か危機一髪か、彼女は逃げおおせることには成功したものの、それでも爆風にあおられ、体勢を崩してしまう。
「形状変化、女神の弓!!」
武器を構え直すと、剣の形態から変化させる。
「炸走する輝矢!!」
黄金に輝く弓から放たれる大量の光の矢がカルロメッツを捉える。
かつて颯に放った時よりも速く力強くなっていたはずのその矢は、カルロメッツに全弾命中したのにも関わらず、さして効果があったようには見えなかった。
流華の攻撃による衝撃波は、辺りを破壊し尽くして尚止まることなく木々を薙ぎ倒すものであったが、当の本人は未だそこから動かないでいた。
しかしその瞬間、そこにいたはずのカルロメッツの姿がぶれると、背後に気配を感じると共に、流華の身体は地面に向けて墜とされた。
魔力を押し固めることで密度と質量を極限まで高めた球体を、ただ背中に押し当てられただけであった。
たったそれだけの行動で、彼女の身体は1秒と経たずに地面に接触した。
「かはっ…!あ…がっ……!」
地面と正面衝突を果たしても尚、彼女は魔力球に押しつぶされ続け、声にならない呻き声を上げる。
「分かったか?これがお前が俺様に勝てないといった理由だ。これだけで断じられるほど弱いとも思わなかったがな」
そんな流華を、カルロメッツは嘲笑した。その声が果たして流華の耳にきちんと届いていたのかどうかは不明であったが、その瞬間、流華は行動を起こした。
「ぐぅっ…!ぁぁぁぁああああっっっ!!!!」
薄れゆく意識の中、自爆覚悟で魔力を放つことで持ち直したのだ。
それを見たカルロメッツは驚き、ただ純粋に流華を褒めた。
「…!喜べ。勝てる可能性もあるかもしれないぞ」
「ふぅ…っ……!形状変化、命の盃」
荒い息の中、武器の形態を再び変化させ、銀に輝く盃に変化させた。中は透明な液体で満たされており、それが月の光を受けて輝く。
「慈愛の雫……っ」
盃に満たされた液体が眩く光り始めると、そのうちの一滴が彼女に零れ、その傷を癒していく。
「それもまた神の力か。だが、回復したところで同じことの繰り返しだ。何の意味がある」
「私は勝つ…勝たなければ…私は…」
立ち上がり、武器を構え直した流華を見てカルロメッツは怪訝そうな表情を浮かべたが、地を蹴り迫る彼女を対処するため、その手に魔力を貯め直す。
「はぁっ!」
正面から斬りかかった流華に向け魔力による弾丸を放つが、それが撃ち抜いた流華の姿は残像であった。
神速で飛び回り、その姿を何重にも分裂させると、流華本人ははカルロメッツの背後を取る。
「……っ!」
背中を深く斬りつけられたカルロメッツは斬撃によるものとは思えないほどの衝撃で吹き飛ぶが、即座に体勢を立て直し闇を放った。
触れた木々が腐り果て、地面は音を立てて抉られていく。煙を上げながら辺り一帯をクレーターに変えると、再度接近してきた流華を捉える。
闇は蠢く触手のように数手に分裂すると、残像を1つ1つ消し去っていき、遂には本体の流華にも直撃した。
「くっ……!ごはっ…!」
カルロメッツが放った闇、その速度と質量はおおよそ全力疾走する車の十倍。それが体の一点に集中して打ち付けられるのだから、その衝撃は交通事故の比ではない。
闇にぶつかり転げ回り続けた彼女は、いつの間にか全身が血で染まっていた。
傷は癒えても流れた血が消えるわけでもない。自身の手を見て肌を粟立たせた。相手に思うようにダメージを与えられないまま、自分の傷だけが増え続けていたという事実に。
そのことが彼女を焦らせ、恐怖へと駆り立て、とうとう足を竦ませ立つことさえ許さなくなった。
「少しはやるようだが……まぁ、所詮はこの程度か」
それを知ってか、空に浮かんで流華を見下ろすように、余裕綽々といった態度でカルロメッツは語り始めた。
「俺様はな……生物、なかんずく人間の負の感情を集めていた」
ゆっくりと息を整えながら流華はカルロメッツを睨みつける。回復する暇を与えてくれるなら都合がいいと、その時を待ちながら黙っていた。
「負の感情をエネルギーとし、それを広域に放つことで人間の生気を奪う。その生気を我が力に変換する」
その情報は押収した資料を読み漁った流華も知っていた。しかし、その目的が不明だった。
力に変換してこの世界を征服するのかとも思ったが、それ自体はこんな手法を取らなくとも十分達成できたはずだ。
「力を得ることが目的なのであって、俺はこの世界に興味はない」
流華の疑問に答えるように続けた。
「だからこそあんな雑魚どもには利用価値も多少はあったのだが。人間を使うのは間違いだったな。多少賢いだけで、あまりにも弱すぎる」
そう言ってから流華を見て嗤った。
流華は悔しそうに歯ぎしりをするが、出来ることが無い。出来たとしても光線を数発放つのが限界だろう。
リラも撤退を指示してはいたが、ここで逃げて何になるのかと一蹴していた。ここで自分が退けばこの魔族は行動を開始するに違いないという思いもあった。しかしそれ以上に、負けてしまうというのが恐ろしかった。
「だが、お前のような存在がいるとなるとこれまでのようにもいかない。面倒だが…1人ずつ叩き潰すしかないか」
面倒臭そうに言ったその瞬間、カルロメッツの角を光線が掠めた。
「……!」
──外した。
顔面を狙ったはずだったが、彼女の視界は既に歪んでいて、揺れる敵の姿を捉え切れていなかった。
「安心しろ。慌てずとも最初はお前だ」
手を頭上に掲げると、カルロメッツの全身から集められた魔力が巨大な球を形成し始めた。月光を遮る程の闇が空に拡がった。
「流華…!」
この時点で覚悟したのか、剣を杖の様に地面に突き刺して立ち上がった。
そして何とか剣を向けると、体内に残った全ての魔力を剣先にへと集中させ、カルロメッツの腹目掛けて撃ち込んだ。
それを魔力を収斂させながらも器用に回避したカルロメッツは、流華を消し去るために攻撃を放とうとし、嗤った。
「……っ」
「お前が神のカケラでしかない以上、この結末は必然だった……それだけのことだ。ここで死──」
が、流華の攻撃を避けた先で、カルロメッツは目の前に迫りくる巨大な2つの光線に気が付いた。
「──っ!?」
しかし、気が付いた時には遅かった、遅すぎたのだ。
それが何かも分からないまま、颯と楓が同じタイミングで放っていた攻撃に巻き込まれ、カルロメッツは消滅した。跡形もなく、消し去られてしまった。
カルロメッツを滅ぼした2つの光線は尚も突き進み、最後には互いに衝突すると、激しい爆音と光を放って相殺された。
黒と白の極光が、真っ赤に染まった流華を照らした。
全身から力が抜けていくと、流華はその場に崩れ落ちる。
「流華!流華!大丈夫ですか!?」
リラが慌てて近寄ると、動けないでいるだけで、意識の方はハッキリしているのを確認して安堵した。
「私は…また…」
「……ですが、奴の反応は消失しました」
「私はまた…負けたんだよ…」
「そ、そうかもしれませんが……」
リラはどう声を掛ければいいのか分からずにいた。
確かにあのまま行けば流華は負けていたし、それどころか死んでいただろう。しかし今こうして残っているのは流華の方だ。だったらそれでいいのではないのか──しかし、それで納得するのなら初めからこんなことはしていない。
「流華……どうすれば……」
そこにゆったりとした足音と共に悪魔の気配が近付いてきた。リラはそちらに目線を向けると、忌々しい気配が、しかしそれが流華を間一髪生かした存在だと、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「別にいいじゃない。アイツは死んだんだし」
楓であった。流華の様子に関して何か指摘するわけでもなく、語り掛けた。
「楓……君?」
「なんか変だと思ったら……馬鹿じゃないの?」
「馬鹿……?私はアイツを……」
「倒せなかったからそのザマなんでしょうが。何?死にたかったりするワケ?」
「黙れ……!」
「な、何なのよあんた。何をそんなに生き急いでるのか知らないけど、あの子の事都合よく利用して私まで巻き込んで──」
「……」
倒れ伏したままの流華から泣き声が聞こえ、楓は動揺した。
「ちょ……ちょっとやめてよ、私が泣かせたみたいじゃない」
「お前が泣かせたんだろう。それに、迎えに来てやったんじゃなかったのか?」
姿を現したヴェルザが早く帰るよう促した。
「はぁ……死にたいなら死にたいで別に止めたりしないけど、今あんたが死ぬようなことになったらあの子が悲しむからやめて欲しいんだけど」
あの子というのは颯の事だ。尤も、知り合いが死ぬという寝覚めの悪さと、旅行がおじゃんになるというものだろうと、楓は考えていたのだが。
「颯君が…?」
それをどう捉えたのかは、流華以外には分からない。
「え?えぇ。だから……ほら、帰るわよ」
楓はしゃがみ込むと、流華を背に乗せて山を下り始めた。
「勝てなかった……私はまた……」
「……ねぇ、うるさいんだけど」
その背中で譫言の様にそんなことを呟きすすり泣き続ける流華に対し、嫌気がさして言い放った。
「どれだけ負け続けても、あんたがあんたとして生きてるならそれでいいでしょ」
「……その言葉に、何の意味があるんだ」
「知らないわよそんなの。そもそも意味のある言葉なんか存在しないし」
でも、と楓は言葉をつづけた。
「でも、あんたのその行動よりはまだ意味もあるんじゃないかしら」
「私のやっていることは無意味だって、言いたいのか……」
「それで死んだら何の意味もないって言ってんのよ。もう寝とけば?頭回ってないみたいだし」
このまま家に送り返すのも問題が起こりそうだと考え、楓は流華を自宅へと連れて帰ることに。
そのうち流華が意識を失うと、楓はそれを背負い直して夜空を駆けた。
なんだかんだで面倒見の良かった楓は、どこか釈然としないながらも颯の待つ家に帰ったのだった。
△▼△▼△▼△▼△
両親は既に家を出ていた。
数日後には自分達も家を出ることにしている訳だが、2人は宿泊先の都合で一足先に家を留守にしていたのだ。だからこそ流華を連れて帰ることができたのだが、楓はそんな状況にある意味感謝しつつ、家に戻った。
「ただいま…って、何してるのあんた」
玄関を開けリビングに入った楓が見たのは、戦利品を並べては価値がありそうな物を順番に並べていく颯の姿だった。
「おかえり…って何してるの姉さん……ん、え、は?つ、遂に殺った…?う、噓でしょ……?」
同様に、リビングで盗品、もとい友好の証の鑑定ごっこをしていた颯の目に映ったのは、全身血塗れの流華を背負った姉の姿。
「違うわよ」
「じゃあなんで会長そんなに血塗れなの」
犯罪臭のする空間で、2人は流華をソファに寝かせた。
「この女、私達に雑魚押し付けて自分は魔族と戦ってたのよ」
「魔族……なるほど、ボスか。え、でも……あそこにそんなのいた?」
「──え?……えーっと、はい!いました!」
「……噓つくなよボケハムが!」
あからさまに目を泳がせたうえで自信満々に答えたエルゼに、颯の手が伸びる。
「……ん………ぅ」
取っ組み合いを始め騒々しくなる御厨家のリビングでその眼を微かに開いた流華は、その姿を見て笑みを浮かべると、再び意識を手放したのだった。




