西の山
21時59分。
颯が東の山で待機しているのと同時刻──楓もまた、西の山でその時を待っていた。
「…………」
楓は内心大丈夫だろうという確信があったが、それでもどこか心配そうに、颯がいるであろう東の山に視線を向けていた。
「小僧がそう簡単に負けるわけあるか。でなければ我は今こうしておらん」
あまりにもキョロキョロとしているので、ヴェルザが呆れたように諭す。
「……分かってるわよ。それでも心配なのよ」
「そうか。それよりも、だ」
「何よ。なんかあったの?」
「向こうの山、何かいるぞ」
ヴェルザはそう言って北側をを指した。目の前に見えている拠点の入り口は南西を向いていて、その拠点の先、北側にはもう1つの山が見える。秋になると紅葉が綺麗な山で、平上赤山とかそんな名前だったかと、朧げな記憶を辿った。
「あっちにも?」
「あぁ。まぁ、予想はつくがな」
「……そういうこと。気に食わないわね」
時間を確認すると、堂々と正門まで歩いていく。
監視が気が付き警告するが、楓が止まることはない。制止に応えず近付く楓に銃を構えた段階で、彼らの意識は消える。
暗闇に紛れ込ませ、背後に回り込ませた魔力体で、彼らの首を締め上げたのだ。身体が数瞬持ち上がると、脱力し腕をダランと垂らした。
仕事を終えた魔力体は楓の身体にスルスルと戻っていき、何事もなかったかのように消える。
颯が蹴破ることになった鉄の扉は楓もまた苦戦するが、ヴェルザのアドバイスで闇をぶつけて鉄を腐敗させることで、麩菓子のように簡単に壊れていった。
「変なところね」
「そこら中に悪魔の気配がするこの空間は、我にとっては懐かしいがな」
魔界で実験に明け暮れていた過去を思い返すヴェルザ。
しかし、実験することそのものにしか興味を示さないせいで、何を実験していたのか自体はよく思い出せなかった。
「曲者!出合え出合──きゅべっ!」
楓の姿を捉えた構成員達が応戦を試みるが、あえなく気絶させられると、不格好なモビールにされるのみであった。
チカチカと、蛍光灯の明滅する中、天井から悪魔憑きが吊り下げられている、異様としか形容しようのない通路を、ただ奥へ奥へと進んでいく。
「なんか張り合いがないわね。弱すぎて」
「こんな雑魚共と張り合うな。我の格が落ちるわ」
「はいはい」
楓は建物を適当に破壊しながら進んでいくと、その奥に1つ、他の部屋とは雰囲気の違う一室を見つけた。扉は重厚で厳重なセキュリティによって守られていたわけだが、やはり楓の前ではそれも形無しであった。
「退屈な場所ね」
ドアも壁もなく、ドロドロに溶け落ちていく。
部屋の中は薄暗く、しかし天窓から降り注ぐ月光によって、その中心は淡く照らされていた。壁には気持ちの悪くなる様な幾何学模様が刻まれていて、顔を顰めながら目を背けた。
そんな中、部屋のどこかから声が聞こえた。
「退屈しているようであれば、私がお相手しましょうか」
「ん?何か言った?」
「何故我を見る。どう考えても別の声だろうが」
楓は聞こえてきた声の主がいないことに疑問を持ち、後ろにいたヴェルザを見る。
当然自分ではないと否定するが、なら声の主はどこかと辺りを見回す。やはり趣味の悪い部屋だと、楓は眉間に皺をよせた。
ただでさえ夜のこの時間を潰して出てきているというのに、姿も見せずくだらない時間稼ぎをされたのではたまらない。
「こちらですよ、お嬢さん」
前を見て、後ろを見て、横を見て、やはりその姿は見えなかった。苛立ったような声で
「どっちよ」
「だから我を見るな」
そう言って辺りを警戒しながら見回す楓の前に、黒い霧と共に黒装束の男が現れる。どこから現れたのかはわからなかったが、恐らくは元からそこにいたのだろう。
「すみません。こうして姿を消すのが趣味なものでして」
「へぇ。クッソキモイわね。死ねば?」
間髪入れず、舌打ち交じりに返した。
「ほ、ほぅ…。言ってくれますね。私が誰なのかを知ってのことだとすれば、相当な自信家のようですが」
「知るわけないでしょ。でもアンタがここの親玉なのはなんとなく分かった」
「ええ。私がこの支部を任されております、神威と申します。まぁ、名乗ったところで意味は無いのかもしれませんがね」
そう名乗る神威に、楓は笑った。
「何かおかしな点でも?」
「なに真剣な顔してそんなこと言ってんのよ。バカじゃないの?」
楓はしばらく笑い続けた。
それを見て神威は顔を引き攣らせる。
「そんなにおかしいですか…」
「いい歳した大人が秘密結社とか言ってる時点で笑いこらえるのに限界よ。しょうもないのよ、全体的に、やることなすこと全部が」
「ふむ…お嬢さんは我々をどこか誤解しているようですね」
「誤解?学校襲ったならず者集団に何の誤解があるのよ」
「それは……そうかもしれませんね。ただ、アレは成果を上げようと勇み足を踏んだ彼の独断ですので」
楓は笑うのをやめ、大きくため息をついた。呆れ果てて言葉も出ないようであった。
「はぁ。どう取り繕うかと思えばトカゲのしっぽ切りって…やっぱそこらの悪党と変わらないじゃない」
「確かに。そう言われると言い返せませんね」
「で?次はどうするの?」
「まぁ、戦うしかありませんよね」
勢いもなく、ぬるりと、戦いの火蓋は切られた。
──その瞬間、神威の姿が搔き消えた。
「先程も言いましたが、私は姿を消すのが得意なのですよ」
「へぇ。どうりで見えなくなったわけね。キモいわよ」
「クッ……いつまで不可視の攻撃に耐えられるか……見物ですね!」
姿を消した状態で楓に接近。その背後に現れると魔力で作り上げた剣で斬りかかる。
しかし、楓が瞬時に作り出した魔力体によって弾かれてしまう。楓は神威を見てすらいなかった。見ることなく、彼女は攻撃を的確に弾いた。知覚していたのかは、本人にさえ不明であった。
「なっ…!?」
すぐに姿を消すと、距離を取って再び現れる。攻撃を弾いた魔力体は、そのまま槍のごとく突き伸ばされ、自身がいたはずの空間を裂いて壁に突き刺さった。即座に距離を取るという選択肢を取っていなければ、砕け散っていたのは壁ではなく神威の方であったと言えるだろう。
その攻撃は流華と一戦を交えた時と違い、一切の容赦などなく、しかし決して全力ではなかった。
だがそれでも、回避されたこと自体は楓自身、少し意外でもあった。
「何ですかそれはっ!?」
「これ?ウニョウニョ君」
魔力体ことウニョウニョ君を1本出すと、それを撫でて見せる。
それは形を変え、神威を噛み砕かんと伸ばされた。
「ウ、ウニョ…?は……?」
紙一重で回避すると、純粋な魔力の塊であるそれに対し、驚きの声を漏らした。
「あの子がそう呼んでるからウニョウニョ君よ」
「な、何でもいいですが…なんという魔力量…!」
「あんたも悪魔憑きなんだったらこれくらい出来るでしょ」
「で、出来るわけが…」
そう言って頭を抱えた。しかし今は戦いの最中であり、それを許す楓ではなかった。
「いいでしょう。ですが、私には姿が消せる以外にも特技があるのです」
「そ。なら早く出したら?負けて言い訳されても気分悪いし」
「いいえ、私は負けませんよ。なぜなら、お嬢さんの攻撃は私に当たらないのですから」
「アンタの攻撃も当たらないけど?」
「私は敵の攻撃がどこに来るかが分かるのですよ。防がれる分には別ですがね!」
そう言いながらも、神威は消えては現れてを繰り返し攻撃を加えていくが、楓の直感でその攻撃のほとんどが防がれていく。
しかし、楓が放った攻撃もまた神威には当たらない。
苛立ちを見せながら攻撃を連発し、施設内はもう穴だらけというほかないが、押されているように見えたのは楓の方であった。
「面倒臭いわねコイツ…」
「攻撃の読める私にお嬢さんの放つ攻撃は当たりませんよ!」
楓は手をこまねいていた。現れた瞬間を狙い攻撃を放つも、着弾地点を予想しているのか、それはいとも簡単に避けられてしまっていたのだ。
自身の周囲にはいくつか魔力球を浮かべ、それに触れたものを探知できるようにしているのだが、神威はそれを通り抜けて攻撃を仕掛けてくる。
しかし、攻撃の際には必ず姿を見せていて、これがよく分からなかった。
姿を消せるのなら消したまま攻撃すればいいではないか──当然の疑問であった。
これが普通の考えだが、相手はそうしない。つまりはそれができない何か理由があるのだと考えるべきだろうと、むやみに手数を増やして消耗させられることを嫌った楓だったが、ここらで1つ試してみることにした。
ウニョウニョ君を極限まで細めたうえで、それを数千、数万本と部屋中に張り巡らせる。
普通の糸などと違い光を反射することのない魔力体は、楓によって極限まで細められることで、敵同様に不可視の索敵網となる。
「──ッ!?」
先程まで浮かべていた魔力球とは桁違いの密度になり、そこに楓を攻撃しようと現れた神威が引っかかった。
「見ぃつけた」
斜め後ろに現れた気配を探知すると、魔力体を太めて神威を一気に縛り上げる。
「クッ……!」
楓の首がギロリと向けられる。その眼は妖しく光っていて、凄まじい威圧感が放たれる。
「こんな滅茶苦茶な魔力の使い方が…っ!しかしっ!」
再び神威の姿が搔き消えると、少しして別の場所にその姿を現した。
「クク……力は量ではなくその使い方なのですよ」
神威は攻撃が来ないと分かると、自分を落ち着ける為か、強気に振舞ってみせる。
しかし、この一手で楓は大体のことを察した。
魔力体に触れた感覚、姿が消えてから現れるまでの時間。なるほど簡単なものであると、しかし種を明かされた手品ほどつまらないものもない──と、彼女の表情は退屈そうなものであった。
「いいわ。あんたがどうやって消えてるのかだいたい分かったから」
「何を…」
言うや否や、楓は魔力を迸らせた。
「魔障の黒霧」
全身から黒い霧を発生させると、それを強烈な爆風で辺り一帯に撒き散らす。辺りが闇に包まれたかのように、降り注いでいた月光すら遮られていた。
「アンタ、霧か煙でしょ」
「な、何のことでしょうか……?」
いつの間にか姿を現していた神威に、楓は答え合わせでもするかのように問う。
神威には焦りが見えた。それで確信した。
「そうじゃなきゃ攻撃の時だけわざわざ顔見せに来る理由が分かんないのよ。顔に自信があるとかならまだしも……フフッ」
楓が神威の顔を指して、露骨に笑って見せた。
「ガキが…!」
これまですました態度を取り続けてきたが、追い込まれているこの状況で尚煽られて冷静さを保てるわけもなく、とうとう怒り出した。
姿を消して相手の隙を突き攻撃するための『霧化』の能力は、澄んだ空気でなければ使えず、楓が放ったような霧が他にあると、それが自身の体と混じってしまうために、思うようには使えない。それこそ毒などが混ざっていれば、それを自ら体内に取り込むことになってしまうのだ。
残るは先読みの回避だけになってしまうため、攻撃に転じることも難しい。
しかし、彼にも矜持がある。
手駒を全滅させられている以上、逃げ帰ってボスに泣きつくことなど出来ようはずもない。そんなことになればその時は──いずれにせよ、末路は変わらないだろう。
「姿が見えればなんてことないわね」
「だが!攻撃は決して当たらない!」
楓により放たれた攻撃を回避し続けてきた神威は、それでも強気な態度を取ってみせる。
姿を隠せなくとも、攻撃の隙はいつか生まれるはず。それならそのタイミングまで回避し続ければよい──という判断に至った。
しかし。
これまで向こうの手の内が分からないせいで無駄な消費を抑えていた楓だが、向こうに残された手が先を読んで攻撃を避けることしかないと分かると、そこからの行動は迅速なものであった。
「魔砲の獄門」
この空間の至る所に闇を展開すると、どこを狙うでもなく、ただ魔力が放出され始める。
展開された闇は、一度消えては別の場所に出現してを繰り返すため、自ずと神威に安全地帯はなくなり、常に回避し続けることが要求されることになる。
魔力をフル回転させ、瞬間移動のように回避し続けるが、もはや楓の隙を窺うどころではなくなっていた。
この空間から脱することも考えたが、その手は既に楓が魔力体を張り巡らせて封じている。それもわざと視認できるような太さものを張ることで、逃げようと試みることさえ封じている。楓の戦闘は相手の心を折りに行くフェーズへと移行していた。
「これだけのことを…!1人の魔力だけで行うなど…!」
神威は楓と同じく悪魔憑きで、組織の中でも特に位階の高い悪魔をその身に宿せたことから重鎮としての扱いを得たわけだが、楓とではもとより悪魔の格が違う。
「億兆の弾丸」
楓は回避に専念する神威を着実に追い込み、囲い込んでいく。あえて攻撃しない空間を作り続けることで、神威をそこに無意識に誘導させ、その包囲をだんだんと縮めていく。
「まだ手があるのか……………ッ!?」
自身の回避における挙動が少なく、小さくなっていくことに気が付くと、神威は死相の滲んだ顔を蒼白させる。
「なっ…………!?やめっ──!」
「双極崩滅撃」
大破した部屋のちょうど真ん中、その空間に神威を誘い込むと、本来なら回避できたであろう攻撃を放った。
「先だけ読めてどうするのよ」
黒と紫に妖しく光る光線は楓のもとを離れると、お互いに捻じれ合わさりながら月夜に向かい、神威を消滅させた。
「──ん?」
「今何か潰したな」
「それにあの光って……颯?」
楓はしばらくその場で夜空を眺めていたのだが、自身が放った光線が北の山目掛けて飛んでいき、何かを潰したことに気が付いた。
それは同時刻に同じタイミングで颯が放ったと思われる白い光とぶつかり相殺されたが、運悪くそこに挟まれるようにして消えた者がいたのだ。
ヴェルザはそれが施設侵入前に感じていた魔族の気配と同じものであることを楓に伝えると、彼女はその山に寄ってから帰ることにし、その場を後にしたのだった。




