電波
司書不在の図書室の、その中心に彼女はいた。
本を読んでいるでもなく、ただ立っていただけだが、その様子はどこか落ち着かないモノであった。彼女は後ろを向いていたが、ドアを乱雑に開けた音は、図書室への来訪者を彼女に示す。
肩にかかった髪を揺らしながら振り向いた。
後頭部に大きなリボンを付けた特徴的な人物だったが、同学年にはこんな人いただろうか。あまり人の顔を覚えられないせいでそれは分からなかった。
そんな少女と目が合った。大きな黒い瞳は、その髪型も相まって、実年齢よりも少し幼げな印象を感じさせた。
眼をそらすのも失礼だと思い軽く会釈をすると、俺は何か本でも取って席に着こうと思い本棚に向かった。
「……!?」
本を手に取ろうとした俺の手首が横から何者かに力強く掴まれた。横を見ると、その大きな瞳でこちらを見つめる先程の少女の姿が。
「私の話、聞きたい?」
「え…い、いいです……」
即答だった。どうせまた面倒事だから。巻き込まれたくないと腕を振るが、拘束はより強まるばかりであった。
「ううん、いいの。私にはわかるから。私の悩みが気になるんでしょ?」
「いや、全然気にならないです」
否定したのにもかかわらず無視して話が続けられる。マズいと思った。この手の人間はこちらが何を言おうが自分のしたいことをしたいようにするだけなのだろうな、と。誰の顔が思い浮かんだのかは言わないでおく。
「私の悩みが気になるって、そう顔に…ううん、全身に書きなぐられてるもん!」
何この子、電波ちゃんなんだけど。しまったなぁ。迂闊に目なんか合わせるんじゃなかったな。
「私、枢木 姫乃!あなたは?」
彼女、枢木 姫乃は名乗った。
「え…あ、御厨 颯」
素直に名乗り返してしまった。偽名でも騙っておけばよかったか。いや、どうせ同じ学校だしすぐバレるか。
「それでね?2年生にカッコイイ先輩がいるんだけどね?その先輩にこの文化祭で告白したいな~って思ってたんだけどぉ…」
「あぁヤダ絶対碌なことにならない、聞きたくないぃ」
俺を席に着かせると、姫乃は惚けるように話し始めた。
2年に先輩がいる、ということはこの子は俺と同じ1年という事になるわけだが、そう言われてもやはり思い出せないものは思い出せない。
「先輩って今フリーなのかなぁ……って。……あ!そうだ!」
「あ!そうだ!じゃないけど。嫌だよ、絶対やらないよ俺」
「ねぇ御厨君、ここで会ったのも何かの縁だしさ!調べてきてよ!」
「縁っていうか絡まれたっていうか…俺に何のメリットがあるのそれ」
介入したくないんだけど。その先輩とやらに彼女とかいたら何しだすか分からないし変に深入りしたくないんだけど。絶対発狂して刃物振り回すでしょ君。
「あ、これがその先輩の写真ね。2年4組で名前は如月 咲夜!名前もカッコイイの!」
そう言って彼女が差し出してきたのはその先輩の写真。構図的に明らかな隠し撮りだが、それを指摘する勇気はなかった。何枚かあるその写真の内のいくつかは自宅での写真だろう。身の毛のよだつ思いがした。その如月先輩とやらにこのことを伝えて訴えさせるのがいいのだろうか。
「じゃ!よろしくね!」
満面の笑みを浮かべそう言った彼女の顔は可愛らしいものであったが、大きな黒い瞳が濁っているように思えて仕方がなかった。
「本当に厄日だ……」
逃げるように図書室をあとにした俺は、その写真とクラスを頼りに探してみることにした。
しかし今は文化祭。
都合よくクラスの出し物でもしていてくれればいいのだが、もし他の場所に遊びに行っていたりすれば厄介な事この上ない。俺だって人探しで文化祭を潰したくはないし、早いところ見つかってくれればいいのだが。
「4組…4組……ここか」
違う学年の教室に入るというのは普段であれば緊張もするかもしれないが、今は文化祭だというのは都合がいいな。堂々と入っていける。
このクラスの出し物はどうやら縁日を真似た物らしく、射的やら輪投げやらと、見たことのあるものが並んでいる。
遊んでもよかったのだが、目的は人探し。
見覚えのある顔を見つけると、意を決して声を掛けた。
「すいません、如月先輩って今どこにいます?」
俺が話しかけたのは生徒会の1人、以前一度睨まれた覚えのある白百合先輩だった。
彼女はこちらを覚えていたのか、一瞬怪訝な表情を浮かべたが、用件が人探しだと分かると普通に答えてくれた。
「今はシフトに入っていないので…どこかに遊びに行っているのではないでしょうか」
今はいないらしい。だがあちこち動き回っているであろう人間をこの学校内から探し出せというのは無茶が過ぎる。出来ないことは無いのだろうが、時間がかかることは確定か。
「う~ん…どうしようかな…」
「何かご用でも?」
「いや、まぁ、その…聞きたいことがあったんですけど…」
「そうでしたか…ではこちらから要件を伝えましょうか?」
先輩は携帯を取り出して言った。
でもそれはどうなのだろう。多分余計な事態に発展すると思う。
俺が今その先輩に聞かなければならないのは彼女だろうが彼氏だろうがどちらでもいいが、とりあえず恋人がいるかどうか。
それを白百合先輩が如月先輩に聞こうものなら確実に勘違いされると思う。
だから俺のすべきことは……
「えっと……どこにいるか場所だけ聞いてもらってもいいですか?」
「分かりました。少し待っていてください」
何もせず待っているわけにもいかないと思い少し遊んでいると、白百合先輩から声が掛かった。
「体育館にいるそうです。少しその場にいてもらうよう伝えたので行けば会えると思いますよ」
「ありがとうございます」
何故睨まれたのかはよくわからなかったが、親しいわけでもない俺のためにわざわざこうしてくれる辺り普通に優しい先輩だ。
「あ、あの!それでですね……」
礼を言って教室を去ろうとしたのだが、呼び止められて振り返る。
「あなたのクラスではメイド喫茶をやっていると聞いたのですが…」
「そう……ですね」
嫌な記憶だと、苦い顔をして答えた。
「七海さんも…その…メイド服を着るのですか…?」
ナナミサン?一瞬誰の事か分からなかったが、阿波の事かと理解。
「はい、着ますよ。昼休憩終わった次のシフトだったはずですけど」
「そ、そうなんですか…!あなたも中々話が分かるんですね!」
白百合先輩は先程までの態度から一変、阿波の話になった途端に目をキラキラとさせ始めた。恍惚とした表情で阿波について話始めたので、そんな彼女を放置して如月先輩の待つ体育館に向かうことにした。
体育館に向かう途中少し考えていたが、あの先輩が俺を睨んだ理由が少しわかった気がする。
多分阿波の事を娘か何かのような、自分にとって大切で特別な存在として扱っているのだろう。阿波も可愛がってもらっているとは言っていたが、恐らく白百合先輩から向けられている感情とは少しばかりの──否、絶対的な齟齬があるように思える。
だからこそ俺の事を変な虫が付いたとでも思い、あのような視線を向けるに至ったのだろう。全く甚だ迷惑な話である。
体育館に着くと、人でごった返しているのが見えた。
外は暑いということで、屋台などはこの体育館に集められている。明日は劇等もあるので今日中にはすべて撤去されるか別の場所に移されるだろうが、それにしても凄い賑わいだ。
入ってどこにいるのか辺りを見回すと、後ろから声を掛けられた。振り返ると、写真で見た如月先輩と、前に文学部で会った厨二病じゃない方の2人がいた。
写真で見て分かってはいたが、同じ高校生とは思えない容姿をしている。端正な顔立ちにスラっとした体、キラキラとしたオーラと背景に浮かぶ薔薇の花。なんか幻覚が見えてきたな。
「君……だよね?僕を探してるっていうのは」
高くもなく低くもない、中性的と言える爽やかな声であった。
「はい、如月先輩ですよね?知ってたんですか?俺のこと」
「白百合から君の名前が送られてきたのを見て、伊織が教えてくれてね」
隣に立つツインテの先輩に首だけを少し向けて言った。彼は視線を向けられると、ストローから口を離した。
「久しぶり。あの時の事は何故か記憶がないんだけど……僕は各務 伊織。よろしくね」
各務先輩はハスキーな声でそう名乗った。
記憶が無いというのは黒光りする魔族の所為で気を失っていた件だろう。忘れてくれているのなら都合がいい。
「御厨 颯です。こちらこそよろしくお願いします」
「それで?用っていうのは何かな?」
「あ、はい!先輩って今恋人とかいるんですか?」
「ブフッ……!……ケホッ!」
隣にいた各務先輩が吹いた。気管にでも入ったのだろうか、ゲホゴホと咳込んでいる。
「こ、恋人!?それを聞くのが用件だったの…?」
何やら戸惑っている様子。
大きな声を出したからか、周囲の人たちも何人かがこちらの様子を窺っている。主に女子が。
尤も、その視線が向く先は先輩だろうけど。
「はい、大事なことなので…!」
先輩にズイっと近付いて言った。俺はなんとしても聞き出さなければならない。
あの女、出会って間もないこの関係でこんな事を言うのも失礼ではあるが、その気になったら何をしでかすか分からないし、聞けませんでしたなんて報告はとてもじゃないができない。
尤も、今俺が如月先輩から聞きたい答えは「恋人はいません」というものだけだ。頼むからいるなんて言わないで欲しい。
「そ、そんなに大事なことなの…?」
「はい!もう俺には抑えきれないんです!」
あの女が。アレはその内校内を包丁持って暴れ出しそうな気配さえ感じさせた。
暴力で解決できる事案ならいくらかマシだったが、こういうマジなのは手に負えない。あの女を痛め付ければ解決するわけでもないし。
周囲の女子たちから黄色い声が上がった。やっぱり彼女らもこの先輩には気があったのだろうか。
だがすまないな、俺はなんとしてもあの女にこの先輩を生贄として捧げることで厄災を抑えてもらわないといけないんだ。
「そっか…男の子にここまで直接好意を向けられたのも初めてだな…」
「は?すいません、何か言いました?」
先輩が何やら呟いていたが、こちらを見る女子たちを目で牽制していた俺にはよく聞こえなかった。
「あぁ、いや。なんでもないよ。それと…恋人はいない…かな」
少し照れたように先輩は言った。
「ぃよっしゃぁぁぁぁぁっっ!!」
「え、えぇ?」
思わず歓喜の声を上げてしまった。これでいるとか言われたらどうすればいいか分からなかったしな。
俺は先輩にここでもう少し待ってもらうよう伝えると、全速力で図書室へと向かった。
周囲の人たちは少しきょとんとしていたが、俺には為すべきことがある。連絡先の1つでも交換していれば、その場でいないことを伝えられたのだろうが、すっかり忘れていた。
まぁ、アレと連絡先を交換するのもそれはそれで恐ろしいが。
体育館から図書室までは少し遠い。正反対とも言わないが、階段などを使わなければならないこともあり、体感的にはそれなりの距離になる。
「持っててよかったこの肉体……!」
図書室のドアを再び開けると、やはり彼女はそこにいた。
「どうだった?ううん、聞かなくても分かる。私にとっていい報告だってそう顔に…ううん、全身に書き殴ってあるもん!」
完全に向こうの自己完結型の自問自答なわけだが、なんかさっき似たようなことをした気がする。
やっぱこの子、ちょっとおかしいわ。




