何者
白い鎧に身を包んだ天使が、生い茂る木々を切り払いながら、森の奥へと足を進める。
その背後には2人、霧雨 京香と無慈籠 雪目が続いて行く。
「この先です」
流華の目的は秘密結社オメガの拠点、その内の1つの壊滅である。
その拠点は昼間に殺害した大神の担当するもので、数日前から既にこの情報自体は掴んでいた。そして頭を失った今こそ、残党諸共叩き潰すのには絶好の機会であった。
「あの、大丈夫なんですか?」
京香がおずおずとした様子で尋ねた。
大丈夫なのかというのはこれから先の事ではない。それこそこの奇襲自体は流華がいなくても退魔課の人間だけで十分対応できたはずだし、流華がいるのならそれこそ彼女1人でどうにでもなるだろう。
京香が、否、退魔課のほとんどの人間が心配していたのは流華本人の方であった。
颯と楓の存在が明確になった際、課長であり流華の父でもある男は静かに、だが確かに怒りというものを見せていた。
その後に2人の間でどのような会話がなされたのかは分からない。しかし、あの日以来流華は少し変わっていた。
「大丈夫ですよ。私は負けませんので」
「いや、そういうことじゃ……」
京香がどう言ったものかと悩んでいると、その声は隣から聞こえた。
「その自信は結構。だけどそれなら何も私まで引っ張り出してくる必要は無かったんじゃないのかい?」
雪目は戦闘に特化している人間ではない。その特異な知識こそをと引っ張り出され退魔課に籍を置くことになっただけの人間だった。それも流華や颯の様に力を得た人間を好ましく思っておらず、彼女はその真意を尋ねた。
「戦闘だけであれば私と補佐が1人いればで十分ですよ。ですが何かあるか分かりませんから、担当外なのも、私の事をよく思っていないのも承知の上でご助力をお願いしたまでです」
「流華君の人間性だとかを嫌っているわけではないけれど、そこまで分かっていながら選んだのが私なのがよくわからないね。それこそ代わりなんていくらでもいるだろう?」
「私が求めているのはその頭脳の方です。その点であの課に無慈籠さんの代わりもそうはいませんから。それに私は、貴女が決して為すべきことを見誤らない人だという事も知っています」
「そうか。だとすれば私は、今君に対して何と言ってあげればいいのかが分からないな」
「──と、いいますと?」
「君も私も、そして京香君も、今為すべきことは同じだ。私がそれを見誤らない、確かにそうだろう。だが君は反対に、それに囚われ過ぎている」
言いながら雪目は京香を見た。京香は身構えた。
この2人の関係性は決して悪いというワケではないものの、あまりよろしいとは言えない。それも悪くないというのは、お互いが大人らしい態度をとれるからというだけのことで、どちらかがそれを崩そうものなら簡単に喧嘩に発展しかねないだろう。
取っ組み合いなら雪目に、舌戦なら流華には勝ち目が無い。
どうあっても勝負にはならない訳だが、それでもどうにか穏便に済ませてくれと願うばかりであった。
「私は……別に、何も……」
「仮にも重要参考人を始末したとの報告を何でもないように上げてきた君が、果たして本当に何もないのだと、私達がそう受け取ると、本気で思っているのかい?」
「ゆ、雪目さん……!」
京香は雪目を止めようと、手を伸ばした。しかし、それを反対に制されると、雪目は続けた。
「悪魔憑きとか言う存在を救う方法が現実的でないという事は聞かされている。何も私は皆を救いたいだなんて子供の様なことが言いたいんじゃない。致し方の無いこともあるだろうし、出来る範囲で出来ることをするのが人間だ」
「……じゃあ、何を?」
「無責任な事や出来もしない事を言わないのは大人としての常識だ。だが君の場合、それを考えてすらいないのだろう?考えたり悩んだりした末の行動なら私だってこんな言葉は飲み込むしかなかったさ。だがそうでないのなら、以前からの君の行動は大人として到底看過できるものではない」
本来ならそれは、以前の行為に関しては流華としての行動ではなくリラとしての行動の様なもので、仮にその行いに罪があったとしてもそれは厳密には流華のものではなかった。
尤も、彼女がその洗脳を許したことを自身の弱さの所為にしていたとすれば、話は別なのだが。
その洗脳は既に解かれているものの、そのすぐ後に先日の一件があり、それ以降流華は結果を求めて行動していた。
「あ……る、流華さん。拠点、アレじゃないですか……?」
神妙な面持ちでそれを聞いていた京香が、少し奥に草に覆われた建物を発見し、2人の間に入っていった。
雪目はそれ以上何も言わなかった。否、言わずに済んだ。
流華はやはり何かを迷う様な、自身の無さげな表情のまま足を踏み入れた。
襲い掛かってくる残党を斬り伏せながら、拠点内に残る資料等を回収して回る。
「随分と呆気ないですね」
無機質な白い廊下を警戒しながら進んでいく中、京香がぽつりと言った。
それが流華がいることで起こる呆気なさなのか、それともこの拠点内に潜伏していたであろう主力の面々が既に逃亡していった為の呆気なさであるのか、彼女には判断が付かなかった。
京香は剣を握らせれば確かに強い。確かに強いが、それは普通の人間に比べての話で、悪魔憑きを相手にする以上は多少の苦戦を想定し、前提としていた。流華がいる分心持的には随分と楽なものであったものの、それでも弱過ぎるが故に不審に思えた。
「ふむ。ここは資料を見る限りその悪魔憑きとやらの、その中でも弱い個体への教育を施すことが主な目的の施設らしい。京香君が弱いと感じたのならそれはそういう事なんじゃないのかい?」
押収した資料をペラペラと雑に捲りながら、雪目が答えた。
「だとしても教育係がいるはずです。警戒は怠るべきではありません」
流華が目を光らせながら言う。その2秒後、背後から忍び寄って来ていた構成員の断末魔が響いた。
「あ、ありがとうございま──」
京香はその声に反応して振り返ると、流華に頭を下げた。そしてその頭上を剣が通り過ぎていき、後方で再び叫び声が上がった。
「…………」
京香は無言で走っていった。バッタバッタと敵を薙ぎ倒していく音と、薙ぎ倒された者達の声が少し遅れて聞こえてきた。
「関わり始めて長いわけじゃないけど、あの子は真面目だったり抜けていたりと忙しいものだねぇ」
雪目がその背を見送ってから言った。
「緊張感はきちんと持っていてもらいたいものですが」
「そうかい?彼女はあんな感じでダメなところも見受けられるけど、だからこそ人間らしくて私は好きだよ。その点、君みたいにどこでもきちんとしている人間はそれが無くて、嫌いだ」
「そう……ですか」
「別に君が私のような人間に嫌われた所で、結局のところ君の方が人間としての価値は高いのだし、それを気にする必要は無いのだろう。尤も、今の君を人間と呼びたくないという私の個人的な感情は置いておくとしてもだ」
「そんなことは、無いと思いますが」
「あるんだよ。世の中というのはそういうものだ。確かに命は平等かもしれないが、しかしその命をどう使うかでその人間の価値はどのようにでも変わる。私のような人間はそれを誤ったからこそ価値が無いのだし、君も今、まさに私のような人間になりかけている」
「どういう……意味なのでしょうか」
「どういう意味もない。つまりは……いや、言葉を変えようか。……君は今、何者なんだい?」
「な、何者……?私は……」
そう言って答えようとした流華を遮るように、食い気味に雪目が言葉を連ねた。
「聖園 流華。小笠原高校3年生、学年トップの成績を維持しながらも生徒会長を務め上げ、更には剣道部の主将としても結果を上げている。その上聖園家という名家の1人娘で、今やこの国を、果てはこの世界を救うために戦う者の1人ときた。はぁー、一昔前のアニメキャラの様な属性の盛り込み方をしているものだね、君は」
「は、はぁ……」
「それで?君はこの中のどれでいるつもりなんだい?」
「どれ、と言われましても。全部私の事と思いますが」
「なら君は、これら全てをこなせているのかい?」
「……出来ているつもりでいますが」
「いや、違うね。全てにおいて中途半端だ」
何故普段の流華を知らないはずの雪目がこうも確信めいた言い方でそれを断言するのかは不思議であったが、流華は表情は崩さないまま、聞き返した。
「どうして、そう思ったのでしょうか」
「どうしてもこうしても……君は確かに優秀だが、それでも限界はあるだろう。全てにおいて結果を求めて、確かにその結果を出しているのかもしれないし、そこだけを見ればきちんとこなせていると言えなくもないのだろう。けど、そのせいで君は何者でもなくなっている。ただ自分のいる場所で結果を求めるだけの、人間味のカケラもない存在。私には少なくともそう見えている」
「結果を出せているのなら、それは中途半端といわれるようなことではないと思いますが」
「そうだね、社会人ならそれで、そんなくだらない存在でいいんだよ。でも君はまだ違うだろう」
流華は首を傾げた。
「私はね、気に食わないんだよ。君みたいな子供がつまらなさそうに、まるで作業でもするかのように何かを為す様を見るのが。まぁ、こういう言い方をすると私の我儘でしかないのだけどね」
「気に食わない……?」
言葉の意味を、その意図を掴みかねていた。
普段の学校生活をつまらないと思ったことはない。いつも楽しめているわけではないにしても、それなりには楽しんでいるつもりであった。
魔族や悪魔憑きの対処はそもそも楽しむようなものではないとして、そんなに自分がつまらなさそうに見えるのかと、彼女は俯いた。
「あぁ、気に食わない。君はもはや悩むことさえ放棄している。悩むことをやめ、誰かに言われるがままに、周囲に求められるがままに結果だけを叩き出している。君がどうしてもその生き方がしたいと言うのであれば止めはしないが、今回のように、結果を求めて独断専行を重ねるようじゃ話にならない」
「悩む…ことを……」
「あぁ。これは別に若人の悩み苦しむ姿が見たいとかいうわけではなくて。それでも流石に君のそれは見ていられないと、そう思ってしまったんだよ」
流華は雪目に対して個人的な事など話したことがなかった。
しかし雪目は全てを知っているかのようにそれを突き付けた。これまで流華自身がしてきたことについて、何故こうも的確に言い当てられているのかが分からず、彼女は俯いたままであった。
そして歩き始める。考えても答えは出なければ、そうするしかなかった。
彼女は憂さ晴らしでもするかのように残党を狩り尽くす。
そんな流華を、雪目はただ見つめていた。