外出
学校ではどのクラスも来月の文化祭に向けて準備を始めている。少し決まるのが遅かったと言うのもあるが、1ヶ月もあれば準備自体は問題なく進んでいく。特に文化部なんかはこの文化祭にかけるものも大きいのか、どの部活も活発になっているのが、放課後の様子を見て窺えた。
そんな中、運動部も運動部で試合等はあるので、この暑さといえど活動自体は行われていて、そして俺は今、バスケ部の試合を観に来いと脅……誘われている。
「私、今週末にバスケ部の助っ人で試合に出るんだけど」
そんな声の主は我が姉。帰宅してベッドに寝ころんでいた俺を訪ね、そう告げた。
「え?」
「え?じゃないわよ。知らなかったなんて言わないわよね」
「ごめん、知らな────うっ……」
そう答えた瞬間、俺の腹に座り込むような形でマウントを取られた。かなり強く体重をかけられていて、思うように動けない。呻き声が漏れ、俺は遅れて踏ん張った。
「重……」
「…何て?」
首を絞められそうになって口を閉じた。
「ねぇ、1つ聞いておきたいんだけど。私の事、忘れてないわよね」
「ね、姉さんの事って?」
「誕生日とか、好きな物とか、私にまつわることよ」
「……お、覚えてるよ」
「そう。私の事記憶から外したら命はないものと知りなさい」
「はい……」
「で、コレ。来なさい」
取り出されたのは1枚の紙。何か書かれているらしいが、ヒラヒラさせているせいで見えない。
目で追ってたら気持ち悪くなってきた。
「……何?コレ?」
「さっき言ったでしょ。バスケ部の助っ人で試合に出るから観に来なさいってこと」
「えぇ…何でこのクソ暑い中わざわざ────ぐえっ」
再び首に手がかけられ、ゆっくりと、だが確実に力が入っていく。
「来なかったらどうなるか、今知りたい?」
「いや、知りたくないです」
「じゃあ来なさい」
「……ちなみに何で?俺を誘う意味がよく分からないんだけど」
「…………」
無言で首を絞められ始めたので頷きまくることで事なきを得た。
行くのか、逝くのか。選択肢なんかあってないようなもんだな。
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「ちょっと早かったかな」
「初めて行く場所ですし、少し早く出るのはいいと思うんですが…流石に早すぎましたね」
試合当日。
試合会場は電車で何駅か行った先にあるということで早い時間から家を出ていた。変身して飛んでいけばそれでよかったのかもしれないが、不用意な真似をすることの危険性はよく理解した。迷子になったらそうせざるを得ないが、人類には移動手段があるのだ。
「あと2時間か…」
「もし途中で迷子になったと仮定しても時間が余りますもんねぇ」
どうしたものか。関係者以外はまだ会場に入れないらしく、また後で来いと門前払いを受けていたために、何をするでもなく周囲を散策していた。
会場を見てなんとなく察したのだが、どうやらあの人が助っ人を頼まれたのはそこらへんでやるような練習試合ではなく、それなりの規模の試合なんだそうだ。
助っ人を依頼したんだし問題はないんだろうが、バスケ部としてはそれでいいんだろうか。交代制のゲームとは言え、それでもそこに立つにはそれなりの実力が必要なハズで、それを外の人間に1枠譲るというのは屈辱ではないのだろうか。
それを踏まえても出させるだけのメリットがあるというだけの話なのだろうが、あの人が入った時点でどんなスポーツもひたすらに1人が暴れまわるだけのゲームに変貌する。
もちろんルールを破ることはしないが、ルール内でできる限りの蹂躙を行うのがあの人だ。
こと戦いにおいて、あそこまで相手を立ち直れないようにすることに長けた人物を、俺は他に知らない。
それも俺の知っているのは悪魔憑きになる前の、身体能力が魔力の影響で底上げさる前の時点の話だ。
「ま、俺が気にしても仕方ないか」
戦いとは残酷なもので、戦場に立った以上はどんな敗北も己の無力さが故の結果でしかないと、俺は考えるのを止めた。
会場の近辺にはあまり面白いものもないということで、何か腹ごなしがてら何かないか探しに行くことに。
「何か食べるか」
「あ!じゃあ──」
「お前の分はない」
「そんなぁ!!」
試合は昼過ぎからとなっている。
会場内が持込が出来るのかわからないが、ダメだった時に腹が減ったままというのは少々きついので、時間的にはまだ早いが運よく空いていたラーメン屋へと入ることに。
食券での注文を済ませ席に着くと、そのあたりから人が入り始め、あっという間に満席になった。やはり運がよかったらしい。
注文したのは王道ともいうべく3点セット。ラーメンに炒飯、そして餃子。ラーメンは醤油にしようか豚骨にしようかで迷ったが、結局醤油に決めた。
待っている間は貰った水をちびちび飲みながら待っていたのだが、エルゼはその間も店の中を飛び回り興奮状態だった。毛でも落とされたら大変だとは思ったが、抜け毛とかは無いらしい。
「おいしそうですよ!僕も食べたいです!」
「無理じゃない?」
「なんでですか!ちょっとくらい分けてくださいよ!」
「いや、そうじゃなくて…お前ネギとか食えるの?」
今まで一応コイツに与えるようなものは犬や猫に与えても問題のないものだけにとどめていた。ネギと名のつくものは万が一で死なれても困るということで与えるのを控えていたのだが……炒飯にせよ餃子にせよ思いっきりネギが入っている。
例えエルゼであっても、流石に俺の不注意で死なれてはちょっと寝覚めが悪い。誰であれ、死ぬのなら俺の関係ないところでひっそりと死んでもらいたい。だからここでネギを食わせるわけにはいかないのだ。
「いや、普通に食べれますよ」
「えぇ……ネギ食っても死なないの?」
「犬猫と同じ扱いですか…?僕らはたとえ猛毒を喰らっても死にませんよ」
「マジかよ」
だからといって俺がこれを分けるかどうかはまた別の問題だが、全くもって不思議な生き物だと、底の見えぬ目の前の精霊に対してまたも色々湧いてきた疑問を自分の中で1つ1つ整理していると、注文の品が来た。
「おぉ…!」
「餃子!これ食べたいです!タレはこれですか?」
「おいバカハム、勝手に掛けるな!鍋に叩き込むぞ!」
というかもう既に自分も食べること前提で話しているが俺はまだ何も……いや、もうそれはいいや。
小皿を一つ手に取るとそこにタレを注いでいく。
「颯くん!コレ!餃子!めっちゃ熱いです!」
「そりゃ手掴みするからだろ」
「でも僕箸使えません!」
こいつ自身が箸とそう変わらないサイズだしな。場合によっては箸の方がでかい。俺だって自分の身長程の棒を渡されて、それを持てたとしてもそれを使って食事をするというのは無理だ。
だからこれまではキャベツやら胡瓜やらを素手で掴んで丸かじりにしていたのだろうが、こいつの場合は魔法があるのだから、何故そうしないのかが分からなかった。
「熱さを遮断する魔法とかないの?」
「あるにはありますけど…それだと持ってる時だけじゃなくて、食べた時の熱さもなくなっちゃうんですよ」
「なるほど、それは不便か…じゃあ、モノを浮かせる魔法とかは?」
餃子なんて言うのは特にだが、それこそ熱ささえも美味しさの1つなわけで、常温の餃子など誰が食べようか。マズくは無いのだろうけど、折角なら熱々で食べたいものだろう。
「浮かせるのは出来るんですけど…箸を操るのは難しいですねぇ…」
箸を浮かせ操作しようとしているが、フワフワとして覚束ない。
「馬鹿か、餃子浮かせろよ」
「……!」
……嘘だろコイツ。
その後は餃子を浮かせ、器用にタレに付けて食べていた。俺は俺でラーメンを食べていたのだが、これがなかなか美味い。いや、マズいラーメンなど存在するとも思えないが。
スープは照明の光を受けてキラキラと輝いて見える。チャーシューはトロトロとしており、噛みしめた時の衝撃は計り知れないものであった。
それをかき分け引き上げられた黄金色の麺は、もちもちとした食感ながらもしっかりとしたコシがあり、スープにもよく絡んでいる。
口に含むと勢いよく啜り上げる。
出汁の効いたスープを口に含むと、そのレンゲで今度は炒飯に手を付ける。いつか見た麦畑のような輝きを見せる炒飯。
ああ!これぞ豊穣!麦畑なんて見たことないけど。
美味い、一口一口が勿体ない。だがしかし、そんな思いに反比例するようにその一口は豪快になっていく。
「ちょっと颯くん!僕の分も残しておいてくださいよ!」
「やだ」
「そんなぁ!」
一度レンゲを置き、今度は餃子にも箸を伸ばす。まずはタレに付けずそのまま一口齧ると、中から肉汁が溢れ、その熱さが口内を通して全身に伝わる。
煮えたぎるマグマを思わせるような肉汁が瀑布の如く流れ出してくるこの感覚……やはり素晴らしい!
そんなことを考えながら二人は時間を忘れ、美味との触れ合いに興じた。
やけに表情がコロコロと変わるおかしな客を見る、そんな店主の目線に気が付くことも無く。