Page.20.5「幕間 ~伝言~」
……自ら志願して“聖人”あるいは“聖女”になろうとする人なんて、本当に居るのだろうか。
そんなことを考えながら俺は教会の周囲の掃き掃除をしていた。
まさか、彼があんなにもエヴァンに似ているとはな……。
彼が俺の言葉に疑問符を浮かべさえしなければおそらく、俺が勘違いしていたと気付くこともなかったのかもしれない。
「あのときは焦り過ぎていたせいで完全に忘れてたな……エヴァン達がこの街に居ないってこと……」
居ない、とは言っても別に死んだとかそういう理由ではなく。
単に旅に出ているという、ただそれだけのことだ。
……まぁ、かれこれ10年近く戻ってきてないわけだが。
もはや生きているのか死んでいるのか……
「───お、居た居た」
突然聞こえてきたその声のせいで、俺の思考は途中でぐしゃぐしゃにかき乱された。
「……“悪魔”が一体何の用だ」
「そう警戒すんなっての。お前にちょっと“頼み事”をしたら俺も家に戻るし」
俺が不機嫌になっているのを、警戒されたと捉えたらしい“悪魔”は静かにそう返した。
「キリカが朝ご飯作って呼びに来る前に用事を済まさないといけないからな……」
「別にやましいことがあるわけでもなかろうに」
どうしてそんなにコソコソと、まるで泥棒のようなことをする必要があるのだろうか。
「どうといった理由があるわけではねぇよ。ただ、頼みに行くにはこの時間くらいしか空きがなさそうな気がしてな」
「もう少し早めに行動しておけばいいものを」
俺がそう言うと“悪魔”は「うるせぇよ」と僅かに不満げな表情をみせた。
「それで、頼みっていうのはなんなんだ?内容次第では断るし捕まえなきゃならないわけだが」
「捕まえられる前に全力で逃げるしかねぇな、もしそうなったら。……いやでも、捕まるのが俺だけで済むなら、それもありか……?」
「仮に捕まえるようなことがあるのだとしたら、その場合は自分だけにしろ」という威圧が凄いんだが……。
「……お前を捕まえると、街の人達からの非難が殺到しそうだ」
「“悪魔”を庇うヤツなんて……まぁいい。用件を端的に言うと、『関所を通れるようにしておいてほしい』ってことだな」
関所を?
そんなこと、わざわざ俺に頼まなくても……あぁ、そうか。
「関所を通る人の中に“前聖女”が居るから、か?」
「そういうこと。クロエの提案で少しの間、旅に出ることになったんだ」
どういう経緯でそうなったのかは知らないが、ますます行動がエヴァン達と被ってきてるぞ……。
「まだ、新たな“聖人”か“聖女”が見つかってないんだが?」
嫌味のように、そう言ってみる。
「あぁ、その件なら早くて今日中に解決するらしいぞ。クロエによれば、な」
「それは一体どういう意味か」と尋ねようとしたが、それよりも先に別の方向から、俺や“悪魔”のものではない、女の子の声が聞こえてきた。
「神父様ー!」
「ん、あの子は……」
時折街中で見かける、“ニーナ”と言う名前の少女だった。
その少女を視認するや否や、隣に居た“悪魔”が───フゥがハッとした反応をすると、すぐに少女の方へと走っていった。
「なっ……何だ急に……」
直後、少女は足がもつれたのか、そのまま転びそうになる。
────が、事前に少女の元に駆けていたフゥが素早く少女を抱きとめた。
「……っと、危なかった……転ばないようにだけは、気を付けろよな?」
「あ……ありがとう、ございます……!」
まさか、こうなることが分かっていたのか……?
「……“未来予知”なんていう能力は持っちゃいねぇよ。ただなんとなく、『あー転びそうだなー』って思ってな?」
「ご、ごめんなさい……」
俺の考えていることを見透かしているのか、そう答えたフゥに、少女は謝罪の言葉を述べる。
「あ、別に責めてないから安心しな。怪我がないなら、それで十分だ」
と、フゥは柔らかな笑みを浮かべながらそう言うと少女の頭に手を置き、そっと撫でた。
この男は、“聖人”だった頃から子どもにはこんなふうに接していたのだろうか。
「えぇと……どうしてここに?」
「あ、そうでしたそうでした!あの……私でも、“聖女様”になれますか……?」
全くもって予想もしていなかった言葉が、少女の口から零れた。
「え、えっと……」
「おや、こんな子からそんなことを訊かれるとは意外だな。なんでそんなことを訊くんだ?」
動揺しているせいで上手く言葉を紡ぎ出せない俺の代わりに、フゥが進んで少女に質問をする。
「えっと……昨日、市場の辺りで迷子になっちゃいまして……それで、そのときに助けてくれたお兄さんとお姉さんに『明日教会に行ったら、夢が叶うかも』って言われたので……私、“聖女様”になるのが夢なので……」
助けてくれたお兄さんとお姉さん……クロエ達のことか。
「なるほど……まぁ、なれますけど……一つ質問をします。その返答によっては、容赦なくダメだと言いますよ」
「は、はい……!」
真っ直ぐと俺の目を見ながら少女は、質問を待つ。
「───貴女に、街の人々を守る覚悟がありますか?」
少女は一瞬、驚いたような表情を見せたが、すぐにその表情を引っ込めると───
「あります!なければ、ここには来ていません!」
───と、力強くそう返してきた。
その意志の強さに、嘘はないようだ。
「……いいでしょう。では、今この時より、貴女がこの街の“聖女様”です」
俺のその言葉に、少女の───“聖女様”の表情がパッと花が咲いたように明るく輝かせた。
「夢が叶って良かったな、“聖女様”」
「は、はい!ありがとうございます!」
嬉しそうな表情を浮かべている“聖女様”を眺めていると突然、フゥが“聖女様”の前に立ち───
「……何の効果もないかもしれないけど───君に、“聖人”の加護があらんことを」
───“聖女様”の頭に手を添えて、優しくそう告げた。
「……さて、俺は帰るとするかな。用事も済んだことだし」
あ、そうだった。
この男の目的は確か、『関所を通れるようにしておいてほしい』ってことだったはず。
「はぁ……その頼み、引き受けておこう」
「お前、嘘は吐かないんだったな。それじゃあ頼んだぜ、カイン」
フゥはただそう一言言うと、そのまま地面を軽く蹴って姿を消した。
「全く……面倒事を押し付けていきやがって……」
「神父様?」
あの男への文句を言うのは、さすがに“聖女様”の前ではやめておこう。
「なんでもありません。……そういえば貴女は、貴女を助けたお兄さんとお姉さんのことを……特にお姉さんの方が、何者なのか気付かなかったのですか?」
「へ……?」
“聖女様”が素っ頓狂な声を上げる。
どうやら、俺の質問の意味がよく分かっていないようだ。
「……知りたいですか?」
「し、知りたいですっ……!」
ここで教えなかったら、「気になって寝れません!」とでも言われそうだな……。
「では、お教えしましょうか……その人、実はですね───」
───正体を教えたときの、この幼い“聖女”の浮かべた表情を、俺は一生忘れることはないだろうと、そう思った。
───さて、とりあえずあの男の頼み事を達成しに行くとするか。




