迷宮
「いったい、屋敷の中を歩き回って、何が見つかるっていうの?」
広い屋敷の廊下を歩きながら、佳津砂が桧藤に尋ねた。
「うん? う~ん」
桧藤は、まともな返事をしないで誤魔化している。
「まったくもう、食えないわね。わたしだってね、『呪い』絡みの案件はたくさん手がけてきたのよ。閣下にしたって、このわたしが何度、呪い返しをして、逆に呪いを掛けた相手を死に至らしめたか、分からないくらいだわ。意外にね、日本の社会は裏では、こういう『呪い』が幅を利かせているところがあってね」
なんだか、佳津砂が得意そうに語り出した。
「ときどき、政治家とか、有名人が、突然不可解な自殺を遂げたりする事件が、あるでしょ? あれの全部がそうだとは言わないけど、そのうちの何割かは、『呪い』を掛けることによって相手の心を壊して、自殺に追い込んでしまう術のせいなのよ。世間では、自殺しそうもない人が、突然自殺してしまった、と言って騒ぐけど、まあ本当の原因を知る人は、呪いを掛けた術者と、それを依頼した誰か、しかいないってことね」
どうも佳津砂は、負け惜しみでおしゃべりになってしまう性質らしかった。
そんな話をしながら、屋敷内を歩き回る間も、ときどき執事やメイドとすれ違った。彼らはやはり、すれ違うたびに二人に丁寧な礼をした。
玄関ホールまで来て、桧藤がつぶやいた。
「二階にも、行ってみるか」
そう言って、玄関ホールの奥にあった重厚かつ荘厳なつくりの階段を上り始めた。佳津砂もその後について行く。
「ねぇ、こんなにあちこち歩き回ることに、どんな意味があるっていうの?」
さすがに佳津砂は桧藤の真意を量りかねて、聞かずにはいられなかった。
「俺は、この屋敷に入った瞬間から感じていたことだが」
「うん、うん」
「どうも、閣下のあの様子、あれは、あの老人ご本人に何かが憑りついているというよりは、この屋敷そのものに、何かが憑りついているような、そんな感じがしたんだ」
「えっ!? そんな……わたしは、そんな気配は何も感じなかったわ。あの瀬場さんだって、他の執事やメイドたちだって、普通にしてるじゃない……?」
「そう、相手は、お前の呪力をはるかに上回る力を持ったヤツ……自分の気配を消すことも、たやすくできるような……」
二階に上りきると、吹き抜けに面した廊下になっていた。手すりからのぞくと、下の玄関ホールがよく見える。そこからは、屋敷の右翼、左翼、そして奥の方、と三方向へ行けるようになっていた。
「とりあえず、こっちに行ってみるか」
桧藤は、適当に左の方へ歩いて行った。また、一階と同じような廊下が奥へと続いている。今度は、二人とも言葉を発しないで、黙って歩き続けた。廊下は、まっすぐ進んだかと思うと曲がったり、分岐したりして、長々と続いていた。なかなか、屋敷の端にたどり着くことができない。それでも、桧藤と佳津砂は、しつこく歩き続けた。
そうしてだいぶ長いこと廊下を進んだところで、桧藤が口を開いた。
「おい、佳津砂。この屋敷は、いったいどれだけ広いんだ?」
「そ、そうよね。わたしたち、二階に上がってから、ずいぶん歩いたわよね」
「いくら大豪邸だとは言っても、外から見た限りでは、ここまで広いとは思えなかったが。それに、おかしいと思わないか」
「えっ、何が?」
「二階に来てから、執事やメイドと一人もすれ違わない。かなり長い距離を歩いてきたのに、だ。まるで、このだだっ広い屋敷に、俺たち二人だけしかいないみたいじゃないか?」
「言われてみれば……」
佳津砂は、ちょっと身震いした。そして、長い廊下の向こうの方を、遠く見通してみた。
「確かに、人の気配がまったくないわ……」
屋敷の中はしん、と静まり返って、物音ひとつしなかった。どこか遠くの方から、カッチ、コッチ、と時計が時を刻む音だけがかすかに聞こえてくる気がする。
桧藤は、物も言わずにまたツカツカと歩き出した。佳津砂は、こんなところに一人にされてはたまらない、とばかりに後を追った。
またしばらく廊下を進んでから、桧藤が口を開いた。
「やはり、どこまで行っても屋敷の端にたどり着かないな。廊下はまだまだ先まで続いている」
前方に続く廊下は、際限なくどこまでも続いているように見えた。
「どういうこと?」
佳津砂が、無気味そうに尋ねた。
「さあな……とりあえず、階段まで戻ってみるか?」
桧藤は、くるりと踵を返して今来た方へと引き返した。佳津砂も、気味悪そうに辺りを見回しながら、その後について行く。少し歩いたところで、佳津砂が言った。
「ねぇ、なんだか、来たときと廊下の様子が違ってない?」
「……ああ、そうだな。道を間違えたハズはないんだが」
廊下には、各部屋に入る扉がところどころにあり、彫像や花瓶に活けられた花、壁に掛けられた絵画などが飾ってあるのだが、それらが来たときと微妙に異なっているように思えた。また、曲がるところや分岐する箇所も、どうも来たときとは違うような気がして仕方がなかった。
それでも、しばらくの間歩き続けると、前方に、玄関ホールの吹き抜けに面した、手すりがあるのが見えてきた。来たときよりも近いように感じたのは、錯覚であっただろうか。
「あっ、あそこが階段ね。よかったぁ」
佳津砂が、ホッとしたような声で言った。しかし桧藤は、口もとを厳しく引き締めたまま、張り詰めた表情で少し速度を速めてどんどん歩いて行った。
そして手すりのところまで来ると、手すりから身を乗り出して、下をのぞいてみた。
すると。
一階の玄関ホールがあるはずの階下には、そのあるべきものがなかった。
見下ろした先には、床はなく、どこまでも永遠に続くかと思われる、真っ黒な穴が開いているだけだった。しかも、下の階にも、いま桧藤が身を乗り出しているのと同じような手すりがあって、さらにその下の階にも同じ手すりがあり、またさらにその下にと、同じ手すりがずっと穴の深淵、暗闇の奥底まで延々と続いているではないか。
桧藤は今度は、上を見上げてみた。上も全く同様に、同じ手すりがはるか上方、見えなくなるまで続いていた。こちらは、上の方から白い光が差し込んできていた。
一階から二階までの吹き抜けだったものが、上にも下にも、無限にどこまでも伸びる長大な縦穴と化していて、その縦穴をぐるりと囲むようにして各階にフロアが存在しているのだった。
「……ッ!」
桧藤の後から来て、手すりから下を見てそれから上を見て、佳津砂が声にならない悲鳴をあげた。
「な……なに、なんなのよ、これはっ? こんな怪異には、出会ったことがないわ」
佳津砂が軽くパニックになりつつ、言った。
「俺も、ないよ」
桧藤は、それでも冷静に答える。特に驚く風でも、焦る風でもなかった。
「ちょっと、下に降りてみるか……」
桧藤は、横の階段の方へ行き、そして階段を降り始めた。佳津砂は、ちょっと無気味そうに眉根を曇らせながら、仕方なく後について行った。
階下に降りてみると、そこはさっきまでいたフロアと何一つ変わらない、全く同じ吹き抜けに面した手すりのある廊下であった。桧藤はまた、手すりに近寄って、下を見て、上を見てみた。やはり、さっきと何も変わらない、同じ光景が上にも下にも続いていた。
桧藤と佳津砂は、またもう一段、下のフロアに降りてみた。そこもまた、全く同じであった。
「ちょっと、これ、どうなってるのよ~」
佳津砂が困惑した面持ちで弱音を吐いた。桧藤は、ふと、懐からペンを取り出すと、床に置いた。そして、そのまま、また階段を下へと降りていった。佳津砂も、こんな無気味なところに取り残されてはイヤなので、慌ててついて行く。
果たして、下の階に降りてみると、さっき上に置いてきたはずのペンが、またそこにも落ちていた。
「……やはりな」
桧藤が、そのペンを見てつぶやいた。
「へっ? やはり、って、何が?」
佳津砂が、ちょっと思考力がマヒしてきているような様子で尋ねた。
「さっき置いてきたはずのペンが、ここにもある、ということは、ここはさっきと同じ場所、ということだ。つまり、この階段は永遠にどこまでも続いているように見えるが、実は空間が歪められていて同じところをぐるぐる回っているだけだ、ということになる」
「……なるほど、下に降りたつもりが、実はいつの間にか、同じところに戻されている、ってわけね」
「そういうことだ。上に行っても同じことだろう。それならば……」
桧藤は、今来たのとは別な、反対側へと続く廊下の方に入っていった。そして、一番手近な扉の前まで来ると、勢いよくそれを押し開けた。
「ちょ、ちょっと! 部屋には入るな、って瀬場さんに言われ……」
慌てて後ろから、佳津砂が止めようとしたが間に合わず、桧藤は部屋の中に入ってしまった。佳津砂も仕方なく、その後から部屋に入る。
そこは、どうやら客間であるらしく、上品な感じのソファーや丸テーブルが置かれ、白を基調とした模様の壁紙に、天井には青空と白い雲、そこへ向かって伸びていく植物の絵が描かれていた。床に敷き詰められた絨毯も上質なもので、天井から釣り下がるシャンデリアは派手でなく、落ち着いた雰囲気のものだった。
桧藤は部屋に入ると、窓の方へ近づいて行った。窓には、カーテンが引かれていて、外を見ることができない。桧藤は窓際まで行くと、カーテンをさっ、と引いた。
そこには。
外の景色が広がって……はいなかった。窓の外も、今、桧藤たちがいる客間と全く同じ造りの、全く同じ客間になっていた。
桧藤は、佳津砂を振り返って言った。
「どうやら、出口はなさそうだな」
「出口はない、って……じゃあわたしたち、どうしたらいいの?」
「そうだな……敵はどうも、空間を湾曲させて閉じてしまって、その空間ごと俺たちを結界の中に閉じ込めたようだ」
「そうか、ここは、閣下に憑りついた何物かが作り出した、結界の中、ってことね」
「ああ、どうもそうらしい。俺としたことが、いつの間にか誘い込まれ、結界内に捕らわれてしまったようだ」
「……くっ、このわたしまでも閉じ込めてしまうなんて、ずいぶんと味な真似してくれるわね」
佳津砂はちょっとくやしそうにしてから、意を決したようだった。
「分かったわ。こうなったからには、何とかしてここを脱出しましょう」
「ほう、どうするんだ?」
「わたしの式神を呼び出して、結界を破ってもらうのよ」
そう言うと佳津砂は、左のてのひらに右手の人差し指で何かを書きつける仕草をした。それから左手を高く掲げて、
「勅令ッ!!」
と声を張った。
その、数秒後。
どしん、と何かがぶつかるような大きな音がして、桧藤と佳津砂のいる部屋全体がぐらぐらっ、と地震のように揺れた。
揺れはすぐにおさまったが、また間髪を入れずにどしん、と大きな音がして、再び部屋が揺さぶられた。丸テーブルの上に置かれたティーカップが、床に落ちてパリン、と割れた。大きな衝突音と激しい揺れは、その後も数回、続いた。
思わずよろめいてそばのソファーに寄り掛かった桧藤が、佳津砂に尋ねた。
「いったい、何をしたんだ。これは何だ?」
「え~っと、おかしいわね」
桧藤と同じように、ソファーの背もたれにつかまりながら佳津砂が答えた。
「おそらく、わたしの式神が、来たことは来たんだけど、この結界内に入ってくることができずに、結界の外壁に激突してしまったんだわ。二回目以降の揺れは、それでも無理に侵入しようとして結界に体当たりをかましていたせい、みたいね」
桧藤は内心、案外と役に立たないんだな、と思ったがそれを言葉には出さなかった。
「わたしの式神をもってしても破れない結界を張るなんて、なんて強力なヤツなの……わたしの呪力でも正体を暴くことができなかったのは、くやしいけど敵の方がわたしより力が上だったからみたいね……」
佳津砂が、くやしそうに考え込んだ。桧藤は何を考えているものか、また揺れが来ないかな、と心配そうに、天井や窓の方を見回していた。
「あなたには、何か手立てはあるの?」
佳津砂が桧藤に尋ねた。
桧藤はほんの数秒、考える風をしてから、
「ないな」
素気なく答えた。
「ないな……って、あのねぇ~!」
佳津砂は、軽く桧藤の物真似をしてから、突っ込んだ。
「このままここにいたって、どうしようもないじゃないの!」
「そうは言ってもなぁ。俺の見たところ、お前の式神はなかなかのものだ。おそらく、相当な力を持っているのだろう。その力でも破れないところを見ると、ここの結界の強さもかなりのものだ。しかも、俺たちはその内側に捕らわれている。ここで俺たちが、いくら呪力を結集して頑張ってみたところで、そう簡単にこの結界が破れるとも思えない。さらに……」
「なに?」
「敵は、空間を湾曲して閉じて、その空間ごと俺たちを結界に閉じ込めている。もし、仮に俺たちが、内側からこの結界を破れたとしても、俺たちが無事に元いた現実世界に戻れるという保証はない。むしろ、この結界が破れた途端に、俺たちは時空の狭間に落ちて、どこともしれない異次元空間の闇の中を、永久に漂い続けることになる、という可能性の方が高い」
「そ、それって、つまり……?」
「そう、つまり。ここから出る方法は、ない、ということだ」
佳津砂が、頭が真っ白になりました、という様子で床にへたり込んだ。しかし、すぐに気を取り直して、立ち上がった。
「そんなこと言ったって、やってみなきゃわからないじゃないの! え~い……」
佳津砂は、両手の指で印を結び始めた。指の関節をアクロバティックに不自然に曲げて組み合わせる、複雑な印だった。
「ちょっと待て。こんなところで、力を無駄使いするんじゃない」
桧藤が、それを止めた。
「え、だって、じゃあここでこのまま、いつまでもボーッとしてろ、っていうの? わたしはイヤよ! こんなところでおばあちゃんになっちゃうのは」
「いや、おばあちゃんになる前に、とりあえず餓死するだろ」
「なお悪いじゃないの! もう、あんたも何か、脱出する方法を少しは考えたらどうなの!?」
「焦ったところで、どうにもならん。出口がないものは仕方がない。さしあたっては……」
桧藤は、くるり、とドアの方を振り返った。
「どうするの?」
「もう少し、この結界内を探ってみよう。何か見つかるかもしれん」
「そうね、ここでただ、ぎゃあぎゃあわめいてるよりは、その方がはるかにマシよね」
桧藤は秘かに、ぎゃあぎゃあわめいているのは、お前だけだろ、と心の中で突っ込んだ。
二人は、とりあえず客間を出て、廊下を歩き始めた。




