連続怪死事件
いつもは人気のない、雑草が生い茂った河川敷に、警察関係者が何人も現場検証に訪れていた。白い布が覆いかぶされた遺体が、運び出されて行く。
「また、同じ死に方です」
「これで、五人目か……」
検死官の報告を受けた一人の刑事が、苦々しい顔でつぶやいた。
「いったい、どうなってやがんだろうな。この周辺だけで、こうも立て続けに、こんな異常な変死体ばかりあがる、ってぇのは?」
「ああ。俺もずいぶん長いが、あんな仏さんは、これまで一度だって、見たこともねぇよ」
もう一人の刑事が答えた。
二人とも、運ばれていく白布に覆われた遺体を、薄気味悪そうに眺めやって途方に暮れる様子だった。
*
辺りはもうすでにすっかり暗くなって、完全に夜がおとずれていた。大して広くもない通り沿いに軒をならべた居酒屋やスナック、その他の少々怪しげな店などが、その看板に明かりをともして営業中であることを示していた。
そうした店々からも少々へだたった、ネオンの光も届かないひときわ暗い一角を、一人で歩く女がいた。女は二十歳そこそこに見え、白いふわふわの生地に淡いピンクの模様の入ったひざ下までの長さのワンピースに、ボレロっぽい丈の短い水色のこれまたフワフワした上着を羽織っており、見たところ大学生風である。軽くウェーブのかかった髪を長く伸ばしていて、キレイに切り揃えられた前髪の下に見える顔は、丸顔で可愛らしい。あまり派手派手しい感じではなく、どちらかといえばおとなしめで、こんな界隈を夜に一人で歩いているのはいかにも危なっかしい印象を与えた。
いったい、何の目的でこんな夜更けにこんな場所を歩いているものか、彼女はしきりと辺りを見回しながら、何かを探している様子であった。
「うぅ~、おかしいな~、こっちかなぁ?」
そんな独り言をつぶやきながら、たまに灯っている街頭の下まで来て一息ついた。そして、再び暗闇の中へと歩を進めたそのとき。
「きゃっ!?」
どしん、と何かにぶつかった。いや、何か、ではなくて誰か、であった。
「あっ、す、すみません!」
あわてて謝ると、ぶつかった相手は、本当はぜんぜん大したことなさそうなのに、さも痛そうな様子をわざとらしく装いつつ、
「……っ痛ぇーな。なんだお前ぇはいきなりぃ」
と、凄んできた。
「……へっ?」
思わず街灯の明かりの下まで後ずさると、相手もずい、と明かりの中に入ってきた。
明かりに照らされたその男は、長めに伸ばした髪を金髪に染めてボロボロのジーンズにチェック柄のシャツをだらしなく着ており、耳にはイヤリング、腰にはギラギラ光るチェーンを物騒にぶら下げていて、目つきが悪くいかにも素行が良くなさそうである。さらに横にもう一人いて、こちらは頭を丸坊主にして白くて太いふち付きのサングラスをかけ、耳ばかりではなく鼻にまでピアスをつけたやはりだらしないジャージのような服装の男で、くちゃくちゃと感じ悪くガムを噛んでいた。
金髪の、柄の悪そうな目が鋭く彼女を見つめた。値踏みするようにじろじろと眺めまわしてから、丸坊主と目を見交わして、口もとをニヤけさせながら口を開いた。
「おぅ、ねーちゃん、俺たちさぁ~、今、ちょーっとヒマしてたんだよねー、遊ばねぇ? い~いトコ連れてってやるからよぉ~」
「そうそう、す~ぐに気持ちよくなっちゃう、いいクスリもあるぜぇ~」
丸坊主の方も、調子に乗ってそれに加わる。
「ばかやろ、それは言うんじゃねぇよ。ヤバいだろうが。調子乗ってんじゃねぇ」
金髪が、軽く丸坊主の頭を叩きながら言った。
女は、まずい相手とぶつかった、と顔を青ざめさせた。
「こ、困ります。これから行くところが……」
「そんなの知ったことかよ。オラ、俺らと行こうぜぇ」
「やめてください……大声を出しますよ?」
そう言う彼女の震えた声では、とても大声など出せそうもない。急に金髪の顔が凄みを帯びた。
「……おぅ、コラ、人にぶつかっといて、ただすみませんでした、で済むと思ってんのか、ああ?」
そして丸坊主も横から顔を近づけてくる。
「そーぉだよ。ちょーっと俺らにつきあってくれれば、それでいいんだからさぁ」
「なぁ。別にどうこうしようってんじゃねえんだ。ただ、お詫びにちょっと遊んでくれよ、って言ってるだけだよ、そうだよなぁ」
そう言って金髪は丸坊主と顔を見合わせて、ぎゃははは、と下品に笑った。彼女の顔に、どうしよう、という困惑の表情が浮かんでいた。
そのとき。
カッ、カッ、カッ、カッ……と靴音の近づいてくるのが聞こえた。
金髪も丸坊主も、笑うのをやめて「うん?」と、からんでいる当の彼女の後ろの方、靴音がする方を見た。
カッ、カッ、と高らかに靴音を響かせて、暗闇の中から街灯の明かりの下に現れたのは、ストライプ柄の三つ揃え、クラシックスタイルのスーツに身を包んだ、長髪の男だった。非常に端正な顔立ちだが、長く伸ばした前髪が、彼の右眼を完全に覆い隠している。左目だけが街灯の下で鋭い眼光を放っていた。そしてその手には、コンビニエンスストアのおでんがぶらさげられていた。
暗闇から現れたスーツの男は、ずかずかと歩いてきて金髪のすぐ前で止まった。金髪が、なんだこいつ?といういぶかしげな表情で男を睨みつける。男は、表情ひとつ変えずにひとこと、言った。
「邪魔だ。どけ」
「……!」
金髪の表情が、みるみる物騒に翳った。
「……なんだと、コラァ」
男は、相変わらず表情ひとつ変えずに、繰り返した。
「聞こえないのか。どけ」
金髪は、なめられていると感じたのか、口の中で何やら苛立ちをぶつぶつとつぶやいて、それから意味不明な怒声を浴びせかけつつ、男の左肩を思いっきり突き飛ばした。
思わず、よろけて後ろに倒れこみ、しりもちをついてしまう男。そのとき、持っていたおでんが全部、道路にぶちまけられてしまった。
「いててて……」
起き上がろうとする男の顔を見て、金髪たちがちょっとビクッ、とした。転んだ拍子に、それまで長い前髪に覆い隠されていた男の右眼が、街灯の明かりの下に露わになっていたのだ。
そこには、大きくて醜い傷跡が、縦方向に鋭く走り、まぶたの上を縦断していた。まぶたの下の右眼は、おそらく完全に潰れてしまってもはや見えないのであろうことは、誰の目にも明らかであった。非常に整った顔立ちをしているにもかかわらず、右眼に凶々しく刻まれた傷跡のせいで、全体にとても不吉で不気味な印象を与えてしまうのであった。
金髪と丸坊主は、その傷を見て、こいつはひょっとして、そのスジの者とかじゃないのか、と懸念しているようだった。しかし、立ち上がった男が金髪に言った一言は。
「……おでん、弁償しろ」
「は……?」
金髪は、その言葉に拍子抜けしたようだった。男は、冷静な口調を崩さずに、繰り返した。
「おでんを弁償しろと言っている」
金髪は、その人を喰ったような物言いにいきなりブチ切れて、
「何言ってんだゴルァ!」
と、唐突に男に右こぶしで殴りかかった。
しかし。
男の右手が、瞬間的に動いて、金髪のこぶしをしっかと受け止めていた。ほんの一瞬の出来事だった。そして男は、これまた表情ひとつ変えずに、金髪のこぶしを右手で握り返した。金髪がハッ、としてこぶしを引こうとしたが、がっちりつかまれていてもぎ放すことができない。やがて、金髪の口から苦しげなうめき声が漏れ始めた。
「うっ……、ぎ、ぎゃあ~!痛ぇ~!!」
どうやら、男はものすごい力で金髪のこぶしを握り潰しにかかっているらしかった。しかし男は涼しげな表情のままで、そんなに力を込めているとは傍目には全く分からない。
「こんガキャあ!」
今度は、横で見ていた丸坊主が、これはヤバそうだ、とばかりに男に殴りかかろうとした。
が、これまた非常に素早く繰り出された男の右足が、丸坊主のみぞおちの辺りにめりこんでいた。
「……ぐっ」
丸坊主がどっ、とその場に倒れこんで、痛そうに腹を抱えて転がった。
そこでようやく、必死に右手をふりほどこうとしてもがいていた金髪が解放された。
金髪は、ハァハァと息を切らして右手をさすりながら、この片目の不気味な男を改めてまじまじと見た。男は、相変わらず全く表情ひとつ変えず、今はもう右眼は再び前髪に覆い隠されて、鋭く光る左目だけでじっ、と見つめ返していた。そのとき、金髪の目には、男の右眼の辺りが、前髪の奥で大きく丸く、赤い光をぼんやりと放っているかのように見えた。その途端、金髪は何か背筋にぞーっと冷たいものが走るような感じがして、もう一分でも一秒でも、この場にとどまりたくない、という気持ちがふくれあがってくるのを抑えきれなくなった。
金髪は、まだ地面にうずくまって呻いている丸坊主を無理やり立たせると、捨て台詞も言わずに暗闇の方へと逃げ去っていった。
「はぁ……やれやれ」
片目の男は、かたわらにぶちまけられてしまったおでんを見ながらためいきをついた。
「あの……ありがとうございました」
「ん?……あぁ、あんた、こんな時間にこんなところを、一人で歩いてたのか」
「は、はい」
「ここらは、日が暮れるとけっこう物騒だぞ。あんな連中がうようよしてる。いったい、なんだって一人でこんなところに」
「それが、道に迷ってしまって。探偵事務所を探していたんですけど、どうしても場所が分からなくて、そのうち迷ってしまって……家を出たときはまだ明るかったんですけど」
「暗くなるまで、ずっと道に迷っていたのか?」
「はい、わたし、すごい方向音痴なんです」
「……」
男はちょっと呆れた様子で言葉を失ったが、すぐに尋ね返した。
「探偵事務所を探していた、と言ったな」
「はい、『ひのふじ探偵事務所』といいます」
「ああ、『ひのふじ探偵事務所』、ね」
女の顔が、ぱっと明るくなった。
「ご存じなんですか?」
「ああ。よく知っている」
「どこにあるか、教えてもらえませんか?」
「教えるも何も、それはウチの事務所だ。今から帰るところだから、一緒に行こう。こっちだ」
そう言うと男は、スタスタと歩き始めてしまった。女は、あわてて後をついていった。
それからややあって、桧藤の探偵事務所。事務所のドアを開けると、一人の少女らしき人物が二人を出迎えた。
「お帰りなさい、センセイ」
その人物は、背丈が十~十一歳くらいの少女ほどしかなく、髪はショートボブにきれいに切り揃えられ、そしてなぜかメイド服を着ていた。しかし、どうも見たところ、発達途上のような未成熟さは感じられず、その背丈の小ささにもかかわらず中身はすでに成熟し、完成した大人であるかのような印象を見る者に与えた。顔は確かに、少女のような可愛らしさを湛えてはいるのだが、どことなく、生身の人間の少女にあるような幼さや不確かさ、若すぎるゆえの脆さ、弱さといったものからは全く無縁で、どこか作り物めいた、言うなれば架空のキャラクターででもあるかのような、妙に生活感のない不思議な印象を与える少女であった。その不思議な印象を裏付けるかのように、彼女の頭には猫耳がついていた。その猫耳が、本物であるのか、それともそういう飾りのついたヘアバンドでもつけているのか、それは分からなかった。しかし少なくとも、猫耳のついた人間が実在する筈はないから、おそらくヘアバンドなのだろう、と桧藤の後からついてきた女は思った。
「またお仕事ですかにゃ?」
猫耳少女が尋ねた。
「ああ、どうもそうらしい。ええと、この娘はスーリン。俺の有能な助手だ」
そう言って桧藤は、その猫耳少女を紹介した。
「えっと、まだ名前を聞いてなかったね」
「あっ、はい、わたし、双葉花菜といいます」
「花菜ちゃんね。じゃあ、そこへ座って」
桧藤はそう言って、正面の大きなデスクに座りながら、その前にある腰掛を手で示した。花菜と名乗った女は、窓際でつけっぱなしになっている液晶テレビの方をチラ、と見ながら腰掛に腰を下ろした。
「で、こんな夜遅くまで道に迷いながらウチの事務所を訪ねてくるからには、何か依頼なんだろう?」
「はい、そうなんです。実は……」
花菜は、ちょっと言葉を切ってから、続けた。
「父が失踪してしまって」
「ほう……」
それを聞いて、桧藤の左目がキラリ、と光った。
「警察には捜索願いを出したのかい?」
「ええ、出したことは出したんですが……」
そのとき、つけっぱなしのテレビから流れてきた夜のニュースが、一同の耳を引いた。
「……これで、連続怪死事件の犠牲者は、五人目となりました。事件は、被害者が失踪してから3日後に、全身の水分がすべて蒸発してしまったかのようなミイラ化した状態で発見されるという極めて異常なもので、警察では死因を詳しく調べるとともに、現場周辺での聞き込みを続けています……」
花菜が急にものすごく不安そうな表情になった。
「あっ、この事件……」
「うん、俺も、これはこないだから気になっていた」
「もしかしたら、私の父も、と思うと……」
「お父さんがいなくなってから、どのくらい経つの」
「はい、今日が二日目で、明日でちょうど三日目になります……」
「……そうか。もし、これと同じ事件に巻き込まれていたとしたら、明日がタイム・リミットというワケだな」
花菜は心配でたまらない、という様子で顔をうつむけたまま、無言でうなずいた。
「警察では、実際に事件が起こらないと本腰で捜査はしてくれないしな。ただ失踪した、というだけじゃ、ここのところ連続で起こっているこの怪死事件と関連付けてはなかなか考えてくれないだろう」
花菜がすがるような目で桧藤を見た。桧藤は話を続けた。
「では、人探し、ということでこの件をお受けしよう。報酬は前払いになってるが……大丈夫か?」
花菜は、はっとしてハンドバッグから札束の入った封筒を取り出した。ATMかどこかで下してきたのだろう。
「あの、今、これだけしかないんですが……」
桧藤は、渡された封筒の中身を素早く確認した。
「……これだと、明日まで、という時間制限付きの依頼には、足りないな」
花菜が、がっくりと肩を落とす。
「しかしまぁ、残りは成功報酬ということで、今はこれでいいよ」
「ほんとうですか!」
「ああ。事態は急を要しそうだしな。ああそう、それから、お父さんがいつも使っていたものは何か持ってきたかい?それと写真だ」
「はい、持ってきています」
花菜は、そう言ってハンドバッグからハンカチの包みを取り出した。ハンカチを開くと、中から歯ブラシが出てきた。桧藤は、内心、ばっちいな、と思いながら、その歯ブラシを受け取った。
「これが、父の写真です」
「……あ、ああ」
写真には、ごくありふれた中年男性が写っている。
「ええと、父の名前は、双葉満で、住所は……」
「ん、ああ、そういう情報は、なくても大丈夫だよ」
「へっ?」
花菜は、きょとん、と桧藤を見つめた。
「ともかく、これとこれがあれば、十分なんだ」
桧藤はそう言って、歯ブラシと写真を軽く振ってみせた。
「じゃあ、夜も遅いし。一人で帰すわけにもいかないから、スーリン」
「はい、センセイ」
「この娘を、安全なところまで送って行ってくれないか」
「分かりました」
猫耳娘のスーリンは、すっ、とおじぎすると、
「さっ、じゃあ行きましょうか」
花菜を促した。
「あっ、ち、父を、くれぐれもよろしくお願いします」
花菜も、深々と桧藤に頭を下げて、そしてスーリンに連れられて事務所を出て行った。
残された桧藤は。
「……さて、ではさっそく取り掛かるとするか」




