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悪魔の芽生え

 我々生産者の中に人を傷つける人はほとんどいない。

 それはそんなことをしても利益がないと分かっているためと言うのもあるし、我々が本気になれば、この社会などどうとでまできてしまうことが分かっているために、余程のことがない限りはその一線を越えることはないのだ。

 かつて、科学を志した学生がその知識と生産能力を使って、新たな覚醒剤を製造した。瞬く間に広がりを見せた覚醒剤は、今も多くの人を虜にし、手放せなくなっている。


 それを作った原因は科学者の貧困だった。食うにこまった彼は薬を作ってしまった。


 つまるところ、我々は必要の奴隷であった。必要だからする。だから、銃を作った人もいれば、大量殺戮兵器を作った人もいる。面白いことには、この製造者は表には名前が出てこない。なぜなら彼らは作っておきながら、頭は正常で、素面で、感動的なまでに自分で使っていないからである。でも、LSD の製造者は別だ。彼は自分で使った。


 ちなみに俺は、農業に従事している。農業で使う機械はどれもトルクを重視した高減速比の道具ばかりであって、言うなれば、ゾウやカバのような、高速でこそ走れないが、力だけは人一倍の機械達を日々扱っている。

 特にトラクターは、毎年のように事故を起こす道具だった。適切な安全教育を受けなければ、簡単に手足を失う道具なのである。そのくせ、一日中動かしても足りる燃料タンクと、数年放置してもまだ現役で作動するバッテリーまで搭載されている。


 道路でこそ邪魔者扱いされるが、一番喧嘩をうってはいけない相手がトラクターである。実際、ウクライナ、ロシア戦争では鹵獲した敵国の戦車をトラクターがたった一台で引きずり回しているのだから!


 これをするのは大変なリスクがある事だった。真似するバカが出かねないのである。

 このとき頭の中にあったのは、家を襲われたという被害者の感情だった。けっして、虐殺してやろうなどという考えではなく、本当に仕方なく、これをやるしかなかったのである。

 俺は、車庫に入ってから一目散にトラクターの椅子をなおして、エンジンをかけ、ロータリーを引き上げた。

 黒煙を巻き上げるエンジンで、引き付けた感染者を尻目にバックをかけた。

 トラクターが尻を蹴られた馬みたいに急速で下がる。足元のギアを入れ、左手のギアを入れ、エンジンは2番へと吹き上がった。

 回転するロータリーとは凶器である。

 刃こそついていないが、重たい無数の鉈が、連続して頭に振り落とされるのを想像してほしい。さらにはその重量物が下がってくるのを。


 この機械の前では、人間など無いに等しいのだった。実際、2500回転まであげなくてはならない回転数を、あまりにも焦って上げ忘れたが全く問題なくエンジンは回り続けているのである。


 ローターに触れた頭が、ケーキをスプーンで削り取るみたいに刻一刻と無くなっていく様は、溜飲が下がる思いだった。

 

「おらー!!さっさと逃げないとみんなミンチにしちゃうぞ!」


 狩る側と狩られる側が逆転した瞬間である。

 賢い感染者は俺の乗る運転席側に手を伸ばしてきた。

 しかし残念だな、そいつはトラクターに乗ったことが無かった。

 もし乗ったことがあれば、ある一定の切り角度以上になるとタイヤの回転数が上がることを知らなかった。トラクターは狭い畑で方向転換できるよう、ほぼその場での向き変換が出きるようになっているのだった。それを知らないで突っ込んできたものだから、頭をロータリーカバーがどつき、体勢を崩したところを後輪が乗り上げて、地面に突っ伏したところでロータリーを下ろした。


 ミチミチミチミチ!!という音がどこか煩すぎるエンジン音の向こうに聞こえた気がするがほとんどなにも聞こえない。トラクターを乗っているときには叫んでも殆んど何も聞こえないのである。


 興奮した。

 おそらく、幸福と興奮と絡み合った、異常な、どす黒い感情だったと思う。俺は、悪魔になった。いや産まれたときからそうだったかもしれない。



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