力
人間には欠陥がある。
これは生きる上で必要な本能なのだが、弱い人間を排除することに喜びを感じるのだ。
人は意識下、無意識下関わらずこれをやっており、より分かりやすい言葉に置き換えるならば、虐め、差別、民族浄化などが言葉としては当てはまる。大抵、自分よりも強い人を虐めたりしないだろ?人間ってそういう生き物なんだ。
我々の社会は、一部の強い個体が大勢の弱い個体を排除することによって維持されてきた。それは歴史が証明している。
日本という社会では、生活保護等の制度で身体的、精神的に生きていけない人間を助ける制度が存在したが、生活保護をもらっている人をそれ以外が軽蔑していたのは周知の事実だろう。我々は皆、そういう側面を持っているのだ。
今、その社会がなくなった結果、人々は自分よりもさらに弱い人間を探して攻撃的になっている。そうしないと安心できないからだ。我が家に来たあのチンピラはそのために来た。農家はパッと見て弱そうだし、反撃される恐れが少ないと思うのだ。平和な世界で産まれ育った結果、我々は本能を刺激され、他者を傷つけることでしか自分を保てない。
感染が広がった後の世界は、小学校の教室と考えてよい。
学校では様々な事情を抱えた人間が一緒くたにされる。カースト、人間関係、成績、内申点。初めて挫折を経験するのもここであろう。落ちこぼれは虐めの対象としてすばらしい。人と少し違うからという理由で上履きに画鋲を入れられ、私物を隠されるのは日常茶飯事だ。
大人になればそんなことしないって?職場を見てみなさい。虐めはある。なくならない。
義務教育を受けていれば経験があることだろう。
俺だって経験がある。
意外に思われるかもしれないが、俺は学校では虐めを受けていなかった。
バカども専門の動物園のような場所で人の心が分からない俺の存在は異質であったにも関わらずである。
それはなぜか。
俺が陰口を言われたと気がついたとき、言った人も聞いた人もことごとく殴って回る人間だったからだ。人の痛みが理解できない先天性異常と、子供の残酷さが合わさるともう手がつけられない。さらには大変な読書家であったことから、犯罪者の手口を学び、相手の弱みを握って先生や親、警察への密告を防いだ。
小学校5年生に至っては、親をバカにされたという理由で先生を1人精神病棟送りにして今に至る。
この世界で強いたげられる側にならないためには力が必要なのだ。
俺の言う力とは暴力だ。もちろん、それぞれが名声や富やその他の力を誇示してもよろしいが、バカにも天才にも分かる純粋な力こそ、暴力だった。




