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ドロップキック

 俺はそんなに農業が好きな訳じゃない。


 夏は暑いし、体も疲れるし、仕事量に見合っているだけの現金が手に入る訳じゃなかったので、どちらかと言えば、若いときにはこのつまらない田舎を飛び出して都会で就職したいと思っていた、と思う。

 ただ、静かに仕事ができることだけは自分に向いていた。基本的に空き時間は畑の草取りをする。

 畑は野菜が良く育つよう栄養をたくさんやって、トラクターをかけて柔らかくしているから、油断するとすぐに草が生えた。


 名前も知らない草達を一つ一つつまんでは、じい様の代から使っている底の凹んだ金だらいに集めていく。


「世の中には持ってる人と持ってない人がいるんや」

 視界に見慣れない革靴が写った。黒い牛革のuチップ。


 金だらいをよけて、上を見上げると知らない男が立っていた。サイドを刈り上げた短髪。体を鍛えているのか体格は良い。白く、ソバカス一つ無い肌を見るに体力系の仕事に就いているわけじゃない。その横に立った女は、このくそ暑いのにウサギか何かの顔のついたつなぎを着ていた。


 ドン、と肩を押された。


「おまえ出てけよ」

 男が俺を突き飛ばそうとした。俺が動かないことを知ると少し不思議そうに頭を捻った。俺が立ち上がると、自然と見下ろす形になった。


「へ?」

 男のすっとんきょうな言葉が口から漏れた。


「ここは私有地ですが」

「……はい?」

「ここは私の所有する土地で、部外者は立ち入り禁止ですが」

 俺は出きるだけ丁寧に伝えた。所有している畑は4枚ある。ここはその一つだ。


「それがなんだって言うんじゃ」

 男は引くに引けなくなって頭を擦り合わせるようにして近づいてきた。

「おお、勘弁してくれ。喧嘩したくないんですよ」


 こんなことを言いながら、左手を彼の胸において、それ以上近づかれないように気を配った。右手に拳を握る。

 今すぐに殴りたい。もうめんどくさいから殴ってしまいたい。


 この左手の位置が、俺のパンチに一番力の乗る距離だった。


「あの、帰ってくれませんかね」

 と俺が言うと男はキレた。多分キレれば言うことを聞くと思ったのだろう。


 なぜか。俺が敬語を使っているから。敬語を使う理由が分かっていない。

 なぜか。俺が農家という仕事をしているから。農業がいかに肉体労働を強いられ体が痛め付けられているか分かっていない。俺がデカイ理由が分かっていない。


 彼は、怒りながら拳を振り上げた。それでこちらがビビると思ったらしい。大降りの振り上げは、パンチになるはずもなく、いつまでも頭の上に留まっていた。彼の目が言ってる。早く逃げてくれって。でも、そうはならない。

 そこには人としての越えてはいけない一線というのがあった。学校で誰でも習う、人に自分がされちゃ嫌なことをしちゃいけませんよってやつだ。

 それを皆守って生きてる。それを越えるとひどいストレスになるから。


 世の中には道徳の時間に作者の気持ちが分からず、早く終われば良いと書く生徒がいることを彼は知らなかった。残念だ。実に残念だ。


 俺の右手に柔らかな顔の肉の感触があった。拳の上で鼻と唇の肉が契れて、その奥にある固い前歯がパキリと折れる感触があった。

 固いものが固いものに当たって砕ける。前歯4本を失い、鼻の軟骨がひしゃげて内側に入った彼は、そのままダウンした。


 俺は生きるのがずっと辛かった。

 自分の本心はいつだって隠さなきゃいけないし、どんな糞野郎だったとしても相手を殴ると自分が悪くなる。それが、今までの日本だった。だからできるだけ関係を切って引きこもりみたいな生活をしていた。


 だが、知らぬ間に、真夏に保冷剤をおでこに当てたみたいに、この世界はずっとクールに変わっていたのだ。


 俺にはこの世界で『生きる』ほうがずっと居心地が良かった。

 夢が叶ったからではなく、ありのままでいられるからだ。

 平凡な日常と彼の頭にドロップキック。


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― 新着の感想 ―
よう、“馬糞ヤロウ!” そんな気分。 久しぶりに読めて嬉しい。 そろそろ書こうかとすら思う、ただ……続きを書くのが苦手なのが問題。
最後の「ドロップキック」で ミスチルの曲が頭の中で流れました。 リズムに合わせて! やっちゃえ農家さん! (やっちゃえニッ◯ンのノリ)
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