缶詰
ギリースーツを作るために園芸品店で造花を買い占めた帰り、道で女の子を見た。
茨城では珍しい光景だった。
過疎化が進んでいるため、人工の九割はジジババであり、50から60くらいのひとが『わかいてら』と呼ばれる社会なので、それはとても異質である。
さらには、犬も連れていないで歩いているので変だった。
俺の住んでいる地区で、犬を連れておらずに散歩する人間はボケたか、阿呆かのどちらかだと噂されるのに。
用心深く近づくと、小汚ない少女は人形のような物を背負っていた。本当に、幼児がおままごとで使う赤ん坊の玩具のようなそれは、彼女の年齢からしたら、少し、幼すぎる玩具のようにも見えた。
顔は垢と泥で真っ黒で、白目だけがギラギラと光っている。髪は干からびた藁のようにくしゃくしゃとなっていて、血を吸っているらしく、独特の臭いがした。
「どこいくの?」
「……おいしゃさん」
ここら辺の子ではなかった。俺を見て逃げ出さないでくれたのもホッとする。俺は結構な見た目をしているので、どう誘おうかと思った。
大人が子供を車にのせているところなど見られたら、どういう顔をして生きていけば良いのか分からない。そんな下らないことをこのとき自分は考えていたのだった。彼女の状況を知ってさえいれば、どんなことを差し置いても小脇に抱えて走り出していた事であろう。
彼女はもう一週間もご飯をまともに食べていなかった。服のポケットにはタンポポの葉っぱが詰まっていた。
ご飯を食べれない苦痛を知らない日本人が多い。これは、精神的にくる痛みである。
彼女は、左手に持ったマヨネーズの空いた容器に水を入れて振り、チュウチュウ吸っているのだった。勿論、容器の内側についたマヨを水に溶かそうとしているのは分かるのだが、分かるのだが、なんにももうそこにはない。
その上で、背中に背負った人形の口に押し当てて飲ませるなどしていた。
もう勘のいい人ならば分かるね。それは人形じゃなかった。
うちのお医者さんに見せたら「よくなるように寝かせてあげよう」って母屋の一番風通しの良い部屋において、上にござをかけた。足先から顔まで覆って。
「死後2日位だと思う。ぼくは専門じゃないからあれだけど……もうちょっとだったのにね」
「お医者さん、それあの子に言わないでおいて貰えます?」
彼は少し困ったような顔をして、玄関から土間までにかけて消毒スプレーをかけていった。
玲子さんは見知らぬ来訪者を見てギョッとして、キッチンの方に連れていった。
今日のお昼の大根の味噌汁と、おかずはサバの味噌煮缶の余ったのがあったのでそれを出してくれるよう頼む。
その間に俺はお風呂を沸かして、随分小さな訪問者の事を思った。
親はどうしたんだ。まさか子供が邪魔で捨てたんじゃあるまいな。
子供はいつだって食うに困らず生きたいように生きる権利が与えられるべきなのではないか。まさか、死んだ弟を背負って1人でこんなとこまでこさせて良いわけがない。
女の子に親の情報を聞き出して仕返しをようと決意して母屋に戻ると、変な音がした。
キッチンの方からだ。
見ると、キッチン横の蓋がくるくる回るゴミ箱がひっくり返っていて、ちょうど子供の足が見えた。
ピチャピチャという音は、どうやら、空き缶をなめているらしい。
お昼ごはんで使った缶詰をそこに捨てていたのだった。
「あああ!!」
怒られると思ったらしい少女がビクッとなったので、可愛そうなことをしたと思いながら、上の戸棚から桃の缶詰をとって、なかを開けてやると、目を爛々輝かせて「ヤッター!」とあの、弟の方に持っていくんですね。寝ている方に。
もうね、見てられない。
「寝てるから、静かにしようね」
「……」
寝てるんじゃない。死んでるんだ。何て言えるほど俺は強くなかった。
缶詰をもう1個開けて、一つは弟君の頭の近くにおいて女の子を抱き抱えて食卓に座らせた。
あんまり不憫だからどんどん開けてしまったね。
「ゆっくり食べな。いっぱいあるから」
「はい!」
弟は明日火葬にしよう。それで墓地までいって埋葬しよう。お経は上げられないけれどそれくらいはしたい。それが正しい大人の行動だと思った。
死んだ弟の顔からウジ虫をとりながら。