観光客
俺の日課にはお散歩というのがある。
そう、健康に気を遣っているのだ。それに今は有事であるからして、家の他に五枚ほどある小さな畑と田んぼの見回りをしなくてはならない。
最近は良く冷えた。夏の間に良く延びた下草はその勢いを失って灰色の枯れ草となって道端に萎れている。その傍らには轢かれた動物の死体が毛布にくるまれて置かれており、ほとんど骨と毛皮にだけになっていた。
生きることの、かくも難しい有り様よ。願わくば来年も生きていたいものだが、そのためには物資が必要だった。
未だに茨城はインフラ設備が微妙だ。電気水道はあるが、都市ガス、下水がないので、お風呂は灯油タンクを外壁に設置して炊くという方式なのだった。うちの玲子さんはそういう仕事をしない。外は寒いし、手が灯油臭くなるからやらないそうだ。
ふん。なんだ、めんどくさかったら死ぬのか。と思って一人でお散歩中、賑やかな集団に出くわした。
茨城の、このくそ田舎には歩道というものが道に存在しない。車が交差するのも厳しいような細い道のなか、両側は畑に囲まれている。有り体にいえば、普通の車ではその軟弱地盤に踏みいれば簡単にかく座する環境といえる。
その道の真ん中で高級車が立ち往生していた。
俺は少し遠くからその様子を観察した。車は回りを感染者に取り囲まれていた。
俺は雑嚢内のシルキー鉈を何度も確かめるように握っていた。
現代版鉈。シルキー鉈
かつて持ち手は木で作られていた鉈。現代風にアレンジされたそれは、ゴムグリップとなり、切断時に作業者が感じる反動を少なくする効果がある。
森や林を私有地として所有している人は大体持っている道具だが普通の人は買わないとも聞くが、この鉈は別格だ。なにしろ反動が少ないため力一杯振れるのだ。
目の前で、食われようとしている人間を救うことも出きるかもしれないが、俺はそっと雑嚢から手を引き抜いた。
自分も感染するかもしれない状況でそれをする価値は恐らくあそこには、ない。
無慈悲に人を見捨てることと、誰かを無条件で救うことを比較してどちらが簡単かは明らかだろう。俺はまだ、後者になれるだけの技量も器も足りていない。
そして、比較的安全な家と、食料が半永久的にとれる畑と井戸水。面倒な事に巻き込まれるのは簡単に想像できる。
襲われている人がどんな技量を持っているか分からないのが惜しいが、たった一人で状況を好転できる力はないのだろう。だからああして、車から出られないのであるし。
俺は精一杯の笑顔を作った。多分車の中からもこちらが見えているだろうし、せめて安心させるために下手な嘘でもつこうではないかと、思った。
残念なから俺は嘘をつけない。正確にはつけるのだが、それはものすごく下手であるので、直ぐに相手に見破られるのだった。世の中にはそういう人間もいるのだ。
それに気がついた車の持ち主が何を思ったかクラクションを高らかに鳴らしやがった。
親指をたてる。もちろんしたに向かって。このどうしようもないバカは自分が死ぬと分かって、(見捨てられると分かったのかもしれない)道ずれに死のうとしているのだった。
シルキー鉈を抜いて車に近づいた。運転手は安心したような、嬉しそうな顔をした。俺も笑っている。だがこの笑顔は怒りの笑顔だった。
「いいかげんにしなさいよ。死にたいなら一人で死んでください」
運転手は絶望に染まった顔をした。
俺の話し声につられて感染者がこちらを向く。ぎょろりとした不気味な目に俺の姿が写る。
変だなぁと思った。感染者にしては身なりが小綺麗であった。金色のブレットには血がついているがまだ乾く前のぬるぬるとした光を放っているのだった。
おそらく運転手の仲間だろう。女がいれば男もいる。中には子供までいて、母親とおぼしい女は抱っこ紐をつけたままだった。感染したばかりだ。
しかし知能も運動神経も悪いようでふらふらとこちらにやってくる。これは助かった。28日後みたいに走ってこられたらたまらない。
「俺は農家といいます。皆さんに意識はありますか?」
一見するとおかしいと思われるかもしれないが、相手は一応人間なのだった。まだ、感情が残っているかもしれない、と我が家にいる少し変わった医者を思って聞いた。
感染者の臭いは強烈だった。冬の鼻がつんとするような寒さの中でもその臭いは吐き気を催すほど強烈で、直ぐ近くにいると口の臭いまで感じるほどだった。
筋肉量は感染前のままであるので、どれも中肉中背のどこにでもいるような人間である。
所々剥がれた肌はその内側の筋肉や脂肪を剥き出しにしているがその状況で歩いていることから痛みには鈍いと思われる。
あせる必要はない。落ち着いてやれば大丈夫。
鉈を頭上にふりあげて力強く下ろす。すっぽ抜けて無くならないように力を殺さないといけなかった。ぱっかりと頭が割れた感染者は数歩ふらふらと歩いて膝立ちに崩れ落ちた。
これで終わったか、確認しているうちに次の感染者の手が、懐に入ってくる。一対多数の戦闘に慣れていないため、視野が狭かった。
鉈の血油を拭き取る暇もなく返す刃で左下から右上に振り上げると、鉈の角が女の顎に当たって骨が砕ける間抜けな音がした。
突然衝撃を受けた感染者は鳴き声のような声を発する。
女の腹を右足で踏み込むように倒して頭を鉈で潰した。これで二人。
血が出るのを見ていた子供の感染者が雄叫びをあげ、両手を広げて近づいてくる。それを足を引いてよけた。足元に血肉が広がって滑りやすくなっていた。それが余計に怖い。
子供の口にはまだ飲み込めていない肉片が残っていた。
自分の肉ではないだろうなと必死にさわって確かめる。あれをくらうとこちらは1発で感染する。なぜ親は感染した子供を連れ出したのか。家の中に閉じ込めるのが倫理的に考えて正しい行動だろう。
立ち上がった子供の頭めがけて鉈を振り下ろす。それを受けて、動力を失った脱け殻のように子供は崩れ落ちた。
手には骨を砕き、その中の柔らかな肉塊を潰す感触が残った。最悪だった。
運転席では札束を見せつけるようにあおいでいる男がいた。俺は「死んでしまえ」、と小さな声で言った。
28年後楽しみですね!!!絶対映画館でみます!




