我が家へようこそ
俺達は病院を後に車へと乗り込んだ。
来た時と違うのは乗員が一人増えていることと、大量の医療物資が積み込まれていることだ。
段ボールから溢れんばかりの未使用の注射器や薬品。そればかりか、手袋、マスク、消毒液、果ては無菌室用の手術着まで手当たり次第に持ってきていた。
一応金は置いてきたが到底それでは足りないだろう。が、気持ちだ気持ち。人間であることを忘れればやつらと同じになってしまう。
助手席に座るのは手術用の青いマスクを着けた男。頭に髪の毛はなく、巨大な肉団子に春巻きの皮を被せたような頭に数本の髪が認められるような頭をしている。そのマスクから覗く瞳は火が着いたように燃えていた。
彼は医者と名乗った。しかも、自分の力で自分を手術するという荒業をやってのけ、車に乗ってきた。
「だれ? と言うかなにそれ?」と玲子さんは言った。
「お医者さん。仲間になった。目的はこの病気の解決と治療」
「……は? 治せる分けないじゃん」
まったく、この女性という人は!!そのために死ぬ思いをして這い出てきた人にそれをいうか!!
医者はただ黙ってシート越しに後ろを振り返ってマスクを外した。
サッと玲子さんは視線をずらして窓の外を見た。外を見たかったというのでない。マスクの下を見たくなかったからだろう。実は俺もその下がどうなっているのか知らなかった。
ただ、振り返って前を見た医者の顔には既にマスクが戻っていて、口がある位置に黒々とした血が付着している。
べちゃべちゃとして、気持ち悪そうだろうなと思ってダッシュボードからティッシュをとって差し出すと、すごすごとマスクの下に差し込んで拭いている。
俺は彼を気に入った。目的もしっかりしているし、俺のうちはお金持ちじゃないから金は払えないといっても喜んで着いていくとのことだった。
その日の夜に、玲子さんに呼び出された。
どこで見つけてきたのか、1.5リットルの日本酒のパックと食い散らかされた枝豆の殻が机には転がっている有り様だ。酒を飲んでいるらしく、酷い臭いがする。俺は酒を飲まない。
彼女は最初、なんでもないような会話から始めた。そして、じろじろと値踏みをするような目で見た後で、本題を切り出すことにしたらしい。
「和を乱すようなことをするなら出ていって」
「和って何のことですか?」
「いい?私は、大学で沢山苦労したから発言力があるの。あなたみたいに和を乱す人がいると、人間の社会はやっていけなくなる。壊すなら出ていって」
「どういうことですか?和って何ですか?」
「いい?誰かに言われなくなったら終わりだからね?だからわたしが言ってあげてるの」
この人はいったい何を言っているのだろう?分からない。そもそも玲子さんだってこの家にいついているだけの人でないか。
「分かりやすく言うとね。私には守らなきゃいけない人がいるの。だら死ぬわけにいかない。これ以上掻き回すなら出てって」
「……お言葉ですが。何が気にくわなかったんですか」
「あんな男つれてきてなに考えてるんですか!」
最初からそれを言えよ。めんどくさいな。しかもこちらの話を聞くつもりはないらしい。なぜ彼女にはこんなにも、想像力が足りないのか理解できなかった。
なぜ、俺が彼に普通に接することが出きるのか理解できていない。
それは、身近にそういう人がいたから。
俺はどちらかと言えば、見た目を重視するこの世界がおかしいと思っている。さらにいえば、女だから殴られない、弱者だから殴られないだろうという常識の元でそのような口の聞き方を、するような人間にやさしくする義理なんてなかった。
お酒を掴んでふたを開け、彼女の頭の上でひっくり返した。
「は、え?」
ビシャビシャと音を立ててこぼれ落ちる酒は彼女の髪を塗らして目に入るがその激痛もどうでもよくなるくらい彼女は動転していた。
反撃を受けるなど考えてもいなかったのだろう。彼女はいつも説教をする側であり、奪う側であり、自分の自我を通す側だったのだ。それが当たり前だと思っているのだ。
「奪われる側にようこそ」
火をつける脅しをしようと思ってライターを探したのだが、なにぶん喫煙者ではなかったので、探すのに時間がかかってしまった。10分くらいかな。泣き叫んでいた玲子さんは、状況を飲み込む。
顔が絶望に染まる。
この世の中には、人それぞれ個性を持った人間というのがいる。
人を殴れないやつ、一人じゃ生きれないやつ、誰かと一緒にいたいやつ。気持ち悪いわー。お手手つないで皆でゴールかよ。どんな時代だよ。
俺は、枕の下に刃渡り24センチのナイフを忍ばせて眠る人間だというだけの話だ。
我が家へようこそ。歓迎しよう。
階段の上からお医者さんがそれを見ていた。薄暗い中で光るその目が僅かに笑顔になっているように、俺には見えた。




