虚空の水を
窓を割られたので雨戸を閉めた。するとなんだか夏休みみたいになった。
我が家ではよく夏休みに雨戸を閉めた。その次の日は朝10時くらいまで寝ててもよくて、子供ながらに非現実的で楽しかったのを思い出す。
人生を楽しむコツは、不条理をいかに楽しむかということ。本当にいけないのは刺激のない平坦な生活を送って時間を浪費することかもしれない。
窓が割られたくらいなんだ。自分で窓を作ればいい。ガラスもサンも探せばまだいくらでもあるわな。
埃で手が汚れたのでキッチンで手を洗う。これから土のついた野菜を洗うので石鹸をつけては洗わない。
よく冷えた水が、ささくれだった手に触れてつんと痛んだが、それも溶けるように指先へ消えていった。
手先が暖かく感じられるようになった頃、足の裏に生傷があることを思い出した。
「あー。アドレナリン切れた……」
だんだんと霞のかかった脳みそが冴えていく実感があるが、もう少し夢を見るためにチョコバーをかじる。チョコはいい。バカっぽい味がするから。
そうしていると視線に気がついた。
俺の背中をまるで刺すようにして女の子が見ていたので、なんだろう?と思った。
殺意だとすればもっと嫌な感じがするはずなので、それともまた違う。
なんだ?と、考えながら蛇口をしめると、女の子が水を見ていたことに気がついた。
「それ……」
「ん?」
「なんで水出てるの?」
女の子は震えた指で指差して聞いてきた。
ああ、そうか。彼女の住んでいた地域は断水していたのか。だから逃げてきたのか。
「うちは、井戸水と水道、どっちも引いてるからです」
「飲んでいい?」
「もちろん」
どんなに乾いていたら、ああなるんだろうと思った。
女の子は直接蛇口に口をつけ、自分で弁を前開にして直接水を飲んだ。
当然、飲む水の量よりも入ってくる水の方が多いので、ガポガポガホ!!となって盛大な噴水になっていた。
「なにやってるの!?」
なにかふざけてるのだと思った。
普通に考えておかしい行動をしている。
彼女は水道の水を手に桶を作って溜め、制服のポケットに入れ始めたのだ。
勿論、制服は布なので水は素通りして床のラグを濡らすだけだ。
そればかりか、「今、飲ませにいってあげるからね……」等といって、家を飛び出すと死んだ友人のもとへと向かった。
気になってついていくと、竹藪に引きずり込んだ女友達の、まだ暖かい唇に、ポケットから水を汲み出して何度も何度も、水を飲ませているのだった。
もちろんその水は存在しないし、見えない。彼女は幻覚を見ていると思った。見えない水を見ている。死んだ唇も喉もピクリともしないが、飲ませる彼女は満ち足りた顔をしていて、
「美味しいねぇ。美味しいねぇ」
そんなことを友の亡骸を抱えて言うのである。
見かねてバケツに水を汲んで持っていくと、その頃には死に化粧が始まっていて、血の気の引いた真っ白な死んだ女の顔がその女の子の腕の中にはあった。
「水をどうもありがとう。ほら。こんなに顔色がよくなりました」
「うん。そうだね」
「良かったね。助かったのよ。私たち」
な、なんと声をかけようか。迷う。
こういうとき、その子はもう死んでいるって伝えた方がいいか。
いや、本人だって分かっているはずだ。頭が割れちゃってるから触れば分かる。
それを受け入れられていないだけで、彼女はまだ、こっちにいると思いたい。
そりゃあ、自分の命をかけて助けた友達が、目の前であっけなくやられ、車にはねられた犬猫のように引きずられて行く様を目の当たりにしているから、信じられないというのもあるのだろう。
あんまり可哀想だからその傍らにどっしりと重いバケツと、食べかけのチョコバーを置く。
なんと声を、かければ。
「ね、死に化粧って綺麗だよね。この世で最後のお化粧なんだよ。ほらこうやって、向こうにいっても綺麗でいられるように、ね?」
口紅を持っていなかったので、足の生傷から血を指にとって唇に紅を。
「ほら。もっと綺麗だね」
この死んだ友達が彼女のことを連れて行ってしまいそうな気がした。
なんか、嫌だった。言葉にうまくできない。
友達だっていうなら、そういうことしないで欲しい。
俺は人の気持ちがよく理解できないから。
気がつくと女の子は赤ん坊のように泣いていた。
「ごめん。俺、空気は読めないんだ」
これ書いてる作者はバリバリの理系なんですけど、読んだ文系の人からすんごい考察をもらって面白く思いました。私は論理的に落ち着くところに落ちることが面白いんですけど、その人は全然違う考え方を持っていて、これが民族学的な話を盛り込んでいると感じたらしく「これってこのお話からきてますよね!だからこうでこうでこうなんですよね!」と言われました。すごい!面白い!




