8 交流(2)
海斗と庵はショッピングモールでの散策を終え、ふたりで近くの公園へとやってきた。
16時。夕刻とはいえ、小学生でもまだ帰宅はしないであろうという時間。公園は家族連れで賑わっていた。
「何か飲み物買ってくるよ。何が良い?」
「緑茶」
「あったかいやつ?」
「ああ」
「わかった」
海斗は庵をベンチに残し、自動販売機の元へと駆けていった。
庵はベンチに乗せた今日の買い出しの荷物を確認し、忘れ物がないかを脳内で照合しておく。そして、文化祭で必要なものとは別に、参考書や服といったものまで買ってしまったので思いのほか荷物は多くなった。普段あまり使うことのない小遣いを使った。
すぐに海斗がペットボトルを2つ持って戻ってきたので、庵は財布を取り出し、自分の飲み物の代金を海斗に差し出した。
海斗は右手に持っていた自分の分のコーヒーのペットボトルをベンチに置いてからその手で硬貨を受け取ろうとした。
「律儀だね、これくらい奢るのに」
「それに甘んじていたら図々しいだろう……っ、冷た!」
ふたりの手が触れ合った瞬間、海斗の右手のあまりの冷たさに庵は驚いた。真冬場かと思うような冷え具合だった。
「最上お前……っ! 冷たすぎないか!?」
「こっちの手、冷たいペットボトルを持ってたからじゃない?」
「いや、それにしても……! お前まさかその上で冷たいコーヒーを飲むのか!?」
「言ったじゃん、僕は猫舌だって」
「確かにそう聞いたがな! 体温の低下は純粋に体に良くない作用が多い。ましてや今のこの時期、秋の昼夜は寒暖差が激しいんだぞ。夕方ともなれば気温は一気に」
「はぁー、美味しいー」
「おい、最上!」
庵の説教などどこ吹く風。海斗は硬貨を受け取るなりベンチに悠々と座りのんびりと自分の好きな冷えたコーヒーを堪能するのであった。
「まったく……妙なやつだなお前は」
説教を諦め、庵も買ってきてもらった温かな緑茶を飲み始めた。冷気によって下がり始める体温にこの茶の温かさは心地良い。それなのに海斗ときたら。チラリと海斗の様子を見てみれば何とも幸せそうにキンキンに冷えたコーヒーを飲むものだから体温云々に関しては何も言う気になれなくなってしまった。
「そういうコーヒーも飲むんだな」
「見境なく飲むよ。市販の缶コーヒーやペットボトルのコーヒーはだいたい飲んだかな。さすがに地域限定品とかは制覇してないけど」
「カフェインの摂りすぎじゃないか?」
「1日に飲む量はセーブしてるさ。好きなものを飲めるのも健康な体あってこそだからね」
「だったら温かいものをな……!」
「はぁー、美味しいー」
「最上!」
「あははっ!」
結局原点となった健康面の話題に返ってきてしまっては庵は説教をせずにはいられない。
こんなにも自分は目くじらを立てているというのに。こんなにも、嬉しそうに笑いやがって。
海斗の弾けるような笑顔に毒気を抜かれていく。庵は、やはり海斗がたらしであるという確信を得た。
そして海斗がふと、笑みの種類を変えた。全力で戯れるようなそれから、優しく穏やかなものへ。
「今日はありがとう、石館くん」
「…………」
人というものは笑みひとつでここまで雰囲気が変わるものなのだろうか。庵にはわからない。こんなにも深く接したことがなかったから。
庵は海斗から目線を逸らし、多くの子どもたちが駆け回るのを眺めた。海斗も目線を子どもたちへと向ける。
「……役目だからな」
「そのことは、謝らないとね」
「……?」
「勝手にきみを買い出し係に推薦してしまったこと」
「それは……もう、いい。妙にややこしい役目にならずに済んだ」
初めこそ勝手なことを、と思っていたが、今となっては楽な役回りだと庵は思っている。
「それに、こうして休日に出掛けるのも、久しい」
「インドア派?」
「どうだろうな……家では勉強くらいしかしていない」
ふと、ふたりが座るベンチの元にサッカーボールが転がってきた。
庵がすぐにペットボトルを脇に置いて立ち上がり、遠くで手を振る子どもに向かって投げてやった。
絶妙な飛距離のボールは上手く子どもの側に落ち、その子は一礼しボールを蹴りながら友人たちの元へと戻っていった。
庵はベンチに座り直しペットボトルを手に取り茶を飲んだ。
「石館くんは、塾とかは?」
「行ってない」
「それなのにすごく成績良いよね」
「ならお前は?」
「行ってないけど……」
「だったらお互い様だろう」
「いや……うーん……日本史がさ……」
「…………」
海斗の日本史の実力は分かっている。だからそれに関しては庵にも何も言えない。そして、だからこそ。
「ふん、それでいて簡単に1位を取っておいてよく言う」
「石館くん……」
「……っ! すまない」
卑屈な発言をしてしまったことを庵はすぐに詫びたが、罪悪感に苛まれ俯いた。
海斗はしばらく庵のそんな姿を見詰めたが、また公園の子どもたちを眺めだした。
「……最近、休み時間とか僕を避けてたよね」
「気付いていたのか。……いや、お前ならば当然だな。今日のお前を見ていればよくわかる。人を、周りを、よく見ている」
「ねぇ石館くん、僕は……」
「だからこそ」
庵は海斗の言葉を強めの口調で遮った。簡単な弁明も、過剰な謙遜も、無意味だ。虚しくなるだけだ。海斗には何も話させたくなかった。
庵はペットボトルの蓋をしっかりと閉め、鞄に入れると立ち上がり、海斗を見下ろしながら荷物を持った。
「何も言ってくれるな」
「石館くん……」
「態度は改める。そう努力する。ただ、何も問うな。……また明日」
矢継ぎ早にそう告げた庵は、手荷物の殆どを持って帰路についてしまった。
ひとり取り残された海斗は庵を追いかけることもできず、庵の背が遠ざかるのをただ見詰めることしかできなかった。
完全に庵の姿が見えなくなって、海斗はペットボトルの中身のコーヒーを飲み干し蓋を閉めた。半分残った荷物を持って立ち上がり、海斗も家路を急ぐ。
「清々しい宣戦布告だったな。……やっぱりやり方はちょっと不器用だけど」
ひとりになり、歩きながらスマートフォンを取り出し手早い操作で通話を始めた。
「もしもし、今から帰るよ。……うん、夕飯も食べようと思ってたんだけどさ、今日はフラれた。うん、……うん、大丈夫。それじゃ」
宣言通り、次の日から庵が海斗を過剰に避けることはなくなった。しかしそれでも、庵は休み時間すら使って勉強に打ち込み海斗に余計な口を挟ませなかった。
文化祭での必要なものは都度、クラスメイトが要望を出し、クラスの文化祭実行委員の承認を得られたものが海斗に伝えられる。そして、ひとりで買えるものは分担しつつひとりで買いに向かい、大掛かりなものは海斗と庵のふたりで買いに行った。
ふたりでの買い出しの日にはなんとなくの流れで昼食を共にするのが当たり前となった。いつも庵の食べたいものを優先してくれるので海斗にも遠慮するなと伝えてみたが、嫌いなものがそもそも無い、そして割と優柔不断なのだと返された。真偽のほどは定かではない。
庵はほとほと海斗の鋼の精神力に感心し、そして呆れた。
最初の買い出しのあの日、夕暮れの公園で割と突き放すような言動をしたというのに。海斗との間に明白な溝ができてしまうことも覚悟していたというのに。
海斗は学校でも休日の買い出しの時でも、庵に対してよそよそしくなるわけでもなく、常とまったく変わらない。
そして、そんな海斗のおおらかさに少し救われたような気持ちになってしまっている己自身が、情けない。あれだけ啖呵を切ったというのに。
穏やかな日々。穏やかなあいつ。そしてどこか穏やかな自分の心持ち。庵はそれらすべてが悔しく、そしてどこか切ない。
これではまるで自分の方が海斗を意識しているみたいではないか。庵にはそれがたまらなく悔しい。
実際、現実問題として、庵には海斗くらいしかクラスでの話し相手はいない。他の生徒からは今でもやはり遠巻きにされている。しかし海斗は違う。彼はクラスのみんなから慕われている。頼られている。海斗に別格なリーダーシップがあるわけではないが、誰にでも平等だ。
そう、平等なのだ。平等だから、他の生徒たちと違って庵にも物怖じしない。ある種の不気味さも孕んだ、徹底的なまでの平等。超人めいた達観を、海斗自身が意図しているのかは定かではないが。
つまり。海斗にとっては庵ですら『平等に接すべき人類のひとり』にしか過ぎないのだ。庵にはそれが、悔しい。
自分には、海斗しかいないのに。そしてこんな風に考えてしまう自分が、情けない。
そんな海斗に少しでも一目置いてもらう手段として。庵は、自分にはやはり成績しかないのだと結論を改めるに至るしかなかったのだった。




