4 発見(小)
「二学期からは、朝のホームルームで小テストを行う。……と言っても、成績表に影響するようなものではないし、問題も参考書によくあるやつばかりだ。まぁ軽ーくクイズに答えるような気持ちでやってくれ」
担任である木村の宣言でいちどは教室内が悲嘆に包まれたが、成績表に影響が無いとなるや安堵の空気で満ちた。
それは海斗も例外ではなく、ほっと胸を撫で下ろす。そして、そんな海斗の左隣。
窓際の席に座っている庵をちらりと盗み見る。庵はまったく動じることなく、のんびりと窓の外を眺めている。
たとえこの小テストが成績に影響するものであろうとなかろうと、庵にとっては些末なことでしかないのだろう。それだけの確かな実力がある庵に、海斗は感心するばかりだった。
前の席の人からB6サイズという小さめのプリントが1枚回ってきて、海斗は早速問題の回答に取り組んだ。
今日は英語。なるほど、確かに簡単な問題ばかりだ。問題文は日本語で構成されている。回答に難解な文法が必要なわけでもなく、ただ解となる単語を書いていくだけ。
1日の始まりとして脳への軽いトレーニングにはなるだろう。
海斗の予想通り、クラスメイトの大半が易しいと感じたらしく、数分で筆記用具が置かれる音が各所から鳴りだした。
朝のホームルーム時間内でできる問題量を考えれば妥当だろう。
「はい、そこまで。じゃあ隣の人とプリントを交換して丸付けな」
木村の号令でみんながプリントを交換していき、海斗も庵にプリントを差し出すとすぐに庵も交換に応じた。
木村が黒板に次々と正解の単語を書いていき、それを見て採点をする。海斗も赤ボールペンに持ち替えて採点を始めようとした。
海斗は何度かプリントと黒板を見比べる。
黒板の木村の文字は理解できる。厄介なのは庵の答案の方だ。
恐ろしく流れの激しい筆記体で記された単語の数々。あまりに走り書きすぎて、読めない。判断に困る。
このスペルは、『m』……いや、どう見ても、『w』……。いや、庵がこんなミスをするだろうか。いや、やはり『w』にしか見えない。
海斗は悩みに悩んだ末、赤ペンでチェックマークを打った。
そして、すべての採点を終えて答案用紙を交換返却した。
海斗は満点で返ってきた用紙を見てひと息吐いたが、直後に庵から低い声で呼び掛けられ肩を僅かに跳ねさせた。
「おい、最上。これのどこが間違いなんだ」
「え」
明らかに苛立っているらしい庵は答案に指を乗せて場所を示す。海斗が覗き込んでみるとそこはさっき海斗が採点に悩んでいた箇所だった。
「これ……『w』じゃないの?」
「は!? どう見ても『m』だろ」
「いや……うーん……きみのことだから『m』って書いてるんじゃないかなぁとは思ったんだけれど……これは……どう見ても……」
「なんだ!?」
「いや、うん。ごめんごめん。じゃあ、正解だね」
海斗は赤ペンを持って丸にし直そうとするも、すぐに庵によって答案用紙は遠ざけられた。
「分かったならもういい」
「うん、ごめん」
「どうしたんだよ海斗」
庵の前の席に座っている男子生徒が振り返って話に入ってきた。
「あ、小笠原くん。なんでもないよ、僕が採点ミスをしただけ」
「あー、そうなの。…………え、いや、海斗なにも間違ってなくね?」
「は!?」
小笠原の言葉に庵は再び憤慨する。
「これ……『w』だろ?」
「違う、『m』だ!」
「え、うそだろ。『w』にしか見えんって」
「な……っ!?」
海斗のみならず、他のクラスメイトにも文字が判別されなかった事実が庵に衝撃を与えたようだ。
「石館だっけ? 字、ひどいんだな」
「ちょっと小笠原くん!」
「いや、だってよ! ここだけじゃなくて俺なら他の箇所もバツ付けてるって! ほら、これとか、こことか!」
「あー……」
小笠原が示した箇所は確かに海斗も正解にしようかチェックマークを入れようか悩んだ。散々悩んだ末に丸にした。しかしそれもなんとか、どうにか、目一杯時間をかけて判別できたからだった。
「ほら、海斗も悩んでたんじゃん!」
「いや、まぁ……うーん……」
「なん……だと……」
庵はどうにも解せないらしく答案用紙を睨み付けている。
小笠原はすぐに他のクラスメイトに呼ばれ前に向き直ってしまった。
海斗はそっと庵に顔を寄せて声を潜めた。
「あのさ、一学期の期末で僕が1位だったのって……もしかしてその……字が……」
「やめろ、言うな。何も言ってくれるな」
そうなのかもしれないと言わんばかりに庵は答案用紙を机の中に入れてしまった。それ以降、海斗との会話を拒否するようにそっぽ向いてしまう。
そんな庵の姿に、海斗は微かに笑った。
海斗は今までどこか身勝手に、庵のことを完璧な人間だと思っていた。
彼は協調性の低さはあれど、人に後ろ指をさされるような生き方だけは決してしない。緩やかに波打つ庵のブロンドの髪は毛根の部分を見るに一度たりとも染めてはおらず、庵の瞳は深い緑色。そして誰よりも肌が白いことから、比率は不明なれど異国の人間の血が入っているのは明白。そんな庵の端整な顔立ちに眼鏡がとても似合っている。彼の体の細さも相まって頭頂から爪先まで、どこかある種の儚さを庵は備えていた。
その庵の弱点が、まさかの悪筆だとは。初めて知った平凡な人間味。
あの強烈な入学式の日の庵のことを思い出しながら、海斗は無意識に庵のことを神格化していたのだと思い知り、密かに反省した。
「石館くん、これからはきみに確認するようにするね」
「わかった、わかったから」
邪険そうに庵は海斗に向かって手を振り早々に席に戻るように促してきた。それを見て海斗は快活に頷き指示に従う。
一方の庵はというと。
ショックが大きかった。
自分の字がひどいものなのだとは考えたことがなかった。
そもそも誰にも指摘されたことがなかったのだ。誰もが見て見ぬフリをしていたのだろうか。それとも海斗の感性だけがずれていたのか。だがそれならば海斗以外の者からもあのような物言いが出るはずがない。
ということは。
改めて自分の心に刃を突き立ててしまう庵。そして、それならばと海斗の答案を思い出してみた。
認めたくはないが見やすい答案だった。あれならばほぼ誰にも見間違えられることはあるまい。今後は少し、意識して字を美しく書いてみるとしよう。ホームルームの小テストはこれからも続くのだから。
庵はそう決意したものの、やはりそれだけで完全に腑に落ちるわけがなく。その日の放課後、改めて各科目担当の教師を捕まえてみては自分の筆跡を問うてみた。
そして非情に残念なことに、庵は大多数の教師からテストの採点時に文字の判別に困ることが多いとの声をもらってしまうのであった。




