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始点ホログラフィー

 談話室は長期入院で暇をもて余した患者の憩いの場になっていた。清潔感溢れるリノリウムの床が薄く電灯の灯りを反射している。

 自動販売機で紙パックのコーヒーを買い、紙袋を置いてから、椅子に腰かける。甘党は変わりないらしく、カフカはイチゴオレを購入していた。

 病院にこんなスペースがあるなんて知らなかった、と私が言うと、正面に座ったカフカは「暇潰しにいいのよ。ここには本もあるし」と、手に持っていた文庫を机に置き、紙パックにストローを挿した。

「まさかこんなところで会うなんて」

 と私が言うと、

「偶然なんてそんなものよ」

 とクールに返された。

 カフカは入院しているらしい。

 深刻な事態ではないと笑っていたが、ほんとうかどうかわからなかった。

 深く考えるのはやめておこう。

 いまはただ、目の前の再会に集中すべきだ。

「なに読んでるの?」

「生まれ出づる悩み」

 彼女はそう言って、表紙が見えるように傾けた。

 作者は有島武郎(ありしまたけお)

「面白い?」

 尋ねると彼女は少しだけ首をかしげながら、

「なんていうか、面白いとか、そういう次元の話じゃないような気がする」

 とはにかんで、続けた。

「でもね、勇気を貰えるの。創作活動をしている人なら、読んでおいて損はないと思うわ」

 スッと本を差し出して、彼女は「読む?」と聞いてきた。私はそれに返事をしないで、

「まだ書いてるの?」

 と質問を返した。

 カフカはストローをおちょぼ口でくわえ、イチゴラテを一口飲み込んでから、頷いた。

「ええ。菜種は?」

「私は……もう書いてないよ」

 カフカは少しだけ寂しそうな顔を浮かべ、『生まれ出づる悩み』をそっと胸に抱えた。

 彼女と私は同じ中学の文芸部だった。


 中学二年の春の体験入部の際、新入生でも無いのに、私のクラスにやって来たカフカは新勧のために配布した文集の一編を指差し、

「最高だったわ。ここまで笑える話にするなんて」

 と私の掌編を手放しで絶賛したのだ。

 小林多喜二の『蟹工船』を文字って、『蟹光線』というアホみたいな小説を、その文集には載せていた。

 宇宙から飛来したカニ星人に人類が蹂躙される話だ。正直つまらない作品だったと思う。カフカの琴線に触れた理由は未だにわからないし、細かい内容は覚えていない。

「そんなに面白かった?」

 カフカのことは隣のクラスの女子、ってぐらいの認識でよく知らなかった。照れながら尋ねると、笑顔を浮かべて、大きく頷いた。

「ええ、蟹工船は暗い話だから嫌いだったんだけど、香川さんの小説を読んで、好きになったわ」

 赤い表紙の文庫を彼女は鞄から取り出しにこにこしながら私に見せた。残念ながら、私はソレをちゃんと読んだことは無かった。授業で習って名前だけ知っていたが、パロディにしたのはタイトルが面白かったからだ。プロレタリア文学がなんなのか、共産主義の意味すらまともに理解していない中学生の駄文だ。

 不純な読書遍歴を悟られるのが怖くて私はその場を誤魔化すように彼女に、

「そうだ、望月さんも文芸部はいりなよ」

 と提案した。

「申し出は有り難いんだけど、私、家が厳しくて、あまり部活に参加できないのよ」

 残念そうにカフカは答えた。

「ああ、それなら大丈夫だよ。うちの部活は緩いから、参加は強制じゃないの」

 部室すらない弱小文化部であり、活動場所は図書室の自習スペースで、ほとんどが幽霊部員だった。文集だって、わら半紙をホッチキスで止めただけの冊子を漫研に委託しただけのものであり、だからそれを彼女が持っていたのが意外でしょうがなかった。

「そう、……それなら入ろうかな」

 入部届けにサインをしてくれたが、それから彼女が部活動に参加した回数は両手の指に足りないくらいだった。



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