[76]パーティーにお呼ばれ!?
その日の夕食は久しぶりに父さんと一緒だった。
ここしばらく残業続きだった父さんは、帰って来るなり『ようやく一仕事終わったぜ!』と大きな声で宣言すると居間のソファにどっかと座り、鼻息交じりで仕事の自慢話を始めた。おまけに『母さん今日も綺麗だ』とか『旨そうな匂いだ。母さんの料理は宇宙一だぜ』なんて、母さんに向かって歯が浮く様なお世辞を繰り出す始末。
食事中も始終機嫌が良かった父さん。あまりお酒に強く無いくせに、がぶがぶと食後のビールをあおり出した。そんな一家の大黒柱にアヤメが畏まる。
「国王陛下! ご機嫌麗しゅう。いやあ、名誉なことです!」
「そう思うかアヤメちゃん。嬉しいねぇ」
「勿論です! 国王陛下の御威光が世に知らしめられたこと、これ即ち、我が王国騎士団、ひいては王国そのものにとっての誉でもありますから! いやあ、めでたいです!」
「そこまで言われると、ちいとばかり照れるのだが……」
「いえいえ、この偉業、万の美辞麗句で讃えても讃え切れないであります!」
「お、おう……」
「陛下がどのようなお仕事を成し遂げたのかまでは、良くは存じていないのですが!」
このやり取り、既におちょくりの領域にまで昇華されているような気がするのはボクだけだろうか。
少なくとも、ヨレヨレのワイシャツを着崩したオッサンと、しま○ら特売¥1,980のルームウェアを纏う少女が、ちょっとばかりくたびれた建売住宅のダイニングで交わすべき内容の会話ではないという気がしないでも無い。
しかし、そんなことを気にする二人では無かった。父さんの顔はアルコールの副作用で既に真っ赤。頬が火照っていくにつれ、このオッサンの機嫌も良くなっていくのが手に取るようによく分かる。
「まあとにかく、これでしばらくは早く帰れそうだ! これで可愛いミヤコやアヤメちゃんと一緒に飯も食えるって訳よ!」
「あ、肩をお揉みしましょう! ここしばらくお疲れのご様子で、僭越ながら心配させて頂いていたところなのです!」
「がはははっ、アヤメちゃんはいい子だな!」
「おおおっ! 身に余るお言葉、謹んで承ります!」
アヤメは父さんのこと国王陛下とか王様と呼ぶけれど、我が果無家の大黒柱である父さんの仕事は玉座にふんぞり返ることでも、大臣が持ってくる政務を粛々と執り行うことでも無い――当然のことながら。
この人生行き当たりばったりをモットーにしているオッサンが生業にしているのは、小さな設計事務所で建物のデザインをするという、建築関連のとても慎ましいお仕事だ。
だけどアヤメの肩揉みとボクの晩酌で上機嫌の父さんは、彫の深い赤ら顔をますます赤くして、ダイニング中に響く声で母さんに語りかけた。
「そうだ、あの話ミヤコにしたか、かあさん」
「何の話?」
「ほら、パーティーの件よ」
「ああ、あれ? いえ。あなたのいる時にと思って、していないわ?」
洗い物を中断した母さんは、ハンドタオルで手を吹きながらキッチンから出てきた。
「えっと……何の話?」
「おう、実はな。今度、地元有力者の主催でパーティーがあるのよ」
「え?」
ひょっとしてそれって――まさか。
「津島さんのお宅の?」
「何だ、知ってるじゃねえかミヤコ」
「うん……で、それがどうしたの?」
「それがよ、俺が招待されちまったのよ。どうよ、すげえだろ?」
「何だってまた?」
ボクの素朴な質問に答えたのは、父さんでは無くソファの横に座った母さんだった。
「おとうさん、今度郊外にできるイベントホールの設計をしたって知っているわよね?」
「ああ、もちろん」
「それでね? その文化事業を進めていたのが津島財団なのよ。それで津島会長とのコネができて、お呼ばれしたらしいの」
「王様! すごいです!」
「ヨイショすんなよ、アヤメちゃん。でよ、すげえのよ。そのパーティー、市長に県知事にこの辺りの実業家に、名の通った顔ぶれが勢ぞろいって訳でな」
「そうらしいね」
「はい! 学校のお友達からお聞きしました!」
「おう。でな、これを足掛かりに人脈を作って、あわよくば王国とこっちの世界とのパイプをつないで行こうって思っててな」
「は、はあ……」
「がははっ! 行く行くはこっちの世界と国交樹立って訳よ!」
「おおおっ! 王様凄いです! 我が王国に栄光あれ!!」
おいおい、話が大き過ぎない? まだビールに口を付けたばかりで、酔っ払いの妄言多謝にはまだ早いんじゃないの?
そもそも、この人達の話す未だかつて誰も見たことの無い王国が仮に存在したとして、実体の明らかではない、その架空の王国と国交を樹立しようなんて酔狂な国家なんてあるはずないでしょ?
しかしこの酔っ払いの話は終わらない。
「でよ、ミヤコも一緒に出てもらうってことで。ま、よろしく頼むぜ」
「えええっ!? どういうこと」
「ミヤコももうすぐ16だしな。戴冠式の前に、こういった雰囲気に場馴れしとかないとって訳よ」
「戴冠式!?」
そんな話、聞いてないぞ!
「そうね。ミヤコもそろそろ格式のあるパーティーに馴れておかないとね。肩慣らしには丁度いいと思うわよ」
「はい? 何言ってるの母さん!」
「だってほら、王宮での儀式とは違って所詮は地域の有力者の宴よ? 格式にしたって出席者の数にしたって大したことないから。楽勝楽勝」
「おおおっ! 姫様ついに社交界デビューですかぁッ!?」
「ああ。でも悪いな、アヤメちゃん」
「はあ、何故でしょう?」
「アヤメちゃんが来る前に決まった話なんでな、アヤメちゃんの招待は無しなんだ。留守番しててくれよ?」
「いえいえ、私如きがご招待なんて大それたこと。姫様の御側に付いて護衛させて頂くことができないのは残念ですが、止む無しです!」
「おい母さん、招待状を持ってきてくれねぇか?」
「はいはい……」
勝手に話が進んでいる……どういうことよ、これ。
父さんは、母さんからえらく御大層な装飾が施された封筒を受け取ると、鷹揚にその中を確かめる。と、父さんの赤ら顔がまるで絵を丸めたかのようにくしゃあ、と捩れた。
「あちゃぁ……」
例えてみるなら、獅子唐を抓んでいる時に、とびっきり辛い奴を引き当ててしまったかのような、そんなしかめっ面。痛恨の面持ちを取りながら、ぴしゃりと額を叩いた父さんに、母さんが尋ねる。
「どうしたのお父さん?」
「やっちまったぜ……ミヤコのこと、“美彌子”じゃなく“都”の方で登録しちまったみたいだ。そっち名義で招待が来ちまってる」
「あらまぁ。でも仕方がないわね、封印を解除する前の話だったから……」
「そうだよなぁ……うっかりしていた。仕方ねえ……そっちの姿でパーティに参加か。ミヤコ、ちゃんと男体化の時間、チャージしとけよ?」
「あら、残念。新しいドレスが出来たばっかりなのに……王国の仕立屋に連絡して、ミヤコ用のタキシードを超特急で用意させないと」
二人の言葉に翻弄されるばかりで、まったく話の流れに全く乗れていない。ボクが俎上に乗せられている張本人だというのに!
頭を抱えるボクに肩を寄せ、アヤメはそっと耳打ちする。
「いやあ、姫様。偶然といいますか、上手いこと事が運んじゃいましたね?」
「そう……なのかなぁ?」
「おう、どうしたんだ二人で? 秘め事か? いいねぇ、若いねぇ」
「いえいえ、そういう訳では……」
「本当に仲良しよね、ミヤコとアヤメちゃん」
「おいおい、まさか恋仲ってか? がはは!」
「あら、アヤメちゃんカワイイ。真っ赤になっちゃって」
どうやら、物凄く嫌な予感がしているのはボクだけみたいだった。
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津島家主催の祝賀パーティー。晩餐会として開催された会場は津島財団が管理している多目的施設で、広大な敷地の片隅にあるその洋館は迎賓館として使っているものらしい。その夜、タクシーを降りたボクと両親は黒スーツの男に案内され、白亜の建物の中へと通された。
招待状は形式的なものみたいで基本的に顔パス。これだけ格式の高い晩餐会となると、いちいち招待状を確認するということはやらないみたい。
一般人もお呼ばれする、いわゆる立食パーティーとは違い、招待されるメンバーは限られているので、その必要が無いのだとか。ボクら一家は新参者なので、この黒ずくめの男は今回のパーティーに合わせ、必死になって両親とボクの顔を頭に叩き込んだことだろう
その父さんと母さんは夜会服に身を包み、腕を組んで歩いている。ドレスコードに見合った漆黒に限りなく近い濃紺の燕尾服と、臙脂色のフォーマルなドレス、なかなか様になっているのは気のせいか。
ボクはこの日に合わせたタキシード。こんなの着るのは初めてで、似合っているのかどうかなんてまるで分からない。たぶん傍から見れば、まるで着慣れていないのが丸分かりなのだろう。会場に入る前、母さんは父さんの蝶ネクタイを直し、父さんはそのごつい手でボクの襟をシャンと直した。
会場に入った瞬間、シャンデリアの灯す煌びやかな照明が目を貫き、華やかな姿の男女が楽しげに談笑する姿が目に飛び込んだ。
見るもの全てが目新しくてきょろきょろとあたりを見回すと、母さんがそんなボクの太ももをさり気なく叩き注意する。慌てて上座へと目を戻すと、ちょうど主役が登場したところだった。
大きな拍手と共に現れたパーティーの主催者。津島さんは当主でありホストでもあるお爺さんの左に付き従い、優雅な足取りでホスト席へと付いた。そのドレス姿は彼女の気怠そうで、だけど一色一投足までが計算されたかのような優美さ際立たせ、うら若き淑女の風格に満ちている。その様相は、文句無しのお嬢様っぷりだった。
ゲストは皆、その美しさに溜息。まるで、整然としたお花畑の中に、一際目立つ大輪の花が咲き誇るかの如く。
津島さんのドレスははっと息を飲むような山吹色。大きく開いた胸のネックレスにあしらわれたダイヤモンドが、彼女が動くたびにキラキラと輝く。ボクの目はしばしその姿に釘付けとなった。




