リラックスタイム(閃きは浴室で)
捜査を始めてから二日目。あれやこれやと歩き回ってはいるのだけど、盗撮魔はまだ見つかっていない。見つかるどころか、何の手がかりも掴めていなかった。
「一体、どうなっているのかなぁ」
「そうですねぇ姫様……。隠しカメラも無ければ、不審人物の情報もまるで無いですねぇ」
「やっぱり誰かがスマホでこっそり撮ってるのかな。どう思う、アヤメ?」
「どうでしょう……。ですが、そのような雰囲気の画像では無いですよねぇ――」
夕食を終えたボクとアヤメは、そんな今日一日の徒労と虚しさをバスルームで洗い流していた。ボクの耳元にそっと語りかけるアヤメの穏やかな澄んだ声が、さして広く無いこの空間で反響し、どことなく艶やかに聞こえた。
「――あ、姫様。お背中流しますね」
「う、うん……」
ボクの後ろにしゃがんで背中を洗ってくれていたアヤメはそう言うと、シャワーを手にお湯を出し始めた。少し調子の悪い給湯器の温度が安定するのを待ってから、彼女はちょうど良い加減のお湯を掛け始めた。
アヤメはボクと入浴することに、何故か強いこだわりを持っているようだった。彼女曰く、王女殿下の湯浴みを世話するのは、お付きの者の大切な役目とのことなのだけど――。ボクは鏡に映るアヤメのことをチラチラと見ながら、やっぱり恥ずかしくて下を向いてしまって――。そして呟くように聞いた。
「でも君は近衛兵だよね?」
唐突な質問のはずだ。でも彼女はボクの問いかけの意味をきちんと分かってくれた。
「はい。姫様の忠実な近衛です。ですが教室で前にも言った通り、姫様のためなら、メイド役でも侍女役でも乳母役でも、何だってこなしてしまいますよ?」
その位には、二人の関係は近付いたということなのだろうか。
ボクはずっとアヤメと風呂に入ることを拒んでいた。はっきり言って普通のことじゃないから。でも彼女の熱意にほだされる感じで……いや、それは無い。だけど、いつの間にか二人きりの湯浴みは日常になっていた。
「そりゃ、貴族の館にある大浴場で、メイドがお嬢様のお世話をするってのは、創作物の中でありがちなシチュエーションだけどさ」
「そうですよ。ましてや姫様は貴族どころか、一国の王女殿下なのですから!」
「その王女殿下が、築二十年の少しくたびれた戸建住宅に住んでいる時点で、そんなテンプレとはカスリもしないような気もするけど?」
「気のせいです! というか、仕方が無いです。何しろ我が王国は、この世界の外貨をまるで持っていないのですから。王様と王妃殿下の収入が生命線なのです!」
つまり父さんの安月給と母さんのパート代。既にその時点であり得ない。しかも、この家のローンもようやく払い終えたという、どう見ても一般庶民の我が果無家。
「ボクの中で常識がガラガラと崩れ去っているよ……現在進行中で」
「世界は常に変革していくものです、姫様」
「あ。今、ちょっとカッコいいことを言ったとか思わなかった?」
「バレました?」
「というか、自分の子供が女の子と入浴するのを止めないどころか、むしろそれをプッシュする母親が何処にいるって言うんだよ」
「ですから王室ではそれが常識なのですって。あ、姫様。今度は髪を洗いますね」
「ありがとう。というか頭くらい自分で洗うよ」
「駄目です。姫様のは手抜き過ぎなのですから! せっかくの綺麗な髪が勿体ないです。それにしても羨ましいです……姫様の金髪。ワタシもこんな綺麗だったらなぁ……」
ボクからするとアヤメのシットリとした黒髪が羨ましい。時々、アヤメの綺麗に切り揃えられた艶やかな黒髪を、この指で梳いてみたい誘惑に駆られるんだ。
「手抜きって言うけどさ、シャンプーとかブラッシングとか、手間がかかり過ぎるんだけど。そこまでやらなきゃ駄目なのかよ」
「モチです」
「てかさ? かなり伸びて鬱陶しくなって来たんだけど、いい加減、元の長さにまでカットしちゃ駄目?」
「駄目です!」
アヤメはぴしゃりと言うと、ボクの頭でシャンプーを盛大に泡立たせ始めた。彼女の細い指は、髪の毛の先まで念入りに洗い始める。時々、彼女の身体が背中に当たる。その度にボクは体を固くした。こんなの、ちっとも慣れやしない。
「それじゃ、今度はボクが君を洗う番だね」
すっきりと洗い流された少し伸びた髪の毛が、コンディショナーの甘い香りを放つのを感じながら、ボクはアヤメにそう言った。彼女は顔を真っ赤にして、プルプルと首を振った。
「いえ、ですからそれは畏れ多いですって!」
「何を言ってるんだよ。ほら、場所変わって。そっち向いて! 目のやり場に困る」
「あああっ、姫様!」
無理矢理アヤメを座らせて、ボクは彼女の背中を洗い始めた。彼女はボク以上に体を固くして、透き通るような白い背中は、恥ずかしそうな顔と同じように紅潮していた。
束の間、このまま背中と腕以外のところを洗ってやろうか? とか、くすぐってやろうか、とかエッチな衝動が起きたけど、ボクはそれを頭の片隅に押し込んだ。アヤメの嫌がることなんてやりたくない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ボクとアヤメは重なるようにして湯船につかっていた。二人で入るには狭すぎる。ボクはずっと天井を見ている。アヤメは俯いたままだ。ユニットバスの天井から、水滴がぴちゃりと滴る。
「――今度の事件、一体どういうことなのだろう?」
ボクはもう一度、アヤメに聞いた。
少し間が空いた。ボクの言葉をアヤメは聞いていないのだろうかと思い始めた時、彼女は口を開いた。
「ひょっとしたら、発想の転換が必要なのかもしれません」
「え?」
「盗撮魔とか、隠しカメラとか、ワタシ達はそんな概念に囚われ過ぎているのかも……」
「……違うってこと?」
「分かりません……でも、もう一度出発点に立ち帰って、考えてもいいのかもしれない……そんな風に、思うのです」
この言葉を聞いて、素直にアヤメのこと、凄いなと思った。
今のアヤメは、学校でのおちゃらけた彼女とは別人だった。物静かで真面目で素直で、呆れるほどシャイな女の子。
――そして、これが本当のアヤメ。ボクと二人きりの時、半分くらいはこんな感じだった。
なら、どうしていつもテンション高めで、素っ頓狂なことばかり言っているの? そのことが不思議だった。でも最近、その理由が分かるような気がして来た。
たった一人、故郷から遠く離れてこの世界にやってきた少女。何もかもが自分の世界とは違う異世界。心細くない訳は無い。しかも、ボク以外誰にも言えない重圧を彼女は担っていた。
そんな自分を誤魔化すために、アヤメは違う自分を装っている。きっと無理をしているんだ。
ボクはそんな彼女が愛おしかった。だから、こんな風に二人でいる時くらいは、彼女のことを尊重しようと思う。結局ボクが折れて、この湯浴みの時間を持つようになったのも、これが彼女のささやかな心の糧になると思ったから。
――無論、本音は女の子の裸を見たいとか、アヤメがボクのことを慕っているだけで、どうやら襲いかかってはこないらしいと分かったからとか、そんな所にあるのだけど。
「――うーん、こっちの世界に来てから随分、なまってしまったようです」
彼女は自分の二の腕をぷにぷにと摘まみながら呟いた。
「ひょっとして、戦闘がしたくてうずうずしているとか?」
「いえいえ、そんな戦闘狂ではないですって……って、まさか姫様、ワタシのことをそんな風に思ったりして……ます?」
ボクはすこし意地悪な笑顔を見せて彼女を少し不安にさせてから言った。
「そんな訳は無いよ。君ほど穏やかで優しい人間はいないって思っている。でしょ、アヤメ?」
タイトルについて(2)
前々回の続き。死屍累々と横たわる没タイトルの数々。
「僕の知らないこの裏返った世界で、僕は僕の知らない君の肩を抱く」
ラノベ風に。まるで内容と一致せず。これもボツ。
「異世界から来た君だけが僕の頼り人」
無意味に異世界という言葉を入れてみました。タイトル詐欺?ボツです。
「王女殿下は課金魔法で無双する!(なにしろ王族ですから)」
なろう風味を加えてみました…ん、いいかも。この路線で行こうかな?と調子に乗り…
「魔法の使えない王女殿下と彼女の近衛(大丈夫、課金魔法で無双しますので!)」
これはちょっと…狙い過ぎ。冷静になって考え直しましょうか(以後延々とループ)。
そんな変遷を経て、結局は無難な今のタイトルに落ち着いた次第です。ですが今のもかなり被り気味なタイトルというのも事実でして…悩ましいところです。




