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青龍国物語  作者: 瑞佳
第一部 「龍王の伴侶」
20/38

龍王の出奔 ―序―

 ――王都



 龍王と丞相の不仲が巷でもささやかれるようになった頃。


 最近ようやくユンロンの機嫌が持ち直したため、王宮の雰囲気もかなり緩んできた。しかし龍王ルェイロンに対しては相変わらずキツい態度だった。


 顔を合わせればチクチク言葉で刺して来るので、龍王もいい加減うんざりし机に次々と積み重なって行く政務にも嫌気がさして来くる。本来厭世的な龍王は全てを放棄し久しぶりに夜の王宮からを冥道を使い抜け出してしまった。そして、あても無く空を彷徨い辿りついた場所と言えば、嘗て生まれ育った結界の家がある妖獣の森だった。


 龍王は無表情に雨が降りしきる空中に留まっていた。黒の衣装に身を包み、雨に当りながら暗闇の中に溶け込むように妖獣の森を見下ろす。


 「暫し雨宿りでもするか……」


 ルェイロンは冷たい雨に打たれながら、この忌々しい場所にしか自分が帰るべき場所が無い事に何時もながら寒心に堪えない。だが広大な青龍国で他に行く当てもなかった。


 ゆっくりと結界の傍に降り立つ。

 玉座について二百五十年以上が過ぎても自分の居場所を見つけれないでいる自分にすら無感動で冷めていた。


 (端からそん場所など無いのだ)


 龍王は、この国を治める事に、それ程熱意も無く、丞相のユンロンや側近の意見を聞き唯々諾々と政治を執り行い年月だけが流れていた。そして、このまま我が身が朽ちるのを静かに待てば良いと思っていたのだ。


 だが龍王に一つだけ問題が起こる。


 前王エイシャンロンの悪政で荒れ果てた国土を立て直し、近年になりやっと人間の暮らしも活気を戻し、国が安定してきたかと思いた。そこに龍王に降りかかったの伴侶問題。それには力ある龍族が産まれないのも要因にある。


 そして龍王は、次々と寝所に送られてくる女にはうんざりし、その中には男まで混ざっていたのには閉口してしまう。その場で切り捨てようかと考えたが、さすがの龍王もそこまで出来ず、無言で廊下に投げ捨てるだけに留めた。


 一層の事、龍王の座などユンロンに放り出したいところだが、それには天帝が許さなかった。結局は次期龍王が産み出されるのを待つしかない。だが自分の血を引く者など身の毛もよだつ龍王にとって、ユンロンかフェンロン辺りの血統からと考えていた。だが周囲はそれを許そうとせず、特にユンロンが煩かった。


 『陛下、いい加減に伴侶をお迎えください。それがお嫌なら後宮に最低十人の姫を入内させます』

 『要らぬ』

 『これは決定事項です。後宮のファンニュロン様にも了承を得ております』

 『余が後宮に足を踏み入れねばよいだけ。それより、そなたが子を作った方が早いのではないか』

 『怠慢な陛下と違い私はそれなりの努力をしております』

 『ならば婚姻を結べ』

 『私は妻を迎えるとなると色々煩わしい問題が発生し仕事が滞ります。そもそも婚姻を結んだとしても子が出来るか怪しいもの。ですが陛下には天帝様より授かりし契約の指環があるのですから使わない手は無いでしょ』


 何も言い返す気力が失せた龍王。だがユンロンの一言で、ならば契約の指環を始末すればと思い立ってしまったのだ。

 神力の強い龍族ほど子を成し難く、王ともなれば天帝が授ける指環の補助を受けて、生涯でも一人産まれるのが現状。


 (あの指環がある限り、自分は種馬の如く扱われるのかと思うかとゾッとする)


 それで龍王は契約の指環を誰も手出しのできない異界の海に捨てたのだ。


 (それなのに何故、余の意思と関係無く契約で結ばれた伴侶が異界から流れ着くるのだ? 裏に天帝の影が見えるのは余の妄想か……)


 陶州の州知事から密書が届き、契約の指環らしきものを嵌めた人間が流れ着いたと聞いた時は、眉唾だと思った龍王。そして指環の真偽の為にユンロンを差し向けたのは、龍王の失策でしか無かった。


 (まさか本物とは誰が思うだろうか……偽物と発覚した時、指環を処分した事をユンロンに暴露する予定だった。――今後一切、伴侶問題も世継ぎも期待できないのを示すつもりが裏目に出てしまうとは誤算だ)


 悔やんだが遅く、黙って指環の契約者を受けいる事だけは阻止しなければと自ら動いた。

 後宮に入れられる前に先手をうち隠したはいいが、あれ以来ユンロンの風当たりが更に強くなり、政務が日々圧迫し流石の龍王も疲弊して来た。


 そして終わりの見えない激務に、いい加減嫌気がさして逃げて来たのだった。 それはユンロンに対するあてつけの意味もあった。



 ――そしてやって来た結界。

 

 結界内に入ろうとした瞬間、家の窓から何かが飛び出して来た時は、てっきり野生の獣でも家に入り込んでいたのかと思った龍王だったが、夜目が利くので姿を現したのが、異界から流れ着いた伴侶だと気が付く。


 龍王は、この場所に名すら忘れた自分の伴侶を住まわしているのを、すっかり失念していたのだった。


 「あの者を忘れていた…」


 藍の取り乱し結界の壁で泣き崩れる姿を見た龍王は、気が触れているのかと僅かに心が痛んだ。しかしまさか声を掛ける訳にも行かず、雨に打たれながら暫らく様子を見る事にした。


 雨が降る中だと言うのに長い間その場に座り込んでいたが、漸く立ち上がった時は龍王はほっとした。だがその姿は全身ずぶ濡れで泥で汚れた寝間着が体に貼り付き無残な姿だ。顔色も蒼白でガタガタと体を小刻みに震わせ今にも倒れそうに見えた。


 「大丈夫なのか……」


 だが龍王の心配を他所に藍は露天風呂に弱々しい足取りで向う。そして寝間着を脱ぎだしてしまう。龍王は思わずとして藍の裸身を目にしてしまった。


 まるで己を誘っているかのように惜しみなく白い肌を晒していく藍の姿に釘付けになってしまう。以前は無かった屋根に取り付けられた灯りに浮かぶ裸身に我知らず魅入ってしまってていた。


 遠くからでも分かる傷一つない滑らかな肌、適度についた筋肉はしなやかで、成人の男の体と言うよりは少年に近く素直に美しいと感じた。


 雨音がする中で、ゆっくりと温泉につかるり青白かった頬が、徐々に赤みがさして来る。


 以前と違い奴隷のように短く刈られた髪は肩を過ぎ闇に溶け込むように黒く、瞳の色も黒かったのだと今さらながらに気が付く。初めて会った時は、涙と鼻水でとても見れたものでは無かった藍の顔を龍王は初めて意識した。始めて会った時は、例え藍がどれ程美しかったとして、人の美醜に無関心な龍王の記憶に残らなかっただろう。


 だが龍王は、藍が泣きながら自分を責め、ユンロンを優しいと戯けた事を言っていた事が酷く印象に残っていた。


 (アレほど優しいという言葉があれほど似合わない者はいない……)


 宮廷内でユンロンを例えるなら、凍てつく永久凍土だと言う者がいるほど、冷酷な人間だ。


 王位を継いで直ぐに粛清の為に龍王と共にユンロンは龍族の屍の山を幾つも作った。前王に与する龍族との遺恨を無くすため、十歳以上の親族と共に全て死刑台に送った。


 (ユンロンが人にやさしくする様子など想像も出来ないだけに、何処をどう取れば、優しいと言えるのか聞いてみたい)


 龍王にとってはユンロンは、丞相として辛辣で冷徹な面しか知らなかった。


 暗闇の中で湯につかる藍の顔は、何か考えているのか焦点の合わない目をしていたが、深く溜息を付く姿が悩ましげに映る。


 (なにを考えている?)


 もっとその表情の意味を知りたく思わず身を乗り出してしまった。その所為で茂みの葉に触れてしまいガサガサと音を立ててしまう。


 その音に驚いた藍は顔色を変えて温泉から飛び出ると、そのまま一糸まとわず走り家の中に入ってしまった。龍王は雨が降りしきる中に一人取り残され立ち尽くし自分の迂闊さを呪った。そしてそんな自分に戸惑う。


 (余も何を考えているのだ……)


 普段の龍王なら藍がいると知った時点で結界から立ち去っていた筈だ。


 (あの者があまりに哀れな様子が気に掛かっただけ)


 龍王はそう結論付けると、このまま雨に打たれ続ける訳にもいかず、まして王宮に戻る訳にも行かない。


 (最後にもう少し)


 一応は自分の命を別け合う伴侶だと思い龍王は結界の中に足を踏み入れる事にした。


 一緒に住まわせているオウロンに気付かれぬように、自分が発する龍気を消し静かに結界内に入る。結界内は最後に訪れた時に比べ随分様変わりしていた。荒れ果てた庭には畑が作られ木も切り出され敷地が随分拡げられているのに気が付く。そこには人が生活する気配が漂い、自分には居ずらい空間になってしまっていた。


 生まれ育った場所だが、まるで見知らぬ家のようで中に入るのを躊躇ってしまい、龍王は暫らくどうしたものかと途方に暮れていた。 


 「余は何をしているのだ……」


 自分の無意味な行動を嗜め、雨に何時までも打たれている訳にも行かず、立ち去ろうと思った。しかし一か所だけ窓が開いているのに気が付いてしまう。龍王は中を覗くと寝台で藍がもう寝ている。


 龍王は入る心算などないのに無意識に体が動き、窓から部屋に入り込んでしまった。


 先程から引き返そうとするのに、何故か反対の行動をしてしまう。そんな自分に戸惑いながらも、打ち捨てた伴侶を追ってしまっていた。


 部屋にずぶ濡れで入ってしまった龍王は、長い髪や服から滴り落ちる水が床に溜まり、辺りを水浸しにしてしまっている。


 このままと言う訳にも行かず、神力を動かせばオウロンに気付かれてしまうので水の精霊を動かし水を全て外に返すと、服が乾き軽くなり不快感も無くなる。全身を乾かした龍王は静かに、かつて自分が寝ていた寝台に近付く。そこには、あどけなく寝る少年の姿が目に映っていた。


 まだ湿った髪は絹のようにつややかで、長いまつ毛も黒い絹糸のように瞼を縁どっていた。肌もきめ細やかで幼子のような無垢さ。先程の雨の中で気が狂ったように泣いていた人間とは思えない安らかな寝息を立て寝ている。


 (考えてみれば、この者には何の罪も無く、偶然に指環を手にしただけで、この地に流された犠牲者でしかないのだな。この結界内に生涯閉じ込める余は、この者にとって鬼・畜生にも劣る存在だろう)


 自分の行動を顧みれば、伴侶に随分と非道な事を強いているのに初めて気が付く。だからと言って王妃として後宮に迎えれば数多くの煩わしい問題が発生する。特にあの女とユンロンが通えと益々煩くなるのが目に見えていた。


 龍王は最初この者が現れた時は忌々しい存在として受け入れる事は出来なかったが、今では、この伴侶に感謝しているくらい。何しろ寿命が千年以上は縮まったのだからだった。


 (自分で命を絶つ事すら不可能なこの体と天帝を何度呪った事か)


 藍の出現は龍王に思わぬ福音をもたらしたのだ。

 あの男を我が手で打ち滅ぼした時に自分の存在意義は消え失せていたが、無理やり王位に就かされて無意味に生かされている意識の強い龍王にとって、命が半分に減った事は幸いだった。


 目の前にある無垢な寝顔に龍王は、手を添えるとそっと頬を撫でる。


 「呪うなら余と指環を呪うがいい」


 思わず触れてしまった頬は軟らかく温かい。これまで人の温もりなど不快でしかなく、女を抱く時もなるべく触れないようにしていた。だが眠る伴侶の頬は、このままズッと触れていたいと思う自分に眉をひそめる。


 「そなたは何故現れた……」


 目の前の無力な人間であるはずの伴侶の存在が急に恐ろしく感じ始める。

 そして振り切るように手を離す。


 「長居は無用か」


 何時までも此処に留まる訳にも行かず、龍王は暫らく人間にでもなり済まし、放浪でもしようかと思い立つ。


 窓から出ようとするが、もう一度あの軟らかな肌に触れたくなる思いを切り捨て、雨が降る外に飛び降りる。


 そして龍王は結界の壁など存在しないように通り抜け、凶悪な妖獣が住む森深くに消えて行くのだった。








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