青木医院にて
「熱っぽいとか、体調悪いとか、ないですか?」
青木医院の受付で中から声をかけられ、私は、はい、と答えた。
「マイナンバーカード、通してください」
父を振り返り、
「お父さん、マイナンバーカード、出して」
私の声に答えるように、父はたすきにかけたカバンから財布を出して探し始めた。
「そこ、ちゃうやん。カードケースに入れてたやろ」
再び、私の声に答えるように、中途半端に広げた財布の中身を1つ1つ直して再びカバンに入れ、カードケースを取り出した。
所要時間数分、その間、私は黙って隣で待つ。
カードケースから、パンパンに入ったカード達を取り出しにかかる父。
「出さなくても、見えてるやん。一番手前にあるの、マイナンバーカードやろ」
手を止め、手前のポケットにささったカードを抜き取った父は、ナイロンの袋からカードを取り出し、顔認証のカードリーダーにセットするが、向きが逆だった。
「お父さん、向き、ちゃうで」
取り出して向きをかえてカードリーダーの前に立ったが、キャップ帽をかぶり、マスクをした状態なのでエラーになった。
(なんで、毎度、毎度、同じこと、するんやろ)
少しうんざりしながら、
「お父さん、帽子とマスク、取って」
言うと父は、帽子とマスクを取った。
所要時間数分、再び、隣で待った・・・。
恒例のやり取りが終わった後、待合で座っていると、患者は殆どが高齢者で、その中で父と同じような格好の男性がチラホラと目につく。
キャップ帽に、チェックの長シャツに、ポケット多めのベストに、ズボン、という格好。
どこかに高齢者ブランドとして売ってるの?と思うほど、似た格好をしている。
「田村さーん、どうぞ、入ってください」
対岸に座っていた高齢の女性が、付き添いの女性の手につかまりながらゆっくりと立ち上がった。
そして、まるでフォークダンスをするかのように向かい合い、付き添いの女性の手を頼りに、そろそろと摺り足で、診察室へと入っていった。
田村と呼ばれた、その女性は長袖シャツにトラックパンツという格好をしていた。
シャツは後ろ側半分だけトラックパンツに入っていて、そのパンツもよれよれといった状態で、体も足も見るからに不自由だったから、排泄介助が必要なことは容易に想像できた。
(大変だなぁ・・・)
明日は我が身、そんな気持ちで見送った。
とはいえ、幸か不幸か、父は90歳になろうかというのに、今もかくしゃくと歩けている。
多分、つい最近まで、介護予防のフィットネスに通っていたからだと思う。
父は、仕事を辞めてから、日がな一日、どころか、7、8年ほどずっと家にいっぱなしで、人に会うのは私か姉かぐらいで、外出は買い物のみという生活を続けていた。
持病の糖尿病も一進一退状態で、徐々に物忘れも目立ってきて、
『階段でつまずいた!』
なんて聞かされたら、高齢者の骨折は致命的だから、何か対策はないかと、ケアマネージャーの南野さんに相談した。
すると、デイサービスに行くのはどうかと、提案された。
でも父は、
『そんな、ジジ、ババ、の集まるとこなんか、いきたないわ』
とのたまった。
お父さんも十分ジジイじゃん、と思っていると、
「よく、テレビで見るようなデイサービスばかりじゃないですよ。最近のご高齢の方は、お元気ですから」
と南野さんは、一見スポーツジムのようなデイサービスを紹介してくれた。
施設内には、トレーニングマシーンが置かれていて、スリングセラピースペースもあり、談話室、休憩室もあって、デイサービスとは思えないようなところだった。
父もすぐに気に入り、通い始めたのだけれど、1ヶ月ほど前くらいから、体調が悪いだの具合が悪いだのと言って休み休みとなり、つい最近やめてしまった。
私の勝手な想像だけど、父は高齢になってきて、ついていけなくなってきたんじゃないか、と思う。
でも、それを認めたくなくて、それであーだこーだと、その場しのぎの言い訳を並べ立てていたんじゃなかろうか、と思っている。
行きたくないなら行きたくない、とハッキリ言ってくれれば、すぐに断るし、それで済んだことなのに。
父は昔の人、なかなか本当の事を言ってくれない。
いわゆる、察して欲しい、というか、察するべき、とでも考えているのかもしれない。
だけど、んなもの、出来るわけがない。
デイサービスもタダではないのだ、当日休むとキャンセル料が加算されるし、そこにお金が発生しているっていうのに。
仕事中にデイサービスから父の報告が携帯に入るし、ケアマネージャーの南野さんからは、
『体調が悪いとデイサービスから連絡があったので、見に行ってきました』
とか
『あまり頻繁なら、精密検査受けるか、されますか?』
とか言われる。
当の本人に電話したら、
『もう、大丈夫、大丈夫。これからな、買い物行こうと思って、用意してるんや』
と言ってきて、
『体調悪くて、デイ、休んだんとちゃうの?』
と私が言うと、
『そうや。家におるわ』
と答える始末。
もう、こっちもイヤになってきて、
『しばらく、お休みしようか?』
と父に言うと、
『そうして』
と即答された。
「吉田さん、吉田 博さん、中へどうぞ、入ってください」
名前を呼ばれ、父の後に続く。
室内に入ると、患者用の椅子の横にパイプ椅子が置かれている。
前の病院から転院して、この医院に通うようになってから数回とはいえ、毎回私が同行しているから、周知されているんだな、と思った。
「どうですか? お加減は」
父よりも若いが、十分高齢な白髪混じりの白衣を着た小柄な先生が、父に声をかけた。
「お陰様で、元気です」
「食事はどうですか? 三度、三度、きちんと食べれてますか?」
「はい、食べてます」
「糖尿の数値は、んー、ちょっとあがってますねー。薬はきちんと飲んでますか?」
「はい、飲んでます」
ウソつくなー、と言いたいのを我慢した。
どうして、毎回、そんなに即答なん?と私は思う。
ダンナのナオくん曰く、
『条件反射みたいな定型文なんとちゃう?』
と言ってたけど、まさにそれ、だった。
先生が、
「どうですか?」
と父に一通り聞いてから、私に聞いてきた。
「食事は、自炊してますけど、1人なので、どうしても好きな物しか食べないみたいです」
「あ、自分で作られてる。買い物は、どうされているんですか?」
「自分で車に乗って、買いに行ってます」
「おぉ、買い物も1人で。車にも、乗っておられる」
パソコンを打ちながら、先生は驚いた。
それは、そうだろうと思う。
父は90になろうかという、かなりの高齢者。
それに、軽度とはいえ認知症なのだ。
「今年、免許の切り替えなんで、これを気に返納しようと思っているところです」
「そうですね。それがいいと思いますよ」
「やっぱり、返納するべきですかね」
急に父が口を開いた。
これまでも私は、何度となく免許返納について父に話をしたけれど、まったく聞く耳持たずだった。
『足がなくなったら、買い物はどうすんねん』
『水を汲みにいかれへんなったら、どないすんねん』
『大阪に、行かれへんなるやろ』
私が何を言っても、自分の不平不満ばかりで、一つ一つ改善する方法を考えよう、と言っても聞いてもらえなかった。
だから、ここでも先生に嚙みつくのかとドキッとした。
「そのほうがいいと思いますよ。普通に、運転している時は大丈夫でも、急に人が出てきたり、車と行き違ったり、咄嗟に判断することが難しくなってきますから。私もね、去年、返納しました」
「そうですかー」
先生の言葉に返す言葉がなかったのか、少しは自分も思うところがあったのか、それは分からないけど、それ以降、父が食い下がって何か言うことはなかった。
その後、糖尿の数値が芳しくないということで、インシュリン注射の話になった。
以前、父は、
『注射なんて、イヤやっ』
と断固拒否していたのに、何も言わずに座っていた。
「週一でも、打ってもらえれば、分けて飲んでた薬も1日1回にできるから、飲み忘れもなくなるだろうと思います。自分で無理なら、訪問看護を利用することもできますけど、どうしますか?」
自分で打つなんて、父が自分でするとは思えない。
また、その場しのぎの言い訳を言うか、呆けたフリでもしそうだ。
呆けたフリは、お父さんの真意は分からないけど、
『お父さん、ワザとしてるんちゃうやろか』
と言うナオくんの言葉からだけど、私もあながち間違っていないように感じる時がある。
「お願いできますか?」
「じゃぁ、指示書、出します。ケアプランセンターにも、連絡入れときます」
「はい、お願いします」
ありがとうございます、と頭を下げて診察室を出た。
暫く、待合で座っていると、
「吉田さん、今日のお薬なんだけど、訪看さん頼むなら、その間の分だけにしましょうか」
「はい」
「どうします? いつ決まりそうですか?」
さっきの今で分かるはずもない。
「これから、ケアマネさんと相談しますけど、とりあえず、1週間でお願いします」
「わかりました」
対応が早い。
転院した理由の一つが、これだ。
以前、父が30年来通っていた総合病院は、大きな病院あるあるで、往々にして時間がかかっていた。
朝一番に受付して帰るのは、毎回、昼を優に回る状態だった。
あんまり時間がかかり過ぎて、父が気分を悪くしたこともあり、懇意にしていた担当医が変わったことも引き金となって、転院することにした。
でも、新しい先生は少し気難しい感じの方で、ケアマネージャーの南野さんとも少々折り合いが悪く、ケアマネージャー経由だけでは紹介状を書いてもらえなかった。
先生が直接、父の家族である私に会って決める、と言われたので、いろいろ考えた結果、
『免許を返納して通院に車を使えなくなったので、近くの青木医院へ転院したいです。それと、青木医院は、認知症も診てもらえると聞きましたので、出来ましたら、お願いします』
と私は訴えた。
話の内容は事実だし、ウソではないけれど、なかなか紹介状を書いてもらえない、とのことだったので、もっと大仰なことを言うべきか、と思った。
でも、父があの歳で、自分で運転して通院していたとは、先生は思っていなかったようで、物凄く驚かれ、すぐに紹介状を書いてもらえた。
(帰ってから、南野さんに電話してみよう)
と思っていたら、携帯に南野さんからメッセージが入った。
早速、動いてもらえたんだ、と思って青木医院を出れば、
「なんか、食べにいこかー」
と父が呑気に、私に言った。




