磯山⑥ この毎日を
木曜日だった。
午後の停車場。
若い男はカウンター越しに、高橋へ尋ねた。
「高橋さん。」
「なんだ。」
「どうして、会社だったんですか。」
高橋はカップを持つ手を止めた。
「会社?」
「はい。」
「磯山さんは、どうして会社を作ろうと思ったんでしょう。」
高橋は少し考え、静かに首を振った。
「あいつはな。」
「会社を作りたかったわけじゃない。」
若い男は驚いた顔をする。
「え?」
「そうじゃない。」
高橋は窓の外へ目を向けた。
「あいつが守りたかったのは。」
「毎日だった。」
◇
その日も、四人は朝から走り回っていた。
積み込みを終え、配送へ向かい、荷物を届ける。
帰りには道端で世間話をして、会社へ戻れば誰かの積み下ろしを手伝う。
忙しい一日だった。
けれど、嫌だと思った日は一度もない。
夕方。
仕事を終えた四人は、いつもの場所で缶コーヒーを開けた。
「疲れた。」
高橋が肩を回す。
「今日も終わりましたね。」
磯山は笑っていた。
「毎日楽しそうだな。」
柴田が言う。
「楽しいですよ。」
「そんなにか。」
「はい。」
磯山は迷わず答えた。
「毎日違う道を走って。」
「違う人に会って。」
「帰ってきたら、みんながいて。」
缶コーヒーを眺めながら笑う。
「いい仕事ですよ。」
誰も否定しなかった。
それぞれ形は違っても、この仕事を好きだった。
しばらく沈黙が続く。
風が吹き抜け、並んだトラックのミラーが夕日に光る。
磯山がぽつりと口を開いた。
「このまま。」
三人が顔を向ける。
「ずっと続けばいいのにな。」
高橋は少しだけ笑った。
「そう簡単じゃない。」
「会社も変わる。」
「人も変わる。」
「異動だってある。」
その言葉に、磯山は静かに頷いた。
「そうですよね。」
少しだけ考える。
本当に、少しだけだった。
「だったら。」
三人が磯山を見る。
「自分たちで続ければいいじゃないですか。」
「……。」
「会社、作ってみないか。」
誰も笑わなかった。
冗談に聞こえなかったからだ。
高橋は磯山の横顔を見る。
社長になりたい顔じゃない。
金儲けを考えている顔でもない。
ただ。
今と同じ毎日を、十年後も、二十年後も続けたい。
そんな顔だった。
「お前。」
高橋が笑う。
「また急だな。」
「そうですか。」
「でも。」
磯山も笑う。
「楽しそうじゃないですか。」
その一言で十分だった。
柴田が笑う。
「確かにな。」
しばらく黙っていた佐伯が、静かに口を開く。
「今と同じように働けるなら。」
三人が振り向く。
「俺は、いい。」
短い言葉だった。
でも、その一言で空気が変わった。
高橋は缶コーヒーを飲み干す。
「仕方ない。」
「付き合ってやる。」
磯山は子どものように笑った。
「ありがとうございます。」
夕日が四人を照らしていた。
あの日、始まったのは会社ではない。
同じ毎日を守りたいという、小さな約束だった。
◇
高橋は話し終えると、静かにコーヒーを飲んだ。
若い男も窓の外を見る。
停車場の前を、一台の大型トラックが通り過ぎていく。
「会社を作った人じゃない。」
高橋がぽつりと言う。
「あいつは。」
「毎日を守ろうとしただけなんだ。」
若い男はゆっくりとうなずいた。
その言葉が、不思議とこの店によく似合う気がした。
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