鏡に映るのは④
髪を振り乱し髑髏面から血涙を流しながら絶叫するティア。
影は決して本体を害したというわけではないという推測は合っている。
だが、
「否定すれば俺もこうなったのか」
「ええ」
“結果的にそうなってしまう”のは避けられないのだろう。
でも影のティアが俺の下を訪れたということはまだ間に合うはずだ。
「魔法は使える?」
「彼女と同じレベルで」
「なら俺に強化を頼むよ」
「分かったわ」
やはりと言うべきか他人への強化が使えたらしい。
体感で1.8倍ぐらいか。十分だ。
なくても問題ないが……ちょっと恥ずかしいことになりそうだからな。
【来ないで! 来ないでぇえええええええええええ!!】
俺を遠ざけるようにやたらめったら攻撃を放つティア。
だがその攻撃が俺を傷つけることはなく周囲を破壊するだけ。
(思った通りだ)
ならばこれが全てだろう。
近くまで行き一息で膨らんだスカート部分に飛び乗る。
……強化がなければよじのぼる形になってさぞ間抜けだっただろう。
「大丈夫」
頬にそっと両手を添え、
「大丈夫だよティア」
額に唇を落とす。
意味はそう、祝福だったか。小さい頃、母が教えてくれた。
「何かしら社会でやっていくには問題があるのかもしれない」
けど、誰かを大切に想える心があるなら大丈夫。
「だって君は俺を傷つけなかっただろう?」
仲間としてなのか。男女のものなのか。理由は定かではない。
だが想う心が狂える自己嫌悪の中でも俺を守ってくれた。
「ならば俺も君の幸福を心から願う」
その命に祝福がありますように。
君に届くまで何度だって伝えよう。
【ぁ】
髑髏の仮面が半分ほど砕けティアの顔が覗く。
ちらりと振り返れば影の顔には仮面が半分。
少しは引き戻せたということか。
「話をしよう」
俺たちには言葉がある。
交わるための心がある。
だからきっと、これが正解。
膨らんだスカート部分に腰を下ろしティアを見上げると彼女は小さく頷いた。
【……昔から、そうなの。何かに躓くということがなかった】
裕福な家に生まれ優しい両親が居て大体のことは学ぶことが出来た。
料理洗濯などの家事から勉学。魔法。手をつけたものは何でも出来てしまう。
ル・ティーアという少女はそんな人間だったという。
【父も母も皆がこぞって私を褒めたわ。でも理解出来ない】
「何で褒められているのか。何でこんなことが周りの人間には出来ないのか」
ティアにとっては呼吸のようなものだったんだと思う。
自分には意識するまでもなく出来ているものが何故他人に出来ないのか。
自分がどうやって呼吸している? なんて聞かれても困るだろう。
他人が何故、呼吸出来ないのかなんて分かるはずがない。
【気味が悪かった】
本当に理解が出来なくて。
それでも人間には個体差というものがあることは理解した。
どうやら世に溢れる殆どの人間が出来ないことの方が多いことも。
【次第に人の顔が分からなくなっていったわ。どれも“同じようなもの”にしか見えないの】
七歳の頃のことだそうだ。
酷く不気味だったがそう見えてしまうのだからどうしようもない。
だから能力で個人を識別することにしたのだという。
(人間を数値化してこの数字ならこの人って具合に判別する感じか?)
ある程度、尖った人間は見分けがつく。
しかし並やそれ以下はもうただの石ころにしか見えなかったらしい。
【八歳で両親が亡くなったわ。出先で賊に殺されたの】
悲しみはなかった。
両親もまた世に溢れる有象無象でしかなかったから。
【才に恵まれていようと十にも満たない子供。悪い大人が群がって来たわ】
「……遺産を狙って、か」
【ええ。そしてその悉くを私は跳ね除けた】
その溢れる才覚を以ってすれば容易だったのだろう。
直接手を下すこともなく群がる悪い大人は皆、死に絶えたという。
【そこでね、思ったの。私は人の形をした怪物なんじゃないかって。
だってそうでしょう? 両親の死に胸を痛めることもなく誰かの命を奪っても心は揺らがない】
人は怒るし悲しむ。愛するものだ。
世に蔓延る同じような生き物は皆、そうしている。
なのに自分にはそれが出来ない。
自分も他人も愛せない、かと言って自分も他人も嫌いだとすら思えない。
【快も不快もなくただ在るがまま】
己か他人か。どちらに重きを置いているかは人それぞれだ。
だがどちらであれ人が最も尊ぶものが命だ。
なのに奪っても奪われても何も感じられない。
自分が人の枠の中に居ないかもと考えてしまうのも無理はないだろう。
【単にそういうものなのだと受け入れた】
そう述懐するティアだが、彼女は思い違いをしている。
ここまでの話で既にそれは証明されている。
(醜い怪物となった自分への嫌悪。それでも尚、俺を傷つけない優しさ)
少しばかり他人と異なる世界観で生きているだけの女の子なのだ。
でも今それを告げても届きはしない。
まずはその胸の内を全て吐き出させる。
俺が言葉を紡いで想いを届けるのはそれからだ。
【なのに】
言葉が詰まる。
急かすこともなくじっと続きを待つ。
【あなたに出会ってから、私はおかしくなってしまった】
◆
理不尽なことを言っている自覚はあるけれど言葉を止められない。
それでも彼は気分を害した様子もなく黙って私の言葉に耳を傾けてくれている。
【少なくとも、あの日。圧し潰されそうな空の下で見たあなたは特別でも何でもなかった】
スキルや指揮能力。
今でこそ彼はそれなりのものを手にしてはいる。
けどあの時の彼は無数に転がっている石ころの一つでしかなかった。
何なら今もそう。秀でた能力にはどうしてか、目が行かない。
見るべきはそこではないとでも言っているかのように。
【ただの石ころ。なのにどうしてか目が離せず気付けばあなたを目で追うようになっていた】
見極めるため行動を共にし遂には一つ屋根の下で暮らすようになった。
朝、起きたら寝ぐせのついた髪でおはようと笑いかけてくれる。
ご飯を作ると何時も美味しいよありがとうと感謝してくれる。
休みの日、外出から戻ったらおかえりと迎えてくれる。
【楽しい、嬉しい、そんな感情これまでただの一度も感じたことなんてなかったのに】
ルミエラでの日々も本当に楽しかった。
私の水着を見て可愛いと言ってくれた。
町興しのために案を出す姿を見て次は何をするのかとワクワクさせてくれた。
【あなたの傍に居ると勘違いしそうになる……私も、人間なんじゃないかって……】
彼と出会ってから他人の顔も少しずつ見分けられるようになった。
でも、気付いてしまった。それは彼という人間を通してその人を見ているからだと。
無関係の人間はこれまで以上に見分けがつかない。
【私の異常性だけが際立っていく】
でもそれを認めたくなくて目を逸らした。
見ない振りをした。
【あなたに、見られたくなかった】
こんな醜い怪物を見せたくなかった。
何でも出来たところでそれが何だというのか。
私より大きく劣る人間の方がよっぽど満たされた生を送っている。
【ねえ、優しい瞳のあなた。あなたはこんな私でも幸福を願ってくださるの?】
「願うよ」
その言葉と瞳があまりにも真っ直ぐで私は言葉を失った。
「ティアがどうしたいのか。何を求めているのか。分からないことも多い」
だから確実なことを一つずつ並べて行こうと彼は言う。
「君は自分を醜いと言うが、じゃあ世に溢れる有象無象を美しく思うのか?」
羨ましいと思うのか。そうなりたいと願っているのか。
【……いいえ】
彼の問いに首を振る。別段、彼らには何の感情もない。
私がこの世のどんなものよりも美しいと思ったのはたった一つだけだから。
「だよな。自分を否定してもそれは他人を肯定することには繋がらない。
そして自分を醜いと否定する君に問いたい。じゃあ一体どんな自分になりたいんだ?」
言葉に詰まる。
「君より大きく劣るがよっぽど満たされた石ころになりたいのか?
違うよな。妬みもなければ羨望もない。そんなものになりたいわけがない」
だって価値を見出していないのだから。
「ならばその否定はどこからやって来たんだろうな?」
【どこ、から】
「……正直、自分で言うのは自惚れてるみたいですっごい恥ずかしい」
だが君が恥ずかしい姿を晒したと言うのであれば俺も恥を呑もう。
そう言って彼は答えを告げる。
「俺だ。俺が君に君を否定させた。こんな異常な人間が受け入れられるはずがないと。
私のような怪物は嫌われて当然だと。普遍的な常識に照らし合わせてそう思ってしまった。
……傍から見れば俺はパッと思い描く善人そのものみたいなことを結構してるからな」
だから勘違いさせてしまったと頭を下げる。
「俺は別段、立派な人間じゃない。謙遜でも何でもない。ただの事実だ。
ああ、確かに誰かが喜ぶ顔を見るのは好きだし善く在ろうとはしてるさ。
でもそれが全てじゃない。ティアと一緒に鏡の迷宮に迷い込んだのがその証拠さ」
そして彼は語った。先ほどまで対峙していた己の醜さを。
そんな一面があるなんて夢にも思わなかった。
「君は俺を醜く思うか?」
【……いいえ】
話を聞いた後でも変わらない。
彼という石ころが今まで見たどんなものより美しく思う気持ちは揺らがない。
「ありがとう。なら、俺もちゃんと言葉にしないとな」
【え】
「君は怪物でも何でもない。少しばかり他人と異なる世界観で生きているだけの女の子だ」
慰めなどではない。
単なる事実を述べているだけという風に彼は言った。
「だから孤独を感じることもあるし誰かに好かれたいとも思う
これまではその感情を呼び起こされるようなことがなかっただけ。
ただどういうわけか俺がその感情を引き出したっつーね。なら、伝えないとな」
彼の柔らかな眼差しが私に、私だけに注がれる。
そう思った途端、ぐちゃぐちゃの胸が高鳴った。
「君は君だ。そのままの君で良いんだよ」
水のように腑へ。油のように骨髄へ。
告げられた言葉はどこまでも深く私の中に染み渡って行った。
(そうか)
ようやく理解した。あの日、彼に目を奪われた理由が。
恐ろしい魔性を抱える彼にシンパシーを抱いたのだ。
そんな魔性を孕みながらも善く在ろうとするその姿がどうしようもなく美しく思えたのだ。
(そういうことなのね)
その石ころは本当は石ころなんかじゃなかった。
星だったのだ。そのままで良いのだと。在るがままの私で良いんだよと。
その温かな光で私を包み込んでくれる私にとってのお星さま。
(――――嗚呼、私は彼に恋をしているのね)
初めて見た時からずっと、ずっと。




