↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
38/54

第37話

鍾乳洞に満ちていた重苦しい魔の気配が、微かに揺らぎ、消えていく。


それはまるで、敵が自らの命を燃やし尽くしてこの場を守ったかのようだった。生贄の少女は、薄く開いた瞼の奥で、涙とも汗ともつかぬ光を滲ませながら、エレボスにしがみついていた。


仮面の奥で、静かに瞳が細められる。


彼の中で、これまで点在していた事件の断片が、一つの『構図』として輪郭を結び始めていた。


王都で起こってきた奇怪な事件の数々。異形の生物と化した人間たち。地下から漂ってきた魔術の気配。アーテーを信奉する教団の存在。すべてが単なる偶然であるとは、もはや考えられない。


その全てを“見通している”何者かが居る。


しかもそれは、アーテーでさえ知らぬ“背後の存在”──


「……ようやく、だな」


低く、静かに呟かれたその声は、夜の中に溶けていった。


彼は鍾乳洞の奥、石壁の一部に、崩れかけた扉のような構造を見つけた。元は厳重に封印されていた気配がある。が、すでにその封印は破られ、奥からはわずかに風が吹き出している。


古の地下遺構。それが、今まで彼が追ってきた全ての源──『根』である可能性があった。


エレボスはその場に跪き、少女をそっと横たえた。彼女の命は、確かに救われた。それだけでも、この夜に意味があったといえる。


「すぐ戻る。終わらせるために」


そう言って、彼は闇の中へと再び歩を進めた。


その扉の先、ほんのわずかに開かれた裂け目から、ひどく冷たい“気配”が漏れていた。それは、神でも魔でもない、ただ人間の心に根差した、冷酷な意志のようなものだった。


階段を降りるごとに、空気が変わっていく。


地下遺構の空間は、まるで生きているかのように音を吸い込み、吐き出し、仄かに脈動していた。壁には、見慣れない紋様が刻まれている。それは、アーテー教団が使っていたものとは異なる。もっと古く、洗練され、精密で、冷徹な力を秘めている。


そのときだった。


足元で何かが転がった。


細い指の骨。


それが散らばる先には、数え切れないほどの遺骸──すべて、捧げられた“犠牲者”の成れの果てが横たわっていた。


そして、彼は見た。


奥に、誰かが居た。


白い法衣を纏い、仮面をつけた者──いや、その仮面は、どこかアーテーの教団に属するものに似ているが、明らかに“格”が違った。まるでこの地下を束ねる『導師』そのものだ。


エレボスの姿を見ても、そいつは動じない。むしろ、静かに両手を開いた。


「ようこそ。“仮面の騎士”よ。我らの“最終段階”に、間に合ってくれたな」


その声には激情も狂気もなかった。ただ、完璧な計画を読み上げる者の冷静さがあった。


「お前たちは、“人間の限界”を超えるつもりか」


「限界とは、敗者が語る言葉だ。“器”はすでに整った。あとは“神格”を呼び戻すのみ」


「……神など居ない。いるのは、妄執だけだ」


その瞬間、空気が弾けた。


相手の背後から現れたのは、かつてエレボスが戦ったキメラたちをさらに凌駕する異形──脊椎から直接刃のような突起が伸び、魔力を放射する肉塊の兵。


その姿は人間の理を遥かに逸脱していた。骨と肉が蠢き、神経と血管が露出したまま蠢動し、動くたびに濡れたような音を響かせる。背の突起は脈打つたびに淡い蒼光を放ち、まるで『生きた魔石』そのものだった。


エレボスは静かに姿勢を低くし、壁の魔紋と床の配置を一瞥する。


「……生きたまま構築された“兵器”か。おぞましい」


だが、その口調は変わらず冷静だった。


キメラが咆哮を上げ、壁を砕く勢いで飛びかかってくる。魔力の余波が洞窟の空間を揺らし、砂が天井からぱらぱらと落ちた。


エレボスは前足を叩きつけてくる直前、ほんの刹那だけ魔力を脚部に集中させ、岩壁を蹴って跳び上がる。仮面の奥の瞳が、一瞬で相手の筋肉と動作の“癖”を読み取る。


「上体に対する重心が偏りすぎている──」


落下と同時に、足に宿した魔力でキメラの肩口を踏み砕いた。骨が砕け、刃の突起が横に反れたが、相手は痛みを感じていない。胴体がそのまま反転し、伸びた腱のような舌が襲いかかる。


エレボスはそれを魔力の籠もった拳で迎え撃つ。肉を打ち、力が内側から炸裂する。だがそれでも、異形は止まらない。


「“制御”されている……自我はない」


むしろそれが厄介だった。戦意を砕いても、感情を乱しても止まらない兵。完全に“駒”として完成されている。


だが、だからこそ、エレボスは一点だけに狙いを定めた。


魔力の放射源──背の突起。そこが、この異形の“核心”。


第二の突進が来る。その際に生じる魔力の脈動──


「そこだ」


爆ぜる音と共に、拳が閃いた。剛拳に宿った魔法は極限まで圧縮され、爆発的な力で一点を撃ち抜く。刃の突起が砕け散り、魔力が一瞬暴走する。肉塊の兵は痙攣し、内側から崩れ落ちた。


呼吸一つ乱さず、エレボスは立っていた。


戦いの中で確信は深まっていた。この“兵”は、どこかで見た技術に似ている。魔術と生体を強引に結合する技術──それは、古代に存在したはずの“禁術”だ。


後方に居た仮面の導師が、わずかに肩を揺らして笑った。


「見事だ。“仮面の騎士”。やはり、貴様は“人間の限界”の外に居る」


「勘違いするな。俺は人間だ。そうあろうと“足掻き続けている”だけの存在だ」


導師の顔に張り付いた仮面の下、その瞳が細められた。


「では、その足掻きでこの“真理”を止められるか?」


その言葉と同時に、空間が歪んだ。


地下の奥、封じられていた魔力が解放される兆候。地の底を這うような呻き声が、足元から響く。残響ではない。確かに何かが、封印の奥で目を覚ましかけていた。


エレボスは視線を走らせ、導師の周囲に形成されつつある魔法陣を確認する。


「“何か”を呼び出す気か……!」


だが、術式はすでに始まっていた。地に刻まれた紋様は、無数の犠牲の上に構築されたもの。触れるだけでも、その呪力が肌を焼くほど強い。


彼は選択を迫られていた。


術式を強引に破壊するか。あるいは、これ以上の犠牲を出す前に“主犯”を討つか──


だが次の瞬間、導師の姿は魔力の爆ぜる音と共に掻き消えた。


「逃げたか……!」


歯噛みしながら周囲を探るが、残されたのは崩れた紋様と、キメラの亡骸、そして地下のさらに奥へと続く裂け目だった。


仮面の下、エレボスの瞳が静かに燃える。


「終わりには……まだ届かない、か」


仮面をそっと撫でる。


『これは始まりではない。だが、確かに“続き”だ』


かすかに嗤うような声が、どこか遠くから響いた気がした。


アーテーのような、あるいはそれとは違う、未知なる何かの“笑み”が──


彼は躊躇なく、裂け目の中へと足を踏み入れた。


ぬかるんだ土と、焼けた岩のような熱気が足元を撫でた。空気は鈍く澱み、魔力が飽和した空間特有の重圧が、肌を刺すように纏わりついてくる。ひと息吸い込むだけで喉の奥が焼けるような錯覚に襲われた。


だが、エレボスの足取りは止まらなかった。


闇に包まれた裂け目の底は、思っていたよりも遥かに広大だった。自然に生まれた空洞ではない。誰かが──あるいは『何か』が、意図して拡張した痕跡が残っている。壁面には古い魔術文字が焼き付けられ、その一つひとつから微弱な呪気が立ち上っていた。


「……ここが、奴らの“根”か」


その声は低く、だが確かに静かな怒りを孕んでいた。


足元に残された痕跡──血と、何かの鱗片。生体錬成を行うための儀式台が一つ、崩れかけた柱に半ば飲み込まれる形で残されている。呪紋の中心には、脊椎のような器具が設置され、それに接続するための拘束具が固定されていた。


「“器”を創っているのか……?」


エレボスの脳裏をよぎったのは、あの刃のような背骨を持った異形のキメラ。そして──


『もうすぐ完成するんだ、あの“理想の存在”がさ』


どこかで聞いた、狂気に満ちた声。


一歩、また一歩。足音が岩に吸い込まれるたび、奥へと進む通路が徐々に形を変えていった。自然岩から人工構造へ。滑らかに削られた石壁、魔術によって硬化された床面。封印された地下遺跡──否、“祭壇”と呼ぶべき空間だった。


そして、その中心にあったものは──


巨大な卵のような、黒く脈打つ“塊”だった。


呼吸をするように動くその物体は、無数の神経や血管のような筋が地面にまで伸び、周囲の魔力を吸収していた。天井には封印陣が刻まれていたが、その一部は既に砕け、淡い光の残滓しか残っていない。


エレボスは仮面の奥で眉を寄せた。


「……封印が、意図的に壊されたか」


誰が、なぜ、ここを暴いたのか。アーテーの手口とは違う。あの道化が撒き散らす“愉悦の悪意”とは、別の冷たさがここにはある。


と、その時。


背後で足音。


静かに、まるで最初からそこにいたかのように現れた影。


男だった。ローブを纏い、顔は影に隠されているが、足元に魔法陣の残滓を纏っていた。周囲の魔力を、無造作に吸い込むような異様な気配がある。


「よく、ここまで辿り着いたね。“仮面の騎士”」


その声は低く、響きにくい構造の空間でもよく通った。年齢も、素性もわからない。だが、言葉に籠もる“確信”だけは、はっきりと伝わってくる。


「貴様が、この“胎動”の主か」


「いや、僕はただの案内人さ。この“新たな神”の目覚めを、見届ける役目を持っただけの者」


その言葉に、エレボスの指が微かに動く。手の甲から肘にかけて、魔力の紋様が静かに浮かび上がった。


「神、だと……くだらん」


「くだらないか。ならば、その目で確かめるといい。人が抱く絶望が、どれほど深いものか」


言葉と同時に、背後の“塊”が大きく脈打った。周囲の空間が震え、魔力の渦が生まれる。封印の破片が風に舞い、空気が震える。


エレボスは一歩、前に出た。


「断ち切る。生まれる前に」


「できるかな。“夜の者”よ。君の足掻きが、どれだけ無意味かを教えてあげよう」


そして、空間が崩れた。


胎動する塊が咆哮を上げるかのように、赤黒い魔力が爆発する。仮面の奥の瞳が、それを正面から見据えていた。


逃げない。拒まない。ただ、撃つために。


彼は拳に、魔力を宿す。


淡く光を帯びたその拳から、血管のように走る魔紋が露わになる。燃えるような力ではない。それはあくまで、鋼のような意思を“形”に変えたものだった。暴走しない、誇示しない。だが確実に破壊を齎すために、内側から煮え立つように、力は静かに脈打っていた。


魔力の籠もった足が大地を蹴る。


石床が爆ぜ、エレボスの身体は一気に魔力の渦の中心へと飛び込んだ。風圧が破裂し、視界を満たす魔の気配を裂きながら、闇の胎動へ拳を叩き込む。


肉塊の中心、脈動する黒核に向けて──


「目覚めの前に、終わらせる」


衝突と同時、濁流のような魔力が逆巻いた。拳から放たれる力と、胎動の中心が放つ拒絶の力が激突する。その瞬間、空間に響いたのは悲鳴とも咆哮ともつかぬ異音。魔力の壁が幾重にも波打ち、裂け目そのものが軋みを上げて悲鳴を漏らした。


黒い“塊”が、ついに反応した。


ぐずぐずと肉がうねり、まるで生まれたばかりの獣が外界に触れるかのように形を変える。幾本もの“腕”とも“脚”ともつかぬ突起が生え、中心には仮面のような器官が浮かび上がった。感情を持たぬ、ただの模倣──だがその視線がエレボスを捉えた。


次の瞬間、裂け目の空間全体が揺れる。


腕のようなものが伸び、鋭利な骨刃を形成してエレボスに襲いかかる。風切り音が岩盤を抉り、魔力の衝撃波が空間を振動させた。


エレボスは踏み込む。


腕を薙ぎ払い、骨刃を拳で受け止める。爆ぜる魔力と肉の弾ける音が交錯し、地を裂く一撃を捻り潰すように、筋肉が軋む。


反撃。


身体の軸を沈め、低く構えた右拳が地を擦って閃光のように閃く。魔力を込めた打撃が、異形の中心を穿つ。だが、肉が裂ける音はせず、弾力のある何かが防御を成していた。


『これはまだ、完成していない“神”──』


エレボスはそれを即座に理解した。胎動は始まり、だが成熟には至っていない。破壊できる今こそが、唯一の好機。


連撃。


腕を振るう。拳、膝、肘、脚。全てが一点へと向かい、魔力が弾丸のように込められて放たれる。異形の腕が再び刃を成すが、それを受け止めることなく切り裂く。彼の身体が“武器”そのものとして戦場を切り裂いていた。


だが──


「止まれよ、エレボス」


声。


背後から、聞き慣れた芝居がかった声が響いた。どこか滑稽で、皮肉めいたその響き。


「……貴様」


振り返ると、そこには奇妙なピエロのような男が立っていた。センスの悪い化粧。舞台役者のような身振り。仮面の下の目が、鋭く細められる。


「おいおい、せっかくの『神の降誕』を台無しにしないでくれよ、相棒」


「アーテー……貴様も関わっていたのか」


「違うなあ。“関わっていた”じゃなくて『面白そうだから来てみた』ってところだ」


肩をすくめ、滑らかな足取りで岩の上に立つアーテー。その背後から、再び異形が咆哮を上げた。


「どうやら“お産”はまだみたいだけどね。だから、ここは一旦──」


次の瞬間、エレボスが踏み込んだ。


拳を放つ。だがアーテーは軽やかに身を翻し、あざ笑うように距離を取る。


「おっと、いけない。今はその気分じゃないんだ。まだ“準備”が終わってないからさ」


仮面の奥の瞳が、怒りよりも冷えた決意で光る。


「逃がすつもりはない」


「怖い怖い。……でも、今じゃないんだよね、エレボスくん」


そう言い残して、アーテーは魔術式を刻んだ札を空中に放る。それが弾けた瞬間、周囲の空間が歪み、激しい閃光が裂け目を覆った。


爆音。煙。空気を切り裂く衝撃。


──そして、沈黙。


異形の“胎動”は、光の余韻を残したまま崩れ落ちていた。エレボスが構えた拳は宙を切り、アーテーの気配は既にその場から消えていた。


「……逃がしたか」


拳を静かに降ろし、仮面の奥で深く息を吐く。


だが、足取りは止まらない。今崩れた“胎動”の残骸へと、再び近づく。


残された痕跡は、消えずにそこにあった。


敵は、まだ“完成”していない。


そして、アーテーもまた──まだ、何かを“始めよう”としている。


仮面の騎士は、拳を握り直し、再び闇の先を見据えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。