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第22話

エレボスはそっと男の胸元に手を当てた。

微かに響く心臓の拍動。

まだ、生きている。

警備兵に運ばれていく後ろ姿に視線を送ってから、足元に転がっていた赤く染まった仮面の欠片に気付く。


「こいつも“信者”なのか」


仮面の裏に刻まれている、小さな印。

逆三角に配された三つの眼。

あれこそ『アーテーの信仰集団『赤仮面(レッドマスク)』の印章に他ならない。

エレボスの胸にざわつきが広がっていく。


「あいつが裏で糸を引き、操っているというわけか」


赤仮面。

表向きは『世直し団体』(よなおしだんたい)という体裁の集まり。

世の中に溢れている『不条理』(ユウウツ)に対して、自分たちこそ真実の解法をもたらすという主張。

裏では『アーテーの教義に従って愚行こそ真実に近付くという歪み切った思想に魅了された者たちが集結しているという情報もある。

警備隊も把握してはいない真実に近付くという足元の揺れに、エレボスの足が止まる。


「赤仮面…」


路地裏に吹く風が、エレボスの耳元に囁く。

あの道化の声に似た、耳障りな響き。


『お前も真実に近付きたいか? エレボスよ』


「近付くというより…足元に溢れ出してくるというべきか」


赤仮面の事件は、後に『赤仮面の愚行』(レッドマスクのパレード)という名で世間に広まっていく。

操ろうという意思に従って、町のあちこちに『操縦された信者』(パペット)が出没してはいくという。

エレボスは裏路地に消えていく。

足元に転がっていた赤仮面の欠片も、自身のポーチにそっとしまい込みながら。


「…俺が止める。あいつの好きにはさせない」


赤仮面の裏に潜む真実。

アーテーという男が、自分自身の『舞台』にどう臨み、どう操ろうというのか。

エレボスの足元に、小さく揺れた影がまた一つ溶け込み、夜の中に消えた。

エレボスが裏路地の奥に溶け込み、足音も静かに消えていく頃、赤仮面の『パペット』たちが町のあちこちに徘徊していた。


「真実に近付きたい…真実に近付きたい…」


虚ろな視線に赤く宿る狂気。

操縦者の意思に従って、パペットたちは裏通りの住人に近寄っていく。

家の戸に、小さく刻まれていく赤仮面の印。

それこそ『赤仮面の愚行』が広がっていく足跡だった。


エレボスは足元の世間のざわつきを確かに感じ取っていた。

ポーチにしまい込み、自身の体温に溶け込みつつある赤仮面の欠片。

あれこそ赤仮面の『真実に近付く鍵』(キーアイテム)なのかもしれないという直感も抱きつつ、足を運ぶ。


「赤仮面…パペット…アーテー…」


裏路地の奥、ぼんやり灯ったガス灯の下に足を止める。

足元に転がってきた空きビン。

転げる音に、数羽のカラスが驚き、真っ黒な羽根を広げた。

エレボスの耳に響く羽ばたき。

空気に溶け込みつつ広がっていく、不穏な気配。

赤仮面のパレードの足音は確実に近付いている。


「…俺が止める」


エレボスの視線の先、路地の奥に赤く揺れた灯火。

赤仮面の信者たちが、足元の真実に向かって歩み出している。

裏に潜む『操縦者』、アーテーの影もまた、確実に近付く中。

エレボスの足も真実に向かって踏み出された。

赤く揺れている灯火に近付くにつれて、エレボスの耳に足音が重なって響き始めた。


パペットたちの足音。

よろよろと、不揃いに、地上という舞台上に繰り出してくる操り人形。

赤仮面の印に導かれて。

真実という『虚構』(まぼろし)に魅了された者たち。


エレボスは足元のガラス片も、小石も、自分の足運びに干渉してこないように、そっと体重を移していく。

影に溶け込み、足音も消して。

視覚に映るものすべてに注意を払う。


「赤仮面…お前の『パレード』、そろそろ幕引きをしてもらう」


裏路地の最奥、真っ赤に揺れている火桶の周辺に集まっているパペットたち。

虚ろな視線、揺れ動く腕、足元に広がっていく赤く溶けたろうの池。

赤仮面の印に従って、一歩また一歩、真実という虚構に近付く群衆。


エレボスは屋根の上に身を滑り込み、上空から赤仮面のパレードを視野に捉えていく。

パペットたちの中に、一際異質な影が揺れた。

真っ赤に彩られた仮面の奥から、揺らめく視線。

芝居がかった足運び。

あの男こそ、赤仮面の操縦者にして、この『真実』の座長。

アーテー。


「…また会う日が近付いたというわけか」


エレボスはそっと屋根から身を翻した。

足元に広がっていく赤仮面のパレード。

真実という虚構に溺れていく世の中に、自分だけが足を踏み込み、対峙していく。

赤仮面の裏に潜む真実に到達する日も近かった。

エレボスは屋根から身を翻すと、裏路地に降り立った。

足元に広がっていた赤く溶けたろうの池に、小さな波紋が広がっていく。


「パレードの裏にあるもの…そろそろ掴まないと、手遅れになる」


裏路地の奥から吹き込みくる冷たい風に、マントの裾が揺れた。

赤仮面のパペットたちの足音もまた、少しずつ遠ざかっていく。

エレボスは足元の血溜まりに視線を落とした。

真っ赤に揺れ動く液体の表面に、自分自身の影がぼんやり映っている。


「…あいつは必ず近くにいる」


足元の影も、自分の心臓の響きも、すべてあの男に繋がっているという確信。

エレボスはそっと歩みを進めた。

足元に転がっていた仮面の欠片。

赤く彩色された表面に、小さく刻まれている『ATE』(アーテ―)という文字。


「また、お前か」


エレボスの胸中に宿る緊張という火種。

近付く対峙の時に向かって、自身の足運びもまた迷いや揺れもない。

裏路地の奥、虚構のパレードの裏に真実がある。

必ず、掴み取ってみせる。

裏路地の奥に足を踏み込み、エレボスの耳に響く足音も、自分自身のものだけになっていく。


赤仮面のパペットたちが去った後の路上には、滴る血液も、溶け込み消えていくろうもない。

まるですべてが最初から『ないものだった』かのように。


「…虚構に溶け込みすぎた真実こそ、最も厄介というもの」


エレボスの足元に、小さな羽根飾りが転がっている。

赤く染まったクロウの羽根。

それに触れた瞬間、指先に伝わってくる『冷たい狂気』に、エレボスは唇の裏で歯を噛み締めた。


「お前は『パレードの裏に真実あり』…というつもりなのか、アーテー」


足元の羽根は、そよぐ風に吹かれて転がっていく。

まるで、自分を案内しているかのように。

エレボスはそっと足を運び、赤く揺れて消えていく羽根の後を追う。


裏路地の奥、突き当たりにある重厚な鉄扉。

錆にまみれ、赤く変色した取っ手にそっと手をかける。

開くべきか、後にするべきか。

揺れ動く視覚の中に、あの男の足音が響き出した。

足元に転がってきた羽根が止まった。

まるで『ここから先に真実がある』。


エレボスは深く息を吐き、そっと扉に力を込めた。

軋みながら開くその先に広がっていくのは、赤く揺れたいくつもの火桶。

火に照らされた舞台の上に立っている、あの男。

仮面の奥から、赤く妖しく揺れている視線。


『よくここまで辿り着いたじゃないか、エレボスよ』


「…お前のパレードも、ここで幕を下ろす時が近付いたというだけの話」


エレボスの足元に転がってきた羽根。

それをそっと握り込み、自身の胸元に仕舞う。

真実に近付く足音。

運命の対峙が、すぐそばにあった。

よくここまで辿り着いたじゃないか、エレボスよ


声が赤く揺れて火桶の灯火に溶け込み、虚空に響く。

エレボスは足元の羽根をそっと胸元に滑り込み、そろりと歩み出した。

錆にまみれた足元の板が、小気味よく軋む。


「…お前のパレードも、ここで幕を下ろす時が近付いたというだけの話」


火桶の揺れに照らされたアーテーの仮面が妖しく揺れた。

赤く滲み出す視線の奥に、真実というものが宿っているという確信。

足元に広がる血溜まりの表面に、エレボスの影が揺れ込み、自身の足運びに従って波紋を広げていく。


『幕? そろそろ上がろうという時に? エレボスよ、お前も舞台に上がってこないか。裏方に甘んじ続けるつもりなのか』


アーテーの声は芝居がかって響き、火桶の火に溶け込みながらあたりに広がっていく。

エレボスは足を止めない。

真っ直ぐに、自分の足元に転がってきた赤羽根の後をたどって歩み寄っていく。


「裏も表もない。真実は真実。お前がどう足掻こうとも、それに到達してみせる」


火桶の火が揺れ、真っ赤に映る仮面の表情も揺れた。

アーテーの口元が、不気味に笑みに歪まっていく。

エレボスが歩み寄ろうという、その瞬間。

足元の板が大きく軋み、赤く揺れた火花が舞い上がった。

次の瞬間、アーテーの姿が虚空に溶け込み、消えていく。


『また会おう、エレボスよ。次の舞台で…』


揺れ舞う火花の中に、赤く滴る羽根だけが後に残された。

エレボスはそっと足元の赤く滴る羽根に近寄った。

火花が舞う中、指先に触れて拾い上げる。

羽根の表面には『ATE』(アーテー)という文字が、小さく刻まれていた。


「…逃げたか」


唇の裏で、小さく漏れた吐息。

エレボスは羽根を胸元に仕舞うと、周辺の気配に耳を澄ませる。

火桶の火が揺れ、影が揺れ、裏路地の空気もまたざわつく。


足元の血溜まりに、ポチャ…ポチャ…という滴る音。

赤く広がっていく波紋の中に、自分自身の揺らめく影が映っている。

揺れて揺れて…歪み…また元に帰ってくる。


「次こそ…必ず」


エレボスは裏路地の奥に溶け込み、足音も消えていく。

後に残されたのは赤く揺れ続ける火桶の灯火。

そよぐ空気に舞う火花。

赤く濡れた羽根だけが、真実の手がかりとして地上に横たわっている。

エレボスの足音が完全に消えてから数刻後。


火桶の火も揺れ、そよぐ風に火花が舞い上がっていく。

赤く滴る羽根の表面にこびりついた血液が、少しずつ乾き、黒く変色していく。

裏路地の奥から、小動物がそろりと顔をのぞかせ、血溜まりに近寄ろうとする。


次の瞬間——。


「近寄るな」


虚空に響く声。

足元のネズミも、小鳥も、警戒して後ずさった。

裏路地の屋根の上、ぼんやりと揺れている人影。

真っ黒なロングコートの裾が、冷たい夜風に翻っている。


エレボス。


仮面の奥の視線が、自分の足元にある赤く濡れた羽根に注がれている。

「…お前がくれた、この『宿題』。必ず解く時がくる」


エレボスはそっと手を上に差し込み、屋根から消えていく。

後に残されたのは、小動物が近寄ろうに近寄れない、赤く濡れた羽根だけだった。


裏路地の奥に吹き込み始めた夜風にあおられて、羽根がくるくると回転して舞い上がっていく。

赤く揺れながら上空に消えていく、その軌跡こそ、新たな対峙の幕開けだった。


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