後編)アルデルト王の追憶、それから希望
隣国から私に向けて、縁談が舞い込んできた。
その話を耳にした時、反射的に湧き上がったのは、なんともいえない不快感と苛立ちだった。
先王が死んでから、まだ三月も経っていない。言ってはなんだが退屈な葬儀のあれこれを終え、面倒極まりない即位式も済ませたとはいえ、王城内はまだ混乱の真っ只中にある。
あのふてぶてしさと狡猾な用心深さで、あと二十年か三十年くらいは生きるのではないかと思われていた先王がまさかの急死で、誰もが一斉にパニックに陥った。
自分の次の代のことなんて頭の端にもなかった先王だから、「もしもの時」のための備えなんてしてあったはずもない。王の機嫌を損ねないことと媚びへつらうことしかしてこなかった家臣たちは、立場が上の者ほど慌てふためいていた。
もともとあの先王がきちんとした政治などを行えるわけもなく、以前からこの国の土台をなんとか保たせていたのは、おもに下のほうにいる人間たちだ。
彼らが堤を壊さないよう必死になって上からの横暴を堰き止めていたからこそ、ノーウェル国は未だ決壊せずに済んでいる。「重臣」と呼ばれる者たちが今後の権力を巡り、醜い争いを繰り広げている現在にあってさえ。
早いところ風通りを良くして彼らを掬い上げてやらなければ、その堤が切れてしまうのも時間の問題だ。たとえば王城建物のてっぺんが吹き飛んだところで大した支障はなくとも、礎部分が壊れればひとたまりもなく全体が崩れ落ちる。そのことを理解しない連中が、これ以上引っ掻き回さないように。
そんな時に、縁談だと?
馬鹿も休み休み言え、と私は思った。
先王が死んでから間もないこの時期にそんな話を持ってくるなんて、あまりにも礼儀に欠ける。あの王が死んだからといって悲しむような人間はノーウェル国にはいないが、それにしたって非常識すぎるだろう。
確かに私には伴侶どころか婚約者もいない。まずいことに先王の子のうち生きているのは私だけで、他に嫡流もない。もしも今私の身に何かがあれば、遠い傍系が王家を継承し、つまり王朝が絶えることになる。
それを避けるためにも早く妻を娶って跡継ぎを──という理屈は判る。判るが。
「しかしそれにしたって、これはないだろう」
私は手元にある書類を見つめてぼやいた。
そこには、隣国が持ち込んできた縁組の相手である女性についての情報が記されている。取り急ぎ調べさせたものなので、いろいろと不足があるという点には目を瞑らねばなるまい。いやしかし、それにしたってだ。
「名前。年齢。隣国の第六王女である。あまり表に出てこないのでその他は不明」
私は鼻でふんと息をして、その用紙を机の上に放り投げた。
これで一体何を知れというのだ。こんなもの普通「情報」とは呼ばない。下町のおばさんたちが流す噂話だってもう少し詳細だ。
隣国も隣国で、せめて姿絵くらい渡してくればいいのに、「王女殿下は恥ずかしがり屋で……」などとごにょごにょ言うばかり。
阿呆か、と内心で毒づいたが、よく考えたら私も似たような理由で姿絵を描かせたことがないのを思い出し、余計に腹立たしくなった。つまり「アルデルト王太子は内気ではにかみ屋で極度の人見知りだから」という理由である。もちろん嘘に決まっているが。
「お互い様ですよね。あちらはあちらで、王女殿下にお渡しできる陛下の情報がほとんどないことに困っておられると思いますよ。まあ『噂話』だけなら事欠かないですけど、それをそのままお伝えすることはないでしょうし」
部屋の隅にあったワゴンの傍らに立ち、優雅な手つきでティーポットの茶をカップに注いでいたヴィムが、にこやかに言った。
「伝えればいいじゃないか」
「普段は部屋に引きこもっていることが多く、たまに王城内をフラフラすると思ったら毎回のごとく護衛を撒いてどこかに行ってしまい、人とはまともにお喋りできないくらいの内気さで、『第一将軍は顔が怖いから嫌い』なんてことを言っては重臣たちを遠ざけ、いつも視線が定まらずにボンヤリして幼子のように振る舞っていますが特に害はありません、と伝えるんですか?」
「大体合ってる」
「そんな釣書を寄越されたら、ほとんどの女性は絶望しますよ」
「よし、だったらもっと誇張したものにして隣国に送ろう」
「やめてください、国外でまで陛下の評判を落としてどうするんですか。大体、手元にあるその情報だけでも、充分判ることはあるでしょう」
ヴィムはそう言って、立ったままソーサーを持ち上げ、自分の口にカップを運んだ。こいつは私の近侍のくせに、頼んだ時にしか主に茶を淹れてくれない。
「判ること?」
「ほとんど伝えることがない、というのは、それだけこの王女殿下が周囲からあまり顧みられることのない境遇にある、という意味ですよ。なにしろあちらの王は、こちらとは違って大変な子沢山というお話ですからね。単純に目が届かないのか、あるいは愛情の偏りがあるのか、それは不明ですが」
「余っているからやる、という感じか」
私はますます苦々しく呟いた。
要するにそれだけ、隣国はこちらを舐めている、軽んじている、ということだ。美貌やら特出した才能やらがあればもっと良い嫁ぎ先を探すが、ノーウェル相手にはそこまで気を遣うことはない。ちょうどいい、これといって目立たず王にも存在を忘れられていたような第六王女を押しつけよう──という腹なのだろう。
あわよくば刺客に、またはこちらを乗っ取る布石にするという魂胆が見え見えだ。
「まったく忌々しい……」
ため息をつきながら、呟いた。
せめてもう少し状況が整ってからなら、どうとでも手の打ちようはあっただろう。しかし現在の私はまだ「愚鈍」の仮面を被っている最中だ。下手に動くと周りに警戒される。
まず優先すべきは、先王が荒らした国を立て直すこと。城内にはびこっている奸臣たちを一掃するのなら、迅速に、そして徹底的にやらねばならない。驚愕から覚めて、反撃する手立てを考えはじめた時にはすでに完全に無力になっているくらい容赦なく。
そのために、数少ない使える部下たちは今、あちこちに潜んでじっと時機を待っている。彼らに余計な労力を割かせるわけにはいかない。かといって、この問題を放置もしていられない。断れるものなら断りたいが、それに必要な口実がない。苛立ちだけが溜まる。
「ヴィム」
「はい?」
「もうすぐ、ヴェルフ将軍が来ることになっていたよな?」
「そうですね、陛下のサインを貰いに」
「よし」
こうなったら心ゆくまで将軍に愚痴を聞かせてやろう。なにしろ私にとって、こういう話ができる相手は限られているからな。
ヴィムは微笑んで、「お気の毒に、ヴェルフ将軍」と言いながらまた茶を飲んだ。
***
レオ・ヴェルフという名の第六将軍は、その厳めしい肩書に反して、いかにも穏やかそうな外見をしている。
いや、外見だけでなく性格のほうもそうなのだろう。彼が第一将軍のように誰彼構わず怒鳴りつけたり、威張りくさっていたりするところを見たことがないし、そういう話も聞いたことがない。私自身はあまり外に出ることはないが、長い耳を持っていることには自負があるので、ヴェルフ将軍に関する評判は事実とそう違ってはいないはずだ。
温和で寛容で部下思い、厳しい時には厳しいが、責任感もまた人一倍強い人物である、と。
第六将軍というのが少々特異な立場にある、ということを差し引いても、驕らず出しゃばらず、なによりも職務に忠実だという点で異論がある者はいないらしい。話に聞いた時には、本当にそんな人間がいるのか? と疑ってしまったが、実際に会ってみてなんとなく納得した。押しの強さが足りないのは欠点だが、これはこれで、貴重な人材である。
その貴重な人材であるヴェルフ将軍から、叱咤激励なのか惚気なのかよく判らない話をされたのは先日のことだ。しかしそのおかげで、結婚話に対する私の憂鬱は多少晴れた。
どうであれ受けなければならないことなら、やむを得ずという形ではなく、少しでも前向きになっていたほうがまだ気分が良い。
さすが将軍だけあって、説得の仕方が的確で冷静だ──と感心していた、数日後。
執務室にやって来たその日のヴェルフ将軍は、ちょっと様子がおかしかった。
「陛下」
「なんだ?」
「人生とは、素晴らしいですね」
「……う、うん?」
何か変な言葉が聞こえたな? と思ってサインしていた書類から目を上げたら、机の前に立つヴェルフ将軍は、ものすごい真顔をしていた。
そして口を開き、もう一度、「生きるというのは、素晴らしいことだと思いませんか」と宣った。
訂正だ、ちょっとどころではなくおかしい。
私はひとつ咳払いをした。
「あー……将軍?」
「はい」
「何かあったのか?」
「いえ、ただ、この上ない幸せを噛みしめているところで」
「……へえ」
「自分が幸せだと、他の者にも幸せになってもらいたいと思えるのだなと気づきました。ですから臣下として、陛下の幸せも願っております。そしてこの国の民すべてに幸福が訪れるよう、より一層職務に励みます」
「うん……そうか。それは……ご苦労」
他になんとも言いようがなくてそう返し、ついでにサインし終わった書類も返すと、ヴェルフ将軍は軍人らしいきびきびした仕種でそれを受け取り、礼をしてからまたきびきびと執務室を出て行った。きびきびしているのに、どうも妙にふわふわしている。もしかしたら、地に足が着いていないかもしれない。
困惑してヴィムのほうを向くと、くすくす笑っていた。
「どうやら、僕の妹が妊娠したことがはっきりしたようで」
「ああ……なるほど」
ようやく腑に落ちた。一度は自分の地位も経歴も命もなげうってまで、先王の魔の手から救おうとしたという愛妻だ。それは嬉しいだろう。
子どもが生まれることが幸せ。
……そうか。普通の親は、そういうものなのか。
「この上ない幸せ、ねえ」
小さく呟いて、私は椅子の背もたれに身を預けた。
自身の結婚話に腹立ちばかりがあった以前よりマシになったとはいえ、それでも諸手を挙げて大喜び、という状態には程遠い。そんな私には、将軍のあの浮かれっぷりが少々疑問でもあり、羨ましくもある。
自分にもあんな日が来るのだろうか。
これから得ることになるかもしれない伴侶や我が子を、愛することができるのか、あるいは憎むことになるのか、それとも無関心を貫くのか、何もかもが曖昧だ。
大体、私は愛というものをほとんど知らない。あの父とも呼びたくないおぞましい生き物は言わずもがな、母も兄も、大事な人たちは呆気なくいなくなってしまった。
兄を亡くしてからは、自分を守るために死に物狂いだった。少しでも知恵が廻るようなところを見せれば目をつけられる。兄の死でショックを受けて少し「おかしく」なってしまった、という演技を続けてきた。
小心になり、人に怯え、ことさら動作を鈍重にして、ぼんやりとした子どもに見えるよう。
そう振る舞うことによって、周囲はころりと態度を変えた。露骨に失望し、侮り、見下し、嘲笑する。何をしても怒らない、意味も判らないと思われたのか、苛めもよくあった。大人も子どもも、相手が弱者だと知るやすぐに力で支配しようと考える輩は多い。
誰もが見事なくらい、私の作った仮面のほうしか見なかった。
近侍という名の世話係も、何度も入れ替わった。同じ齢くらいの連中は高位貴族の子弟ばかりだから、どいつもこいつも忍耐なんてものはない。こんな役立たずの王太子には取り入ってもしょうがないと見限ると、撤退するのは早かった。
ヴィムが私の近侍になったのは、私が十七、彼が十五の時だ。
奴は最初から風変わりだった。ほっそりとした頼りなげな身体で、顔もやや中性的、イアルの血筋という以外には突出した何かがあるわけでもないのに、やたらと要領が良くて、するりするりと人の懐の中に入っていく。
伝手の伝手の伝手を辿ってこの仕事を得た、というヴィムは、私に対しても他の人間と同じように接した。優しく笑いかけ、わざと粗相をしても怒らず、「殿下、一緒に外の空気を吸いに行きましょうか」なんてことを涼しげに言い、そのくせ食べ物については異様な執着を見せる。
私は「愚鈍」の仮面を被りながら、慎重に、疑り深く、ヴィムを観察した。果たしてこの男は「排除する」の箱に入れる者か、「使えそう」の箱に入れる者か。
しかしヴィムは、軽々と私の思惑を超える行動をした。
ある日、いつものように飄々とした調子で、
「──ところで殿下は、どうしてそんな演技をしておられるんです?」
と訊ねてきたのだ。
私は驚き、そしていつでも攻撃できるように内心で身構えた。やっぱりこの男は油断がならない。だとしたら次に考えるべきは、敵か味方か見極めること。すぐに「排除」するかどうかを決めることだ。
「……おまえ、何が望みだ?」
私は彼を睨みつけ、鋭く問い詰めた。ここで私を脅してくるような真似をするか、あるいは懐柔してこようとしてくるか、それによってまた判断も変わる。
その時すでに私はかなりの人間不信だった。性格も少々歪んでいた。目の前にいる男が易々と私の仮面を取り払ってしまったことに、言いようのない憤怒と憎しみを覚えた。
「望み、ですか」
ヴィムはちょっと面白そうに言ってから、顎の先を指でこりこりと掻いた。
「……そうですね、いつでも食事ができることですかねえ」
返された答えは、よく理解できないものだった。
「は……?」
「常に満腹に、とまでは言いませんが、三度三度、きっちり食事をしたいわけです。それが美味しければ、なお文句ありません」
「それは何かの比喩か?」
私が判らないと思って誤魔化そうとしているのかと問えば、ヴィムはきょとんとした。
「え、普通に食事の話をしてるんですけど。……あのねえ殿下、幼少期から毎日毎日ろくに食べ物にありつけず、そのくせ矜持は捨てるなと言われ続けていた人間が夢見るものって、何か判ります? もう平民でもなんでもいい、誇りなんて知ったことかと思うくらいに、飢えて飢えて飢えて、だけど馬鹿な親たちが見栄を取り繕うために残り少ない金を遣っているのを見た時の、怒りと絶望感が判りますか? 妹がいなければ、僕はとっくの昔にあの家に火を点けていましたよ。空腹は容易く人の理性を奪いますね。腹を満たすのがなによりの幸福だと知っていますから、僕の究極の望みはそれだけで、そのためにこうして仕事もしています」
私は唖然とした。イアルの血筋とはいえメイネス家がもう没落寸前だとは聞いていたが、そこまで悲惨な状況であったとは。
「正直、メイネスの家なんてどうだっていいんですが、あそこがなくなると、両親と彼らの夢を押しつけられた気の毒な妹は、野垂れ死にするしかありません。なので僕は働かないといけないし、効率よく稼げて、なおかつ様々な人脈も作れるこの仕事のことも気に入っています。ですから可能な限り長く続けるために、殿下にはなるべく長生きしてもらわないといけないんです。貧乏暮らしはもうウンザリですし、この国がなくなっても困りますしね。それについて僕に協力できることがあればと思って、演技の理由をお訊ねしたんですけど」
そしてヴィムはヴィムで、相当身勝手な人間だった。普通とはちょっと観点が違うが、この男もまた自分の都合のために王太子である私を利用しようとしている。
しかし──
「……ははっ」
噴き出してしまった時点で、私の負けだ。どうやら私は自分で思っていたよりもずっと、この男のことが気に入ってしまったらしい。
私が笑うと、ヴィムもニコッとした。
それ以来、彼はいつも私の後ろに控え、時にはともに手を汚すことも厭わない、得がたい存在となった。友人というほど優しいものではないが、主人と従僕というだけでは説明できない。
果たして、隣国の第六王女は、ヴィムのような驚きをもたらしてくれる人物なのかどうか……
「──陛下? どうかしました?」
声をかけられて我に返った。
過去を思い出してぼうっとしていたためか、珍しく頼んでもいないのに、ヴィムが湯気の立つカップを机の上に置きながらこちらを覗き込んでいる。こういうところが、人心を掴むのが上手い所以なのだろう。
「ああ、いや……ちょっと昔のことを思い出していた」
「年寄りですか。それとももうすぐ死ぬんですか? 赤ん坊の話をしていたのに縁起が悪いですね」
「縁起が悪いのはおまえだ。ヴェルフ将軍の奥方はヴィムの妹なのだから、生まれてくるのは甥か姪ということだろう。ちゃんとお祝いくらい贈ってやれよ」
「もちろんですよ。赤ん坊が生まれた祝いの席では、いよいよあの豚が食べられるのかと、今から楽しみで楽しみで」
「豚って……将軍の家ではペットとして名前も付けて可愛がっていると聞いたが」
「豚は豚でしょ。食材にする以外どうするんですか。ペットとか、意味が判らないですよ」
「おまえ最低だな。妹に怒られるぞ」
「そういえば、妹が小さい頃、空を飛んでいた鳥に向かって『鳥はいいわね』と羨ましそうに呟いていたので、『そうだね、焼いたら美味しそうだね』と返したら、その後しばらく口をきいてくれませんでした」
「おまえ最低だな!」
どうしてこの男がご婦人たちに人気なのか、まったくわけが判らない。私はヴィム以上にデリカシーのない男を他に知らないのだが。
なぜこんなやつのために、あれもこれもと貢いで気を惹きたがるのだ。口で何を言おうと、どうせこいつが本心から喜ぶのは金か食い物くらいだぞ。
「そういえば、変装して街に下りた時も、おまえはなんだかんだ上手いことやってたよなあ」
「なんです突然。言っておきますが、陛下が毎日毎日仮面を被るのも疲れるって文句ばかり言うから、息抜きに連れて行ってあげたんですよ。どうしてそんなに僻んだ目をしているんです」
お忍びでヴィムと一緒に街に下りたのは数回である。確かに息抜きにはなったが、楽しかったかと問われれば少々微妙だった。
──結局、そこでも皆、「表に出ているもの」しか見ないのだな、と気づいてしまったからだ。
金持ちの格好をしていれば媚びてくるし、みすぼらしい服を着ていれば邪険にされた。頬に傷をつけ帽子を目深に被っていれば誰もが怖れて近寄らない。王太子という身分はバレなくても、「こう見せようとしている自分」しか他者の目に映らないのは、王城内と別に変わりなかった。
その点、ヴィムは不思議とどんな格好をしていてもその場に馴染んでいた。店に入れば見知らぬ客といつの間にか打ち解け、食事どころか酒まで奢られている。なんなんだこいつは。一流の詐欺師か何かか。
「胡散臭さで言えば、私よりもヴィムのほうが数倍上だと思うんだが」
「僕は陛下と違って、おかしな演技はしていませんよ」
「おかしな演技って言うな」
「だって最初は保身のためだったとしても、途中からけっこう楽しくなってきちゃったんでしょう? もう少しほどほどにしておけば、国内貴族の婚約者ができていたかもしれないのに」
「国内だろうが隣国だろうが、『見た目』でしか判断されないのは同じだろうよ。城でも街でも変わりはないようにな」
ふてくされ気味にそう返すと、ヴィムはにやりとした。
「ああ、つまり陛下は、『本当の自分』を知って、好きになってもらいたいわけなんですね。なんだ、意外とロマンチックなところがあるんですねえ」
からかわれるように言われて、言葉に詰まった。
本当の自分を知って好きになってもらいたい──そんなことは……いや、そうなのだろうか?
「でもねえ陛下、『本当の自分』って、つまるところ何なんでしょう? 僕だって、本当の自分なんて、よく判りませんよ。人は誰だって自分をより良く見せたいものだし、他の人間を自分の見たいように見るものじゃありませんか? みんな、仮面を被っているんです。そこから少しずつ仮面の下を探っていくという行為が、誰かを、そして自分を、『知る』ってことなんじゃないでしょうかねえ。それにはやっぱり、本人の意志と時間が必要なんだと思いますよ」
そう言って、ヴィムは微笑んだ。
相変わらず何を考えているのかよく判らないが、この男が自分でそう見せようとしているような、デリカシーのない女たらしのクズ、というだけの人間ではないということを、私は「知って」いる。
妹の嫁ぎ先が第六将軍になったのは先王の嫌がらせとされているが、それだってどこまでが本当に王の思いつきなのかは怪しいものだ。ヴィムがレオ・ヴェルフという新将軍についてあれこれ調べていたのも知っているし、この男はなにより他人を誘導することに長けている。
もしも「いい金ヅルになってくれる」と本気で思っていたのなら、妹のおかしな噂などさっさと払拭して、いくらでも「イアルの姫」を欲しがる相手に売り込めばよかったのだ。ヴィムが今まで築いてきた人脈は、高位貴族から末端まで、多岐に渡っているのだから。
とにかく結果として、妹はイアルの血から逃れて自由になり、幸せを手に入れた。
たぶん、そのことを誰よりも喜んでいるのはヴィムだと思う。絶対にそんなこと、素直に認めないだろうが。
「幸せか……」
今まで、最も自分には縁遠いと思っていた単語だ。
私は愛も幸せもよく知らない。ずっと自分を隠し続けていた分、他にも知らないことは多いのだろう。
もしも自分が幸せを感じられたら、他の人間も幸せになるといいと思えるのだろうか。
愛を知れば、国も民も愛することができるだろうか。
……今度こそ、ちゃんとした「家族」というものが持てたなら。
「陛下、そろそろ会議のお時間です」
ヴィムに言われて、「ああ」と頷き、立ち上がった。
「やれやれ、またおどおどしながら小さくなっていなきゃいかんのか」
「あと少しの辛抱ですよ。もう大分、排除すべき人間のリストは出来上がっていますから」
「まずはあのやかましい第一将軍を切ろう。代わりにヴェルフ将軍を据えようかな」
「間違いなく断られますね。それよりも第六軍を育てさせたほうがいいですよ。あそこは精鋭揃いですから」
「そうだな、軍の整備と……そうだ、ヴィム、おまえはどんな役職が欲しい?」
「役職ですか?」
「宰相の座でもなんでもくれてやるぞ」
「要りません。僕、そういう仕事は向いていないので。それに途絶えた王朝の末裔がそんな席に座ったらまずいでしょう」
「じゃあ、何が望みだ?」
「いやだなあ、陛下」
ヴィムはニコニコ笑った。
「いつでも食事できることが僕の望みだと、以前も言ったでしょう? 僕がこの先もずっと飢えることのないように、陛下にはなるべく長生きしてもらって、安定した治世を敷いてもらって、ついでに幸せになってもらわないと」
最後にちゃっかり付け加えられた言葉に、私は噴き出した。
まったくどこまでも腹立たしいやつだ。
「──よし、では行くぞ、ヴィム。奸臣を追い出したらその後は、国の立て直しに私の結婚に外交。問題は山積みだ。茨の道かもしれんが、離れずついてこい」
「お供しますから、ちゃんと地獄でも美味しいものを食べさせてくださいよ」
後ろには頼りになる世話係。隣を歩いてくれる相手はまだ判らないが、仮面を投げ捨て、素顔を晒したら、少しずつ自分と人のことを知っていこう。
……確かに、未来は誰にも判らないからこそ、生きるというのは楽しみで、素晴らしいのかもしれない。